第六十六話 母の祈り
どうにも私は、頭に血が上ると感情に任せて後先考えずに突っ走るきらいがある。
自覚はあるし直す努力もしているけれど、人間の性格なんてそう簡単に変わるものではない。
特に四十代にも差し掛かってしまえば、ここからの性格矯正なんて絶望的であるとさえ感じ始めていた。
「やってしまった……」
額に手を当て、天を仰ぐ。
足元には「ごめんなさいぃぃ」と鼻水を垂らしながら泣きじゃくる子供。
周囲には、遠巻きにヒソヒソと囁き合いながらこちらを観察する町人たち。
(やってしまったものは、しょうがない。……でも、情報収集なんてこれだけ目立っちゃったら無理じゃない?)
自問自答しながら、ひとまず男の子を立たせて名前を聞く。
「……うっぐ。ぐすん。……ク、クリフ」
「クリフね。何歳なの?」
「十二歳……」
十二歳。周と大して変わらない。
そんな年齢の子が、泥水をすすり、強盗まがいのことまでして命を繋いでいる。
そう思ったら思わず眉間にキツく力が入ってしまった。
その表情を見たクリフが「ご、ごめんなさい!」と怯えたように声を張り上げる。
どうやら、さっきのお仕置きが相当に効いたらしい。
「怒ってるわけじゃないのよ。怖がらせてごめんなさいね。お腹、減ってるんでしょ? 作ったスープは全部売れちゃったから、何か買いに行きましょう」
「……え? た、食べていいのか?」
「いいわよ。何が食べたい? 他の子もみんな一緒に行くわよ!」
オロオロしていた他の子たちにも声をかけ、台車を引きながら大所帯で屋台通りへと引き返す。
マウロを入れて、全部で七人。
道すがら名前や歳を聞くと、上は十五歳から下は十歳前後の集まりだった。
冬が近づくこの季節、常にお腹を空かせていて、体力のない小さな子から順に亡くなっていくのだという。
生々しい現実に、胸が締め付けられる。
「孤児院とかはないの? 住む場所が支給されたり、炊き出しとか……」
「孤児院はあるけど、ご飯は腐ってたり、量が少しだけだしさ。病気になっても放ったらかしだし、いつも殴られる。そんなとこにいるより、路上で暮らしたほうがマシさ」
福祉なんて言葉は、この世界の片隅には存在しないらしい。
絶句するしかなかった。
この子たちに今ここでご飯をあげたところで、それはただの一時しのぎ。
根本的な解決にすらなっていない。そんなことは、大人の私には痛いほど分かっている。
分かっているけれど——
ここで見捨てるという選択肢だけは、絶対に選べなかった。
「あ! いい匂いがする!」
「あ、俺はあっちのが食べたい!」
食べ物の匂いに釣られ、子供たちがバラバラに走り出そうとした瞬間、私は声を張り上げた。
「ストーップ! 走らない!! 私の傍から離れないの! 一人ずつ買いたいものを言いなさい、勝手に行動しちゃダメ!」
盗みを働き、街の人間に恨みを買っているかもしれない子供たちだ。
清潔感のない格好のまま屋台に近づけば、酷い扱いを受ける可能性だってある。
それを危惧して、私は一人ひとりの注文を聞き、代わりに購入していった。
カエルの串焼き屋の前に来たとき、店主のおじさんに心底呆れた顔で声をかけられた。
「あんた、また首を突っ込んで……。俺は忠告したからな?」
「ごめんなさい。でも、ほっとけなくって」
苦笑いしながら串焼きを七本購入し、子供たちに手渡す。
「えぇ……あたしカエル嫌だな」
十歳の女の子、クレアが顔を引き攣らせた。
「あら、食べないの? ここのすっごく美味しいのよ! 食べないならおばちゃんにちょうだい」
そう言って、クレアの持っている串焼きをほんの少し齧ってみせる。
「ん〜っ! 美味しい! もう一口ちょうだい!」
あーんと口を開けておねだりすると、クレアは慌てて串焼きを背中に隠した。
「だ、ダメだよ! これはクレアの!」
「あら、残念。もうちょっと食べたかったわ」
ふふっと笑って見守っていると、クレアはおっかなびっくりといった様子で、小さな口で串焼きに齧り付いた。
その一口で十分だったらしい。
すぐに目を輝かせ、ガツガツと勢いよく食べ始めた。
何軒か屋台を回り、子供たちの胃袋が満たされる頃には、皆の顔に本来の年齢らしいキラキラとした笑顔が戻っていた。
それを見るだけで、私の心も少しだけ救われる。
「明日は私のシチューを食べさせてあげるから、盗みはせずに、お利口に待ってなさいね!」
一人ひとりの目を見てしっかりと言い聞かせると、「わかった!」と元気な返事が返ってきた。
襲いかかってきた時の飢えた獣のような必死な形相とは打って変わり、子供らしい素直な姿に、自然と顔が綻ぶ。
「さようなら」と手を振って別れ、私は宿への道を急いだ。
帰ったら、今日の皿洗いをして、明日の仕込みをして……やることが山積みだ。
(明日、クリフたちに周と渉のことを聞いてみよう。子供しか入れないような裏路地を知っているかもしれない)
けれど、昼間のクリフたちの必死な姿が頭を過ると、急に激しい不安が襲ってきた。
周と渉も、どこかでこんな目に遭っていないだろうか。
冷たい石畳の上で飢えに震え、生きるために必死に泥水をすするような、そんな過酷な生活を強いられてはいないだろうか。
想像しただけで、身の内を鋭い爪で引っ掻き回されるような痛みが走り、顔が歪む。
―どうか、無事でいて。ご飯をちゃんと食べて、温かい場所で寝ていて。
そう祈ることしかできない自分の無力さが歯痒く、心底情けなかった。
込み上げてくる涙を堪えるように、私はただ、日が傾いて黄金色に輝く街を無我夢中で歩き続けた。




