第六十八話 お玉の鉄槌
向かいのパン屋のオバさんからの鋭い視線を背中に感じながらも、手早く開店準備を済ませた。
マウロ達はどこだろうと辺りを見回すが、それらしい子供の姿は見当たらない。
「どこに行っちゃったのかしら……」
お腹も減っているだろうに。
そろそろ本気で心配になってきた頃、鉱山出入り口からゾロゾロと第一弾の休憩組が出てきた。
戦争の始まりねと独り言ち、拳を握って気合を入れる。
「昨日のシチューをくれ!」
「俺も!」
「こっちにもだ!」
あっという間に薄汚れた男たちが群がり、店の前はまるで飴に集る蟻だ。
(ここには並ぶって概念がないわけ!?)
昨日もそうだったが、押し合いへし合いであちこちで小競り合いが始まる始末だ。
「おまたせ!どうぞ――って、あんたのじゃないわよ!ちょっと待ちなさい!!」
ゴーグル付きのヘルメットを被ったドワーフに渡そうとしたところ、人族の男に横から奪われた。
取られたドワーフは、ため息をつき諦め顔だが、私は間髪入れずに怒り心頭で怒鳴り声を上げた。
「あんたの注文は後だったでしょ!?この人が先よ!」
「あぁ?!うっせぇな!もう食っちまったから俺のだ!だいたいドワーフなんか優先してんじゃねぇよ!」
……はぁ?何言ってんのコイツ。
「……あんた、それ本気で言ってんの?」
「何だよ?人族が優先に決まってんだろ!」
――――プツッ。
頭の中で何かが切れた音がした。
いや、気のせいよ。大丈夫。私は大人よ。キレたりなんかしないわ。反省したばかりだもの。
頭の中で忙しなく呪文のように唱えて冷静さを保とうとする。
が――
「おい!てめぇ、もしかしてドワーフが人族より上だとか思ってんじゃねぇだろな?!レイシストか、てめぇは!フリージアの民が一番優遇されるべきなんだよ!」
あ……無理。
と、思ったところで、私はシチューをよそっていたお玉で、その人族のクソ野郎の頭を思いっきり叩いた。
ガツーン!
「私がレイシストなら、あんたはショービニストじゃない!人種で優劣が決まるわけないでしょ!?実際、あんたは最低のクソ野郎じゃない!!」
一気に捲し立てたが、男は白目を剥いて後ろに倒れていたので、聞こえていないだろう。
倒れた際に周囲の誰も彼を支えようとしないということが、その男の人徳のなさを表していた。
私はお玉を構え直すと、群がる荒くれ者たちを鋭い眼光で睨みつけた。
「あんた達も!ちゃんと列に並びなさい!注文は一人ずつしか受け付けないわよ!シチューを貰ったら、すぐ邪魔にならない隅に行って食べなさい!」
「お、おう」
「わかったよ……」
「お、おっかねぇ。うちの母ちゃんみてぇだな」
さっきまで怒号を上げていた人族の男たちが、完全に気圧されて借りてきた猫のように一列に並び始める。
ドワーフの男たちはミサキをまるで眩しいものでも見るようにして呆うけていた。
(……このお玉はもう使い物にならないわね。汚いし。)
大きくくの字に曲がったお玉を眺めてため息を吐き、予備のお玉でシチューをかき混ぜる。
「はい、遅れてごめんなさいね。」
先程のドワーフに優先してシチューをよそって渡すと、ドワーフの男はハッとして、おずおずと、でもどこか嬉しそうにシチューを受け取った。
「あ、それから、このシチューはパンを浸して食べると美味しいわよ!向かいにパン屋さんがあるから、そこで買うといいわ!」
シチューを購入した皆へ聞こえるように大声で宣伝する。
男たちは「ほう、パンか!」と、足早にパン屋へ赴き、早速試しているようだった。
パンをビーフシチューに浸して食べるのは王道中の王道だ。
浸したパンから噛むたびにジュワッと溢れ出てくるビーフシチューは正に至高。
向かいのパン屋の売上が下がってやっかまれているなら、売上上げてやろうじゃないの。
それでもやっかまれるなら、原因は絶対、串焼き屋のおっちゃんだ。
文句言ってやる。
などと考えながら一人一人捌いていく。
第一弾の波が落ち着き、人が疎らになってきた頃、路地裏からマウロが顔を出しているのに気づいた。
「マウロ!心配してたのよ!こっちに来てご飯食べなさい」
おいでと手でジェスチャーをして迎え入れると、マウロはニコッと笑って足取り軽く駆けてくる。
あとからゾロゾロと仲間がついてきた。
一人ひとりにシチューを渡し、最後のクリフへシチューを渡したとき、昨日はなかったはずの目の横の痣に気がついた。
「クリフ……。それ、どうしたの?」
「あ?あぁ……。朝から腹減ったってマウロが言ったから、飯屋のゴミを漁りに行ったときにちょっとドジった」
「……ドジったって?」
言いづらそうにしていたクリフに代わって、負けん気の強そうなクレアが声を荒らげた。
「見つかって蹴られたのよ!あそのこの人、すぐ蹴るんだもの。クレア嫌い!」
……なるほど。店からしたら汚い子供がたくさん来て店のゴミ箱を漁っていたら、やはり心象は良くないだろう。
しかし、子供の顔を蹴るだなんて、やり過ぎではないだろうか。
日本とは全く違う価値基準に閉口するしかない。
「ちょっと見せて。血は出てないし、そこまで腫れてないけど……」
「大丈夫だって!これくらい、いつものことさ!」
「いつものことって……」
クリフは強がるように笑って見せる。
その幼い笑顔が、私の胸を鋭く抉った。
いつものこと。
そんな言葉が、この年齢の子供の口から出ていいはずがない。
日本にいた頃、十歳の周が心配していたことといえば、明日の学校のテストの点数や、部活のレギュラーになれるかどうか、そんなことばかりだった。
世界に守られ、大人に庇護され、ただ無邪気に未来だけを見ていればよかった。
なのにこの世界では、その年齢の子供が、理不尽に大人から蹴り飛ばされ、泥にまみれながら、必死に幼い弟妹たちの命を繋いでいる。
(私は、一体何をしてるのよ……)
激しい情けなさと、どうしようもない無力感が足元からせり上がってくる。
異世界に放り出され、自分の子供たちを探すだけで精一杯。
ギルドの顔色を窺い、屋台で日銭を稼ぎながら「情報収集」なんて体裁を整えて、結局目の前で飢えて傷つく子供一人、まともに守れていないじゃない。
もし、周や渉も、この街のどこかで同じように冷たい足蹴にされているのだとしたら。
そう考えた瞬間、恐怖と、この世界の理不尽さに対する煮え繰りかえるような憤怒で、奥歯がガチガチと震えた。
「……もう、ゴミ箱なんて漁らなくていいから」
私は溢れそうになる涙を必死に堪え、クリフの硬い髪を、壊れ物を扱うように優しく、強く撫でつけた。
手のひらから伝わる少年の体温が、愛おしく、そして切ない。
「おばちゃんが、あんたたちの胃袋くらい、いくらでも満たしてあげる。だから、もう危ないことはしないで」
それは母親としての感傷であり、傲慢なエゴかもしれない。
だけど、この子たちの頭を撫でることでしか、どこかにいる我が子の無事を神様に祈れないのだ。
「……おう。ありがとな、おばちゃん」
クリフは照れくさそうに頭を掻き、今度は本当に嬉しそうにシチューを口に運んだ。
彼らに出来る限りの愛情を注ぐこと。
それが、今の私にできる精一杯の戦いだった。
私はクリフの痣から目を離さないまま、心の奥底で、この世界に負けてたまるものかと静かに決意を新たにした。




