第五十三話 有能すぎる紳士
やっとギルドマスターの重圧から解放され、執務室の外へ出してもらうことができた。
扉が閉まった瞬間、私はその場にへなへなと崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。
「つ、疲れた……」
ギルドマスター・ロルフさんの放つ威圧感は、もはや物理的な質量を持っているかのようだった。
同じ部屋にいるだけで気圧され、全身の毛穴が収縮するような緊張感に、魂が削れる思いだった。
その点、我が相棒はといえば。
「あんた、本当に豪胆よねぇ……」
呆れて視線を向ければ、クロは廊下でも優雅に毛繕いをして、ゆったりと構えている。
強いからこそなのだろうが、もしロルフさんとやり合ったら、一体どちらが勝つのだろう。
そんな恐ろしい想像が脳裏をよぎったが、ヴェンデリンさんの落ち着いた声に我に返った。
「ミサキさん、大変お疲れ様でした。今からギルドの裏口へご案内いたします。今日はそちらから出てください」
「え? なぜですか?」
「ギルドマスターの執務室から正面玄関へ戻るには、必ず冒険者たちがたむろするフロアを通らなければなりません。今あそこへ出れば、ギルバートさんの報告を聞いた連中と、現場を見ていた者たちがさらに騒ぎ出すでしょう」
「あぁ……」
また変な二つ名が、尾ひれはひれをつけて爆誕する。想像しただけで顔がしかんだ。
「今ミサキさんへ注目が集まるのは、潜入捜査の件もありますし、避けたいのです。顔が割れすぎてしまっては、後々支障も出てくるでしょう」
「そうですね。私もそれは避けたいです」
「ギルバートさんたちへは、私から厳重な箝口令を敷きますので、ご安心ください」
「ありがとうございます。……他の冒険者の方たちは?」
「そちらは何もしない方がいいでしょう。下手に口封じをすればかえって邪推を招き、余計な注目を浴びる恐れがあります」
……この人、やっぱりものすごく頭が切れる。
もはや、潜入捜査もヴェンデリンさんが行けばいいんじゃないかしら。
「……私は潜入捜査はできませんよ」
「へっ!? え? 私、今、声に出てましたか!?」
「いえ。ミサキさんは、心の中が顔に出やすくて分かりやすいだけです」
微笑むヴェンデリンさんに、私はガーンと衝撃を受けた。
「えぇ……それじゃあ潜入捜査にはかなり不向きでは……」
「まぁ、そこも『らしくない』から良いのでしょう。相手の警戒を解く武器になりますよ」
「そんなものですか?」
「そんなものですよ」
ふふっと上品に笑うヴェンデリンさんの破壊力たるや。
く……っ!
私が人生経験が浅い子供だったら、今のでコロッと騙されて、どこまでもついて行ってしまうところだ。
危ない危ない。
足元から、クロの「何をデレデレしてるんだ」と言わんばかりの冷ややかな視線を感じたが、私は全力で知らんぷりを決め込んだ。
ヴェンデリンさんに裏口へ案内してもらい、宿も指定のところに泊まるよう指示を受ける。
なんと! 料金はギルド持ちだという!
なんて高待遇! ありがたや、ありがたや。
さっそく指定された宿へ向かう。
しかし、流石王都。
人でごった返している。もう夕方だと言うのにこの人だかりだ。
あ、あっちでいい匂いが……。
今度行ってみようか。
とにかく今は宿に行ってすぐにでも休みたい。
疲れた……
目移りしながらも、宿へ着く。
ようやく辿り着いた宿は、大通りから一本入った路地裏にあり、一見するとどこにでもあるごく普通の店構えだった。
これなら駆け出しの私が泊まっていても、周囲に変に邪推されることもないだろう。
「すみません、今晩泊まりたいんですが」
宿の主人へ声をかけると、私とクロをチラっと見て
「あぁ……二階の奥を使いな」
とぶっきらぼうに言われた。
礼を言ってお湯をお願いし、部屋へ行く。
……おぉ、外観の素朴さに反して、部屋の中は隅々まで手入れが行き届いている。
何よりベッドの質が、今までの宿とは比べ物にならないくらい良さそうだ。
早く寝たいが、まだまだきれいとは言えない状態だ。
装備を外し、傷がないかチェックする。
するとドアをノックする音がした。お湯を持ってきてくれたらしい。
「あ〜……サッパリした!」
お湯はもう黒いのか赤いのかよく分からない色に染まっている。
クロはお腹が空いているのか、非常に機嫌が悪そうだ。
「はいはい、行きますよ」
本当はもう寝てしまいたいが、相棒が許してくれそうもない。
宿の食堂へ行き、食事をする。
クロは肉。私は具だくさんスープとパンだ。
染みるなぁ……。
お腹が膨れるともう眠気は限界に来ていた。
ベッドへ倒れ込む。
あぁ、やっぱりこのベッド、ふかふかだ。
次の瞬間には泥のように眠っていた。




