第七十一話 噂話
「やるぞー!」と拳を突き上げる子供たちの熱気に、水を差すようで悪いなぁと思いつつも、ミサキはパチンと手を叩いて声をかけた。
「さぁ! これから忙しくなるわよ! まずは作り方をしっかり覚えなさい」
と言ったものの、そこで一番大事なことを忘れていたことに気づく。
うっかりうっかり。
「その前にっ!みんな!まずはお湯で身体を綺麗にしてらっしゃい。食べ物を扱うんだから、清潔は一番大事よ!!男の子から先に行って。クレアは私と一緒に来てね」
ミサキはダニエルにお湯の準備を強引に頼み込むと、男の子たちを裏手へと追いやり、クレアの手を引いて宿を出た。
近くの衣料品店へ入ると、薄汚れたクレアを見た店主が露骨に眉をひそめたが、ミサキはそんな冷たい視線などどこ吹く風だ。
店先の棚から子供服を次々と引っ張り出しては、クレアの身体に当てていく。
「こっちの青もいいけど、こっちの素朴な緑も似合いそうね。クレアはどっちが好き?」
「えっ、あ、あたし……どっちでも……」
戸惑うクレアの横で、ミサキの心は躍っていた。
(あぁ、楽しい……! 娘がいたらこんな感じだったのかしらね。一度でいいから、こうやって一緒に服を選んでみたかったのよ)
思い返せば我が家の男どもは、服にこれっぽっちも興味がなかった。
服屋に連れて行っても死んだ魚のような目でついてくるだけで、挙句の果てにはどこかへ消えている。
「ねぇ、ミサキ。みんなには服が少し大きくない?」
「大丈夫よ。みんな成長期だからすぐピッタリになるわ」
そんなやり取りをしながら、洗い替えも含めて2着ずつ購入した。全部で銀貨8枚と銅貨4枚。
安いものを優先して買ったが、新品で7人分ともなると、それなりの金額になってしまった。
(まぁ、これからの売り上げで回収する先行投資だと思えば安いものよね!)
宿へ急いで戻ると、裏手からはちょうど、お湯でさっぱりして赤くなった男の子たちが上がってくるところだった。
「ほら、身ぎれいになった子からこれに着替えて!」
彼らが今まで着ていた服は、どこもかしこもボロボロで、もはや繕ったところで布の体をなしていない。
ミサキは容赦なくそれらを処分用の木箱へと放り込んだ。
「わぁ、みんな、すごくかっこよくなったね!」
クレアが目を輝かせて歓声をあげると、新しい綿の匂いに包まれた男の子たちは、一様に照れくさそうに首をすくめたり、満更でもない様子で鼻の下を伸ばしたりしてモジモジし始めた。
「さぁ、次はクレアの番よ」
ミサキはクレアを裏の湯場へと連れていき、身体を洗うのを手伝ってやった。
お湯をかけると、長い髪が薄汚れてひどく縺れているのが分かる。
ミサキは残しておいたロジンの実で泡を立て、シャンプー代わりにし、さらにその種を馬鹿力でハンマーで粉砕し、にじみ出た油をクレアの髪にたっぷりと塗ったくった。
するとどうでしょう!
薄汚く、最早黄色なのか黄土色なのか分からなかった髪の毛が、お湯ですすがれていくうちに窓から差し込む光を浴びてキラキラと輝き始め、まばゆいほどの美しいブロンドヘアーにっ!
油のお陰で絡まりも取れてサラサラしっとり。
(これはこれで誘拐とかが心配になるわね)
薄汚れていたほうが安全かもしれないと思ったが、クレアが綺麗になって喜んでいることが、今は嬉しかった。
服を着せ、みんなのところへ連れて行く。
「みんな、お待たせ――」
その瞬間、男の子たちは「ひゅっ」と変な呼吸音を出し、石のように固まった。
(ふふん! どうだ、驚いたか。めちゃくちゃ可愛かろう!)
自分の娘でもないのに、ミサキはクレアの後ろでふんぞり返り、得意げに胸を張る。
そこに食事を終えたクロが足元に近づいてきた。
今から潜入捜査に行くのだろう。
いってらっしゃいと声をかけると、静かにミサキの影に吸い込まれていった。
そんな様子は全く男の子たちの目に入っておらず、固まったままだったため、仕事するわよ!と一喝すると、ハッと我に返り、大慌てで視線を泳がせていた。
それからは猛特訓だった。
ミサキは子供たちを調理場に集め、野菜の効率的な仕込み方、絶妙な味付けの加減、焦がさないための重要ポイントなどを、実際に手を動かしながら一つ一つ丁寧に教えていった。
何度か繰り返し調理すれば大丈夫だろう。
特にクリフの覚えが早かった。
“次に死ぬのは誰だ”と半ば脅しのような言葉を使ったが、効果てきめんだったようだ。
弟を守ってやりたいお兄ちゃんとしては、これはどうしても覚えておかなければならないと危機感をもってくれたのだろう。
ずいぶん意地悪な言い方をしてしまった自分に嫌悪感すら感じるが、現実を受け止めて前に進んで貰わねばならない。
私もずっとこの街にいるわけではないのだ。
やがて大きな鍋から良い香りが立ち上り、煮込みの段階に入る。
「よし、みんなで味見がてら試食してみましょう」
全員分を皿によそって渡していく。
子どもたちは小さな木匙でスープをすくい、ふうふうと息を吹きかけながら口に含む。
「あ……美味い」
「うん、昼間のシチューと同じだ!」
味はほぼミサキスペシャルのクオリティに達していた。
「よし! これなら明日、自信を持ってお店に出せるわね。みんな、本当にお疲れ様!」
「お、終わった……」
「疲れたぁ~……」
昼過ぎからずっと働いていたのだから、さぞかし疲れも溜まったことだろう。
マウロに至っては、お腹も満たされたため、テーブルに突っ伏して寝ている。
「さぁ、今日はみんな私の部屋に行って寝るわよ。マウロを抱っこしてあげて」
ミサキが眠そうな子供たちを促して2階へ行こうとした時、背後から声がかかった。
「おい、ミサキさん」
振り返ると、ダニエルが頭をボリボリと掻きながら、バツが悪そうに佇んでいた。
「あんたの部屋じゃ、さすがに狭いだろ。……向かいの部屋、広めのところが空いてるからそこを使いな。全員一緒に入りきるからよ」
呆れたような口調だが、その言葉には明らかな優しさが滲んでいた。
「ありがとう! ダニエルさんはやっぱりいい人ね」
まさか部屋を手配してくれるとは思わず、ミサキがとびっきりの笑顔を向けると、ダニエルは「チッ」と恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「ほら、みんなでお礼を言うのよ!」
「「ダニエルのおじさん、ありがとう!」」
子供たちが声を揃えると、ダニエルは後ろを向いたまま、ぶっきらぼうに片手を上げて奥へと去っていった。
案内された部屋には、ベッドが4台並んでいた。ミサキはそれらを力任せにずるずると引きずり、すべて隙間なくくっつけて一つの大きなベッドを作り上げた。
「さあ、おやすみ!」
子供たちは横になるや否や、吸い込まれるように深い眠りに落ちていった。
だが、月明かりが差し込む部屋の中、クリフとロドリゴの二人だけは、天井を見つめたまま中々寝付けないようだった。
ふと、クリフが寝返りを打ち、ミサキと目が合う。
少年は一瞬何かを迷うように視線を落としたが、やがて掠れた声で問いかけてきた。
「……なぁ、ミサキ。なんで俺たちに、ここまでしてくれんだよ? 今まで会った大人は、俺たちを見ただけで汚いものを見るような顔をした。ひどい奴は、理由もなく殴ったり蹴ったりしてきたのに」
その言葉に、ミサキの胸の奥がズキリと疼いた。
頭をよぎったのは、やはり残してきた二人の息子のことだ。
「……私にもね、子供が二人いるのよ。男の子なんだけど……はぐれちゃってね。ずっと探しているんだけど、全然見つからないの」
ミサキは静かに立ち上がり、窓辺に寄って遠い夜空を見つめた。
「クリフたちを見ているとね、あの子たちも今、どこかでこんな目に遭ってたらどうしようって……思っちゃうのよ。なんだか、他人事じゃなくてね」
どこにいるのか、無事なのかすら分からない我が子を想うと、心がぎゅっと掻きむしられるような感覚に襲われる。
ミサキは思わず、衣服の上から強く胸を押さえた。
「ねぇ、ロドリゴ、クリフ。……黒い目で、黒い髪をした男の子を二人、どこかで見かけたりしなかった?周は10歳で渉が8歳なの」
二人は顔を見合わせ、記憶を辿るように一瞬考え込んだ。
だが、やがて申し訳なさそうに首を横に振る。
この世界では極めて珍しい「黒目黒髪」の子供だ、もし見届けていれば忘れるはずがない。
「……そう。そうよね」
大人の目が届かない、それこそスラムの奥深くの路地裏なんかに隠れているのでは、と考えたりもしたが、やはりそう簡単に見つかるはずもなかった。
思わず重いため息がこぼれそうになる。
だが、これから新しい一歩を踏み出す子供たちの前で、いつまでも暗い顔をしていてはいけない。
ミサキは頬を両手でパチンと叩くと、無理やり明るい笑顔を作り直した。
「ごめんね! 暗い話をしちゃって。でも、もしそれっぽい子を見かけたら、私に教えてくれると嬉しいわ」
「わかった。……っていうかさ、明日から店が終わって暇なときは、みんなで探しに行くよ」
クリフがベッドから身を乗り出すようにして言った。
「そうだよ。みんなで手分けして探せば、きっとすぐに見つかるさ!」
ロドリゴも力強く頷く。
子供たちの思いがけない温かい言葉に、ミサキの視界が少しだけ潤んだ。
「……ありがと。でも、危ないところには絶対に行かないこと! 約束よ」
それから、二人の緊張をほぐすように、彼らが眠くなるまで他愛のないお喋りに付き合った。
「向かいのパン屋のおばさん、うちの露店で宣伝したから、今日は忙しくててんてこ舞いだったらしいぜ。」
「あら、それはしてやったりね!」
ミサキがくすくす笑うと、子供たちも得意げな顔になる。
さらに話は広がり、街の様々なたわいもない噂話へと移っていった。
魚屋のおっちゃんと酒屋のおばさんが怪しいだの、ドワーフたちが最近やけにピリピリしていて、あちこちで喧嘩が絶えないだの……。
「……待って。その話、前にもどこかで聞いたわね」
ミサキの手が止まる。
「え? 魚屋のおっちゃん?」
「違うわよ! ドワーフたちがピリピリしてて、揉め事が多いって話。やっぱり最近多いの?」
「うん、あいつら普段から頑固だけど、最近は特に異常だよ。……そういえばこの間、路地裏でドワーフの職人たちが休憩中に、青い顔してボソボソ話してるのを聞いたな」
ロドリゴが記憶を掘り起こすように眉を寄せた。
「なんて言ってたの?」
「ええと……たしか、『龍が起きたらどうすんだ』とか……『何かが起きたら、この街どころか大変なことになる』って、めちゃくちゃ怯えてた」
「……龍?」
ミサキの口から、疑問の言葉がポツリと漏れた。
ただの職人たちのいさかいだと思っていた。
だが、その背後にある言葉の重みは、明らかに一介の街の噂話の域を超えている。
部屋を吹き抜ける夜風が、急に冷たさを増したように感じられた。
ガサツなおばさんを自称するミサキの直感が、これが思った以上に深刻で、破滅的な事態の前触れであることを告げていた。
嫌な汗が、一筋、ミサキの背中を静かに伝い落ちていった。




