第五十七話 深夜の急行便
朝は早くに目が覚めた。
気が高ぶると、どうしても眠りが浅くなってしまう。
……決して、歳のせいではない!
支度を整えながら髪に櫛を通すと、いつものギシギシとした手触りがないことに感動する。
子供たちに再会するとき、やつれた姿は見せたくない。
いつだって「カッコいいお母さん」でいたいのだ。
母親が情けない顔をしていては、あの子たちを不安にさせてしまう。
気づけば、いつもより身支度に気合が入っていた。
宿の食堂で手早く朝食を済ませ、予定を再確認する。
ヴァルグリム行きの急行馬車は、一日二便。
朝と夕方に出ている。
一刻も早く発ちたいのは山々だが、到着時にクロが目立たないよう、あえて夕方の便を選んだ。
そのほうがクロが闇に紛れて目立たないと判断したからだ。
「……落ち着かなきゃ」
深呼吸をして自分に言い聞かせるが、どうしてもそわそわして、部屋の中で足踏みをしてしまう。
手持ち無沙汰に耐えかねてクロの手入れをしようとしたが、昨日のロジンの実のおかげで、もはやブラッシングの必要がないほどツヤツヤだ。
仕方がないので、搾り粕に残った僅かな油を使い、クロの肉球をマッサージする。
「どう? 気持ちいい?」
クロは満足そうに喉を鳴らしている。
その音を聞いているうちに、私の方が毒気を抜かれてしまったらしい。
気づけば微睡んでしまったらしく、目を覚ました頃には日は大きく傾いていた。
「やっば! クロ、起きて! 行くよ!!」
飛び起きて荷物を掴む。クロは眠そうにしながらも、すぐさま立ち上がり、軽い足取りで歩き出す。
一方、焦りすぎた私は——部屋を出ようとして足がもつれ、派手に床へダイブした。
「いててて……。もう、焦るとこれよ……」
前方でクロが小さく鼻を鳴らした。
……今、鼻で笑ったわね?
宿の主人に礼を言い、全力疾走で馬車の発着所へ向かう。
通り過ぎる人たちの視線が痛いが、気にする余裕なんて一ミリもない。
(ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ! 間に合う!?)
「ヴァルグリム行き、出発だよー!」
「の、乗りまーす!!」
滑り込みセーフ。御者に代金を払って乗り込もうとすると、待ったがかかった。
「あ、ちょっとお姉さん! 困るよ、従魔の分も払ってもらわなきゃ」
小さい魔獣ならともかく、クロの体格では大人一人分の座席を占領してしまう。
当然の理屈だ。
追加で銀貨四枚を支払い、昨日の金貨の残りが早くも銀貨二枚になってしまったことに溜息が出る。
……やっぱり普通の便にすべきだったかしら。
いや、お金は稼げばいい。けれど、時間は戻らない。
あの子たちがいるかもしれないなら、一秒でも早く着いて情報を集めなきゃ。
潜入捜査も大事だが、私にとっての最優先は子供たちだ。
(あの子たち、ちゃんとご飯は食べられているかしら。痩せていない? 喘息の発作は? どこか怪我なんて……)
考えが巡るほどに胸が締め付けられ、胃がずん、と重くなる。
すると、隣に座ったクロが私の膝に頭を乗せてきた。
「……撫でてほしいの?」
やけに甘えてくるわね、と不思議に思いながらその頭を撫でる。
ゴロゴロという低い振動が伝わってくると、不思議と波立っていた心が凪いでいき、熱くなった頭が冷えていくのが分かった。
……あぁ。甘えているんじゃなくて、「頭を冷やせ」ってことね。
クロの底知れなさに、やっぱり敵わないわと独りごちた。
夜が深まり、星が爛々と輝く頃、馬車は最初の宿場町へ到着した。
御者がテキパキと馬を交代させ、自身も次の者へバトンタッチする。
一時間もしないうちに馬車は再び闇の中へと走り出した。
夜間の走行に魔物の心配をしたが、急行馬車はかなりの強行突破だ。
要所に金属補強が施された車体は猛烈なスピードで突き進み、たまに飛び出してくる小型の魔獣などは、そのままの速度で轢き殺していく。
なんともワイルドというか、凶悪な乗り物だ。
乗り心地は最悪だし、ひき逃げ犯になったような気分で、正直あまり精神衛生上よろしくない。
夜が明け、陽が高くなっても馬車は止まらない。
昼前になってようやく二つ目の宿場町に止まった。
馬の交代を待つ間、ガチガチになった身体をほぐす。
「いたたた……腰とお尻が砕けそう……」
ストレッチをしながら、干し肉をクロと分け合って齧る。
あと少し。
あと少しでヴァルグリムだ。
再び走り出した馬車の中で、私は窓の外を見つめ続けた。
次第に日が落ち、とっぷりと暮れた頃——ようやく、遠くに街の明かりが見えてきた。
鍛冶場が多いからだろうか。
夜だというのに、その街は王都とは違う、どこか赤みを帯びた熱っぽい光を放っている。
近づくにつれ、街の明かりで闇夜にぼうっと浮かび上がる城壁や、見張り塔。
それだけでどれだけ大きいのか分かる。
王都グランヴェルにも引けを取ならない大都市ヴァルグリムに、ようやくたどり着いた。
絶対、見つける
子供の情報だけでも。
なにか絶対掴んでやる。
期待と覚悟を胸に街へと馬車は入っていった




