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神は愛を知らない 〜異世界に飛ばされた主婦が、それでも子供を探し続けた記録〜  作者: 忠犬
迷子の母

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第七話 動けない足。動く拳


ここのところ、なんだか体がおかしい。


森へ薬草採取に行こうとすると、心臓がバクバクと嫌な音を立てて、呼吸が浅くなる。


(まさかとは思うけど……PTSD?)


笑えない。

こんなところで躓いている暇なんてないのに!

動け、私の足。

息をしろ。

心臓、少しは静かにしなさいよ!


「……はぁっ……はぁ……っ」


森の入り口。

ただそこに立っただけで、これだ。

膝に手をつき、肺が焼けるような荒い呼吸を繰り返す。


「……ふざけないでよ……」


情けない声が漏れる。

体は元気だ。

筋肉痛もなければ、寝不足でもない。

なのに、足が地面に縫い付けられたみたいに重い。

目を閉じれば、あの光景がフラッシュバックする。

剥き出しの牙。

飛び散る血。

生き物が死ぬ時の、あの嫌な音。


「……っ」


また、息が詰まる。


「……は、はは。なによこれ……」


乾いた笑いが出た。

四十過ぎて、異世界まで飛ばされて、今さらビビってるの?

冗談じゃないわ。

誰も養ってくれない。

ここは日本じゃない。

誰も守ってくれないなら、自分で立つしかない。


「……やるしかないのよ、ミサキ!」


自分を鼓舞し、無理やり足を前に出す。

一歩、もう一歩。

心臓はうるさいまま。

でも、私は止まらなかった。

森の中に入ると、緊張感はさらに高まった。


「……落ち着け……落ち着け……」


周囲を確認する。

音、匂い、気配。

五感を研ぎ澄ます。

ガサリ、と音がするたびに心臓が跳ねるが、それがただの風だと分かると、小さく息を吐いた。

しばらく進んだところで、私は地面にしゃがみ込んだ。


「……仕事よ、仕事」


震える手で薬草を摘む。

確認して、匂いを嗅いで、籠に入れる。

一つ、また一つ。作業に没頭するうちに、不思議と呼吸が整ってきた。


「……できるじゃない」


小さく呟いた、その時。

隣にいたクロが、ぴたりと動きを止めた。

耳を立て、じっと一点を凝視している。


「……やめてよ、そういうの」


嫌な予感しかしない。

私はじり、と腰を浮かせた。

その瞬間、茂みが爆発したように揺れた。

飛び出してきたのは――また、あの犬のような魔獣だ。

「……はは。またなの?」

喉がカラカラに乾く。

足が震える。

逃げる?

間に合わない。

距離が近すぎる。

クロは――少し離れた場所にいる。

間に合わない。


(……逃げても、どうせ殺される)


頭が真っ白になった。

でも、その真っ白な視界の中に、沸々と「怒り」が湧いてきた。

なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの。

アニメも見れず、子供とも離され、挙句の果てにこんな獣に怯えて……。


「……ふっざけんじゃないわよぉぉぉっ!!」


気づけば、自分でも驚くような大声を上げていた。

同時に、地面を蹴る。

逃げるためじゃない。

前へ出るためだ。

振り上げる拳。

技術も、武器も、魔法もない。

あるのは、ただの主婦の、全力の一撃。


ゴンッ!!


鈍い衝撃。

手に伝わる嫌な感触。

けれど、魔獣の動きが止まった。


「……え?」


一瞬の隙。

私は止まらなかった。

「もう一発ぅっ!!」

体重を乗せて、もう一度振り抜く。

顔面に直撃。

ぐしゃ、と音がして、魔獣がよろめいた。


「……効いてる?」


信じられない。

でも、今やるしかないんだ。


「終われぇぇぇっ!!」


さらに踏み込む。

何度も、何度も、なりふり構わず叩きつけた。

気づいた時には、魔獣はピクリとも動かなくなっていた。


「……は……?」


その場に立ち尽くす。

自分の拳を見れば、血がつき、激しく震えている。


「……私が? やったの?」


クロが小走りで近づいてきて、静かに死体を見つめた。

それから、不思議そうに私を見る。


「……なによ。やればできるじゃない」


強がりだった。でも、本音でもあった。

がくり、と膝をつく。


「……っ、はぁ……っ……」


心臓はまだうるさい。

怖い。

今すぐ逃げ出したいほど怖い。


「……でも。逃げなかったわよ」


それだけは事実。私は小さく笑った。

空を見上げると、木漏れ日が目に染みた。


「……あーあ、もう。これ、筋肉痛確定じゃない……」


クロの尻尾が、ゆっくりと揺れた。


「……帰ったら、今日は肉ね。労働の対価ってやつよ」


震える足で立ち上がる。

まだ怖い。

けれど、さっきまでの「動けない自分」はもうどこにもいなかった。


「……次は、もうちょいマシに殴ってやるわ」


拳を軽く握る。

じん、と痛む拳が、私がここで生きている証拠のように感じられた。

一歩、踏み出す。

森の奥へ。

私のサバイバルは、ここから本当の意味で始まったのだ。

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