第四話 見つからない現実
2026/4/9
ちょっと手を加えました。
森を抜けた先に、それはあった。
「……これが、村……」
思わず足を止める。
木を組んだ簡素な家々。
煙突から棚引く細い煙。
遠くから聞こえる、無邪気な子供の笑い声。
――どこにでもある、人の営み。
そのあまりに当たり前で、今の私には手の届かない光景に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
「行くぞ」
先導する男が、振り返らずに促す。
「あ、はい!」
慌てて後を追う。村の入り口に差し掛かったその時、男が手を上げて制した。
「……おい、待て。そいつは、ここで待たせろ」
視線の先には――クロ。
「え?」
「村にそんな魔獣を連れ込めるか。大騒ぎになる」
言われてみれば、その通りだ。今まで連れて歩いていた自分の感覚の方が麻痺していた。
「……クロ、ここで待ってて。すぐ戻るから」
振り返って声をかけると、黒豹はじっと金色の瞳でこちらを見つめた。
数秒の沈黙。
やがて、クロは観念したように、ゆっくりとその場に伏せた。
「……えらいわね」
思わず呟くと、男が底知れないものを見るような顔をした。
「……本当にお前の言うことを聞くんだな」
「たぶん……いえ、そうみたいです」
自分でも不思議に思いながら、私はクロに背を向けた。
温かい背中が遠ざかることに、少しだけ心細さを感じながら。
村の中は、想像していたよりもずっと“普通”だった。
人がいて、家があって、誰かが洗濯物を干している。それだけで、涙が出そうになるほど安心する。
「おーい! 誰かいるか、ちょっといいか!」
男の呼びかけに応じ、一軒の家から年配の女性が顔を出した。
「なんだい、騒がしいねぇ……って」
女性は私を見るなり、不審なものを見る目でじろじろと上から下まで眺め回した。
「……見ない顔だねぇ」
「森で拾った。道も分からんらしい」
「拾ったって……あんた、迷子の子猫じゃないんだから」
呆れたように言いながらも、女性は近づいてくる。
「大丈夫かい? 怪我はないのかい?」
「あ、はい……大丈夫です。それより――」
私は堪えきれず、一歩前に出た。
「子供を探しているんです。男の子が二人、ここらへんに迷い込んだりしていませんか?」
祈るような思いで問いかける。だが、女性の表情からすぐに答えが読み取れた。
「……いや、見てないねぇ。最近、よそ者はあんたが初めてだよ」
「……そう、ですか」
分かっていた。
そんな都合よく、村の入り口で息子たちが遊んでいるなんて話、あるわけがない。
けれど、突きつけられた現実に、心臓が冷たくなる。
「あんた、名前は何てんだい?」
「あ……サトウ、です」
「サトー? 変わった名前だねぇ」
やっぱり苗字は馴染みがないらしい。
「あ、ええと……ミサキ、と呼んでください。他の皆さんに聞くことはできますか?」
「ミサキね。畑の方に何人かいるよ、ついてきな!」
それから、畑や広場を回って必死に聞き歩いた。
けれど、返ってくるのは
「知らない」
「見てない」
「聞いたこともない」
という言葉の羅列。
気づけば、村の端。
誰もいない場所に立っていた。
「……はぁ」
一気に肩の力が抜ける。
視界が、じわりと熱を帯びて滲んだ。
「……いない。そっか……そうだよね」
一瞬だけ、膝をつきそうになる。
けれど、私はぐっと拳を握りしめた。
「……探すって、言ったんだから」
自分に言い聞かせるように、震える声で呟く。
「どこにいても、見つけるって……約束したんだから!」
泣いている暇なんてない。
次に進むための方法を考えなきゃ。
「おーい、ミサキ! 今後の話をしよう」
さっきの男が手を振っている。
私は袖で乱暴に目を拭い、前を向いた。
「で、あんた」
男は腕を組んで、現実的な問題を突きつけてきた。
「金はあるのか?」
「……え?」
きょとんとする私に、男は呆れたように鼻を鳴らす。
「子供を探して旅をするにも、腹は減るんだ。飯も宿もタダじゃねぇぞ。その様子じゃ、財布の一つも持ってねぇんだろ?」
……お金。
そうか、どこの世界にいたって、タダで生きてはいけない。
私は自分の姿を見下ろした。
パート帰りの、履き古したジーンズにスニーカー。
財布もバッグも、あの事故の衝撃でどこかへ飛ばされてしまった。
「……ない、です。何もかも、無くしてしまって」
正直に答えると、男は深いため息をついて、ガリガリと頭を掻いた。
「だろうな。あんたみたいな『お貴族様』が、一人でこんなとこにいること自体がおかしいんだ」
お貴族様。
どうやら、この村の粗末な麻の服に比べれば、私の履いているジーンズ――丈夫で均一な青い布は、どこの馬の骨かも分からないほど「高価で特別な生地」に見えているらしい。
「とりあえず、この辺で稼ぐしかねぇ。……薬草だ」
「薬草……?」
「森に生えてるやつを採って、時々来る行商に売るんだ。見分け方さえ覚えりゃ、あんたでも多少の小銭にはなる」
男は、明らかに面倒くさそうな顔をしていた。
けれど、放り出さずに「稼ぐ手段」を提示してくれるあたり、この人は相当なお人好しなのだろう。
「……いいんですか? 教えてもらっても」
「ふん。目の前で行き倒れられたら、村の縁起が悪い。さっさと覚えろ」
ぶっきらぼうな言い方だったけれど、その言葉は、今の私にとってどんな魔法よりも心強く聞こえた。
「ありがとうございます……! よろしくお願いします!」
村の外へ出ると、クロが変わらず静かに伏せていた。
「……ただいま、クロ」
声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
「ねえ、クロ。やること決まったわよ」
子供は見つからなかった。
「心の糧」だったアニメもゲームも、もうここにはない。
けれど。
「しっかり稼いで、次の町へ行く。あの子たちを、こんな不便なところに放置しておけないもん」
ジーンズのポケットに手を突っ込み、私は前を見据えた。
クロは何も言わず、ただ静かに寄り添うように立ち上がる。
その太い尻尾が、一度だけ、力強く地面を叩いた。
「行くわよ、クロ」
現実は甘くない。お金もない。
けれど、母のサバイバルは、ここから本格的に幕を開ける。




