第七十二話 腹に響く声音
クリフとロドリゴが怖がらせないよう、努めて冷静に、いつも通りに振る舞った。
内心、龍なんてとんでもないと心臓が早鐘を打っていたが、クリフとロドリゴが完全に眠りにつくまで、その動揺を必死に押し殺す。
二人の寝息が規則正しくなり始めたのを見届け、ミサキは音を立てないよう慎重にベッドから抜け出すと、そっと部屋を後にした。
薄暗い階段を降り、静まり返った食堂へと向かう。
食堂へ行くと、ダニエルが潜入捜査をしているグランヴェルのギルド職員と何やら声を潜めて深刻な顔で話し込んでいた。
――コンコン
仕切りのない食堂の入り口の代わりに、近くの柱を指の背で軽くノックする。
「あぁ、ミサキさんか。どうした?」
「……今からラウラさんに会うことってできるか確認したくて」
「いまから?」
もう夜中だぞ?と二人とも顔を見合わせ、怪訝そうな顔をした。
「ロドリゴから気になる情報をもらったの。至急報告したくて」
「……わかった。通信の魔道具があるから、ここへ呼び出そう」
「ありがとう。助かるわ」
ダニエルは懐から、丸いファンデーションの容器のような金属製の魔道具を取り出し、魔力を込めた。
「ラウラ、聞こえるか?いま話しても構わないか?」
ダニエルが呼びかけると、容器の表面が淡く発光し、その上空にラウラの顔が立体的な3D映像となって浮かび上がった。
『えぇ、大丈夫よ。だけどもう夜中よ?何の用?』
明日も早いから寝たいんだけど…とあからさまに不機嫌な様子で欠伸をしている。
「ミサキさんが報告があるから会いたいんだとよ。いまから来れないか?」
『……はぁ?今からって。明日の朝じゃダメなの?』
「至急報告したいんだと」
『面倒ねぇ……』
と、心底嫌そうな顔をしながらため息を吐いている様子に、ミサキの胸の奥で、じわじわと炎が燃え上がり始めた。
(あぁ!もう!まどろっこしい!)
イライラの頂点に達したミサキは、ダニエルを押しのけて魔道具越しに話しかける。
「ちょっと!ラウラさん!早く報告したいんだけど、来るの?来ないの?!」
『えっ!?み、ミサキさん?!』
ミサキがいるとは思っていなかったのか、面食らった様子だったが、すぐにいつもの冷ややかな表情を取り繕う。
『ミサキさんがそこにいるなら、このまま報告してください』
はぁ……とため息をつき、どうぞ。と促す。
(こいつ、やる気あるの?)
どこに間者がいるか分からない。そういう話だったはずだ。ラウラが知らないとは言わせない。
あまりの危機感のなさと不誠実な態度に、ミサキは怒りで顔がカッと熱くなるのを感じた。
既に手にはかなりの力が入って震えだし、顔は怒りで赤く染まり始めていた。
「お、おい!ラウラ!なんだその態度は!」
隣でミサキの凄まじい威圧感を間近で察知したダニエルが、まずいと思ったのか、慌てて通信の向こうのラウラを咎めた。
しかし、ラウラは鼻で笑う。
『どうせ大した情報じゃないんでしょ?どこから仕入れたんです?』
「……スラムの子供達からよ」
『スラムの子供!?』
ラウラは一瞬呆れたような顔をした後、心底馬鹿にしたように笑った。
『あんな子たちの話を真に受けて信じるなんて。ミサキさん、あなたって本当にお人好しっていうか、おめでたいのねぇ』
パチン、とミサキの頭の中で何かが弾け飛んだ。ボルテージはMAXを通り越し、完全にリミッターが吹き飛ぶ。
「あんた……子供達を馬鹿にするんじゃないわよ」
『はぁ?だってスラムの子よ?最近は特に素行も悪くて――』
「あんたに何が分かんのよ。ほんと今日はあんたみたいなクソ野郎にばかり会うわ。胸糞悪い」
『な……っ!何ですって!?』
初めて見るミサキの剥き出しの敵意に、ラウラが声を裏返らせてうろたえる。
「もうあなたに報告はしません。グランヴェルのヴェンデリンさんへ直接報告するので結構です。さようなら」
「ダニエル、切りなさい!」と鋭く命じると、ダニエルはビクッと肩を跳ね上げて大慌てで魔道具のスイッチを切った。
胸糞悪い女の顔が、火花が散るようにかき消える。
「あ゙ぁ゙ぁぁぁぁぁー!クソ腹立つ!なんなのよ、あいつ!」
両手で拳を握り、わなわなと震えながら吠えるミサキ。
その様子を固唾を呑んで見守っていたダニエルと潜入捜査員は、一瞬、お互いに顔を見合わせた。
そして――
「ぶっ……!!」
「はははははは!!! ギャハハハハ!!!」
我慢しきれなくなったように、同時に大爆笑した。
「なによ、二人して……!」
ふてくされて二人をキッと睨みつけるミサキだったが、ダニエルはもはや息も絶え絶え、お腹を抱えて床を転げ回らんばかりだ。
「だって、よ……っ! 見たかよ、ラウラのあの鳩が豆鉄砲食ったみたいな顔!」
「あぁ!『何ですって!?』だってよ! 最高に胸がすいたな!」
二人がヒィヒィと言いながら涙目で笑っているのを見ているうちに、ミサキの肩の力もすうっと抜けていった。すっかり毒気を抜かれて頭が冷えた。
(ラウラって、相当ギルド内で嫌われてるのね……)
と妙に納得してしまった。
「……あぁ、これは本当に。ぶふっ!みんなに報告して、共有しないと……っ!」
「おい!さっきの通信、保存しとけよっ!ぶっ!!」
(いつまで笑ってんのよ、全く)
ミサキは呆れ顔で腰に手を当てると、ダニエルを小突いた。
「ねぇ、笑ってないで。この魔道具で、ヴェンデリンさんと直接通信できたりしない?」
「あぁ、出来るぞ。……ん?って、俺が副ギルドマスターに報告すんのか!?嫌だぞっ!おっかねぇ!」
さっきまで爆笑していたとは思えないほど、顔が青くなり震え出している様子に、そういえばガムさんも怖いって言ってたなぁと思い出した。
(っていうか、ヴェンデリンさんて副ギルドマスターだったのね。まぁ仕事できそうだものね)
「ダニエルさんは繋いでくれるだけでいいから、とりあえずヴェンデリンさんに報告させてくれない?怒られるのは私だから、いいでしょ?」
とミサキが有無を言わせぬ笑顔で迫ると、ダニエルは泣きそうな顔で魔道具を操作し、別の回線へと繋げた。
「夜分すみません。ミサキです。ヴェンデリンさん聞こえますか?」
鏡のコンパクトのような金属器に向かって真面目に話しかけるという、元の世界ではあり得ない奇妙な行動に少しの違和感を覚えつつ、返答を待つ。
数秒の静寂の後、器の上が微かに光り、あの低く落ち着いた声が響いた。
『……聞こえていますよ、ミサキさん。こんな時間に、何かありましたか?』
『連絡役にはラウラを配していたはずですが……』
立体映像の中のヴェンデリンは、端正な眉を寄せて訝しげな表情を浮かべている。
ミサキは、先ほどラウラとの間に起きた押し問答のあらましを、一気呵成に吐き出した。感情に任せて愚痴にならないよう、できるだけ私情を挟まず、事実だけを淡々と述べる。
「……ということがありました。流石に、間者が潜んでいるかもしれないところで、大っぴらに機密を話せと言うのは、ギルドの職員としてどうかと思います」
ミサキが毅然と言い放つと、ヴェンデリンは深い溜息をついた。
『……なるほど。ラウラについては、以前から他の職員からも同様の苦情が上がっており、私からも一度厳重に注意をしていたのです。最近は反省の色が見えていたため、今回はミサキさんと歳が近い女性の方が話しやすいだろうと起用したのですが……。大変不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした』
「いえ、彼女のことはもういいです。ただ、どうしても気になる情報が入ったので、信頼できる方にだけは伝えておきたかったんです」
『……どのような情報ですか?』
ミサキは一瞬、言葉を詰まらせた。これを今、この場で口にして良いものかどうか、躊躇いが生まれたのだ。その僅かな沈黙を、ヴェンデリンは見逃さなかった。
『ミサキさん。今、あなたの周りには誰がいますか?』
「え? ええと……ダニエルさんと、もう一人、グランヴェルの職員さんです」
『ダニエル!』
通信から響いた鋭い声に、ダニエルは背筋をピンと伸ばした。
「は、はいぃぃ!!」
『もう一人は誰だ。それから、音声遮断の魔道具は展開しているか?』
「もう一人はジャンです! 音声遮断の結界は、すでにこの部屋に展開しております!」
『……ふぅ、分かりました。ミサキさん、そのまま話してください。そこにいる二人は、私の息がかかった信頼できる者です』
「……分かりました」
ミサキは意を決し、ロドリゴから聞いたドワーフたちの会話を、一言一句違えずにそのまま伝えた。
「ドワーフの職人たちが青い顔をして、『龍が起きたらどうすんだ』って怯えていたそうです。何かが起きたら、この街どころか大変なことになる、と」
話し終えた瞬間、食堂の空気が凍りついた。
ダニエルは“龍”という単語を耳にした途端、顔面を蒼白に染め、額から滝のような冷や汗を流してガタガタと震え出した。
ジャンと呼ばれた職員も、完全に言葉を失い、絶望的な表情で立ち尽くしている。
『……これは、思ったよりも根が深く、厄介なことになりましたね』
魔道具から漏れたヴェンデリンの低い声音は、地鳴りのように重く、ミサキの腹の底に冷たく響き渡った。




