第三話 初めての異世界人
2026/4/9
ミサキの心情が薄っぺらかったので、もっと書き込みました。
草をかき分け、クロの後をひたすら追いかける。
「……なんでこんなことになったのよ、もう」
私、何か悪いことした?
子供たちを学校に送り出して、パートに行って、
「佐藤さん、体力あるから助かるわ〜」
なんておだてられて、調子に乗って重い荷物もバンバン運んで。
夕飯を作って、習い事の迎えに行って――。
「……っ」
不意に、あの瞬間の光景がフラッシュバックした。
耳をつんざく急ブレーキの音。
こちらへ突っ込んでくる、制御を失った鉄の塊。
「……ちょっと待って。あれ、完全にあの車のせいじゃない!?」
怒りがじわじわと込み上げてきた。
ふざけないでよ! せっかく今夜は子供たちが寝た後、録り溜めていたアニメを見る予定だったのに!
新作のゲームだって、まだ序盤もいいところなのに!
「……あ」
気づいてしまった。
この世界に、テレビはない。
Wi-Fiなんて飛んでるはずもない。
もちろん、私のスマホも、Switchも、ブルーレイレコーダーも、ここにはない。
「……死んだ」
ぽつりと呟いた言葉が、虚空に消える。
命が助かったとか、そんなことじゃない。
私の明日を支えていた「心の糧」が、今、この瞬間、完全に死んだのだ。
「私の生きがい、全部消えたんだけど……」
真っ白になる頭。
肉体が生き残った喜びよりも、推しに会えない、物語の続きが知れないという絶望が、冷たい泥のように心に溜まっていく。
「……って、それより! 今はそれどころじゃないわよ!!」
無理やり顔を叩いて、沈みそうな心を現実に引きずり戻す。
そう、オタ活の死を嘆くのは後だ。今は、子供たちの命がかかってるんだから。
ぶんぶんと首を振って、思考を切り替える。
子供たちは? 巻き込まれてない? 怪我は?
まさか、あの子たちまでこっちに来ているなんてことは――。
周はしっかりしてるけど、まだ10歳。
渉は……おバカで直情的な8歳。
「あんな化け物に会ったりしてたら……」
喉の奥がキュッと締まる。
どうか、無事でいて。
気がつけば、いつの間にか草原は途切れ、周囲は深い木々に囲まれていた。
「……森?」
湿った土の匂い。日光を遮る高い枝葉。嫌な予感しかしない。
前を歩くクロは、相変わらず振り返りもしないが、私が遅れると歩調を緩めている。
「……本当に、ついて来いってことなのね」
半分呆れながらも、唯一の「命の恩人(恩獣?)」を信じて進む。
その時だった。
ガサリ、と。
前方の茂みが大きく揺れた。
「……っ!」
反射的に身構える。
クロもぴたりと足を止め、喉の奥で低く唸った。
数秒の沈黙。現れたのは――“人”だった。
粗末な布の服を纏い、背中には山菜の入った籠。手には鎌。
「……人間……?」
思わず声が漏れた。
相手もこちらに気づき、一瞬、時が止まる。
そして。
「う、うわああああああああっ!?」
男は悲鳴を上げ、脱兎のごとく逃げ出した。
「え、ちょ、待って! 待ってってば!」
反射的に追いかける。逃げられたら終わりだ。この世界で初めて出会った、生身の人間なんだから!
「お願い! 話を聞いて! 襲わないから!!」
必死の叫びに、男の動きがわずかに鈍った。
「お願い、止まって! 迷子なの!!」
男が恐る恐る振り返る。だが、その視線は私ではなく、私の背後に向けられていた。
「……あ」
振り返ると、そこには悠然と歩いてくるクロの姿。
「ち、違うの! この子、味方で――!」
言い終わる前に、男は再び全速力で走り出した。
「だから待ってってばぁぁぁぁ!!」
半泣きで追いかけっこをすること数分。
ようやく男が息を切らして足を止めた。私も膝に手をつき、肩で息をする。
「はぁ……はぁ……あの、話……聞いてもらえませんか……」
男は震えながら、ちらちらとクロを盗み見ていた。
「……あんた、変な格好をしてるから魔族かと思ったが……違うのか……?」
心臓が跳ねた。
「……え、ちょっと待って。今、なんて?」
「言葉……分かるのか?」
その瞬間、全身の力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。
通じている。
翻訳魔法か何か知らないけれど、私の言葉が届いている。
「よかった……よかったぁ……」
「……あんた、どこから来たんだ?」
男が警戒を解かないまま尋ねてくる。
「それが、自分でも分からなくて。気づいたら草原にいて……子供とはぐれてしまったんです」
「子供……?」
「10歳と8歳の男の子です。……見かけませんでしたか?」
祈るように問いかけたが、男はゆっくりと首を横に振った。
「……いや、この辺りじゃ見てねぇな」
「……そう、ですか」
分かっていたけれど、胸に小さな刺が刺さる。
「……すみません、驚かせてしまって」
視線を落とすと、男は少しの間沈黙し、それからボリボリと頭を掻いた。
「……村に来るか?」
「え?」
「ここじゃ、日が落ちたら終わりだ。あんたみたいな丸腰の女が一人でいていい場所じゃねぇ」
男は、私の後ろで静かに座っているクロを、引きつった顔で見やった。
「……そいつのことは、信じられねぇが……村長に判断を仰ぐしかねぇな」
「ありがとうございます! ちゃんと大人しくさせますから!」
「……ほんとに大丈夫なんだろうな、それ。どう見ても並の魔獣じゃねぇぞ」
「たぶん……いえ、きっと大丈夫です。悪い子じゃないので」
根拠はない。けれど、あの金の瞳を信じたかった。
私は立ち上がり、クロの頭を軽く撫でようとして――空振りした。
「行くわよ、クロ」
黒豹は鼻を鳴らし、悠々と歩き出す。
その背中を追いながら、私は強く前を見据えた。
子供たちを探すための、最初の一歩。
森の奥へ、奇妙な三人の影が進んでいく。




