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神は愛を知らない 〜異世界に飛ばされた主婦が、それでも子供を探し続けた記録〜  作者: 忠犬
迷子の母

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第五話 はじめての仕事

翌朝。


「ほら、さっさと起きろ。日が昇るぞ」


ぶっきらぼうな声に叩き起こされる。


「……はい、今行きます……」


昨夜は男の家に泊めてもらった。

男の名はハッサン。

一緒に住んでいる年配の女性は、母親のアリアさんだ。

この世界では、貴族でもない限り苗字を名乗る習慣はないらしい。

「サトウ」という響きが馴染まなかったのも道理だ。

二人とも、素性の知れない魔獣連れの不審者を受け入れてくれる、相当なお人好しだ。

……態度はかなり、ぶっきらぼうだけど。

重い体を引きずりながら外へ出ると、ひんやりとした朝の空気が停滞していた思考を少しだけ呼び覚ましてくれた。

村の外れには、昨日と変わらぬ場所にクロがいた。


「……おはよ。寒くなかった?」


声をかけると、金色の瞳が静かにこちらを向く。相変わらず返事はないが、私が「行こうか」と促すと、彼は音もなく立ち上がった。


「いいか、これが薬草だ」


森の中、ハッサンがしゃがみ込み、足元の草を指差した。


「葉が三枚。縁はギザギザ。で、この匂いだ」


彼が摘み取って鼻先に突き出してきたそれは、青臭いというより、胃が捩れるような苦い匂いがした。


「これが傷に効く。似たような草には毒もあるからな、絶対に間違えるなよ」

「……怖いわね。わかった」


私は真剣に頷いた。一つ間違えれば、稼ぐどころか誰かを殺してしまうかもしれないのだ。


「で、こっちがダメなやつだ」


少し離れた場所にある草。

……似ている。

三枚葉で、ギザギザ。


「……どこが違うの? 全然分かんないわよ、これ」

「よく見ろ。色が少し薄いだろ。あと匂いだ。こっちは少し甘い匂いがする」


手にとって見比べてみるが、色の違いなんて誤差の範囲にしか見えない。

……分かるか、こんなもん!

くんくん、と鼻を近づける。

確かに、言われてみればほんのりと甘いような……気がしなくもない。


採取が始まった。

しゃがんで、探して、摘む。

パートで鍛えた「単純作業の繰り返し」なら得意分野のはずなのに。


「……ない。見つからない」


似たような草はいくらでもあるのに、確信が持てる「薬草」がまるで見つからない。


「これかしら……。いえ、匂いが少し違う気がする」


迷っては嗅ぐの繰り返し。

焦りばかりが募っていく。

体力には自信がある。

しゃがむ、立つ、歩く。

その動作自体は、スーパーの品出しに比べればなんてことはない。


「……身体を動かすことなら、いくらでもやれるのに」


量をこなす自信はある。

けれど、肝心の「目利き」ができない。

このもどかしさは、ベテランのレジ打ち担当が新人の棚卸しを見守る時の気分に近い。

その時だった。

すん、とクロが地面の匂いを嗅ぎ、ゆっくりと前足で茂みを押し分けた。その下に――。


「あ、三枚葉……ギザギザ」


恐る恐る摘んで匂いを嗅ぐ。あの、顔を顰めたくなる苦い匂い。


「……当たりだ」


思わず顔が綻ぶ。


「クロ、あんた……分かるの?」


黒豹は何も言わない。

ただ、少しだけ誇らしげに(見えただけかもしれないが)顔を逸らした。


「……ありがと。助かるわ」


それからは、作業が劇的にスムーズになった。

クロが“それっぽい場所”を見つけ、私が最終確認をして摘み取る。


「……これって、ある種のチートじゃない?」


思わず苦笑する。

けれど、なりふり構っていられる状況ではない。

私はクロとの連携で、黙々と籠を埋めていった。

昼過ぎ。


「どれ、見せてみろ」


ハッサンが籠を覗き込み、少しだけ驚いたように眉を上げた。


「……ほう。思ったよりちゃんと取れてるな。初日にしちゃ上出来だ」

「本当ですか!? よかった……」


肩の力が抜けた。ほんの少しだけ、この世界に認められた気がした。

その帰り道。ふと、足元に白いものが落ちているのが目に入った。


「……骨?」


小さな動物のものだろうか。

バキバキに噛み砕かれたような生々しい跡。


「……」


その横で、クロが静かに立ち止まっている。


「……ハッサン。この辺って、“マシ”なほうなのよね?」

「ああ。村の近くはな」

「……もっと奥は、もっと“いる”ってことね」


答えは聞かずとも分かった。

ここは、安全な場所ではない。

たまたま運良く、クロに助けられて、ハッサンに拾われて、生きているだけなのだ。


「……帰るぞ」


ハッサンの言葉に促され、私たちは村へと引き返した。

村の広場には、荷馬車を引いた数人の男たちがいた。ちょうど村に立ち寄っていた行商の連中らしい。

村人たちが集まり、毛皮や干し肉を差し出しては、何やら交渉をしている。


「……あれが、行商?」

「ああ。運が良かったな。あいつらがいない時は、村で現金を拝むことなんて滅多にねぇぞ」


ハッサンは私を促し、恰幅のいい商人へと近づいた。


「おい、こいつの分も見てやってくれ。初採取の薬草だ」

「どれ……」


商人は私の籠を覗き込み、無造作に薬草を掴んで匂いを嗅いだ。


「ふん、まあまあの品質だな。だが、最近はどこの村でも薬草は余り気味でね。この量なら……これくらいだ」

差し出されたのは、掌に収まる程度の、使い古された銅貨が5枚。


「……これだけ、ですか?」


思わず、落胆が声に漏れた。


「嫌なら置いていけ。次の村に行けばもっと安く買い叩かれるぜ」


商人は鼻で笑い、さっさと次の村人の対応に移ってしまった。


「……はぁ」


あまりの軽さに、ため息がこぼれる。一日中腰を曲げて、魔獣の影に怯えながら歩き回った報酬が、これっぽっち。


「……最初はこんなもんだ。あるだけマシだろ」


横からハッサンがぶっきらぼうに言った。

その言葉に、私はハッサンを少しだけ見上げた。


「……そうね。ゼロじゃないだけ、マシね」


自分で稼いだ、初めてのお金。

私はその重みのないコインを、壊れ物を扱うようにぎゅっと握りしめた。

これでは旅の資金を貯めるどころか、今日を生き延びるだけで精一杯。



村の外、クロの隣に座る。


「ねえ」


夕闇に染まり始めた空を見上げながら、独り言をこぼす。


「先、長そうね」


黒豹は何も言わない。

けれど、その温かい存在が隣にあるだけで、沈みそうだった心が少しだけ浮上する。


「……明日もやるわよ。稼いで、情報集めて……あの子たちを見つけ出すまで」


風が吹き、森が低くざわめく。どこか遠くで、地響きのような唸り声が響いた。

森の奥に目を向けるが、暗闇がすべてを飲み込んでいて何も見えない。けれど、確かに“いる”。


「……いつか、戦わなきゃいけない時が来るんでしょうね」


クロの尻尾が、一度だけ力強く揺れた。

その時がいつ来るかは分からない。

それでも。


「……今は、やれることをやるだけ」


私は立ち上がり、一歩を踏み出した。

まだ、武器も魔法も持っていないけれど。

それでも母は、現実という名の戦場へ向かっていく。

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