第二話 喋らない相棒
2026/4/9
少し分かりにくかったところを修正しました。
「……助けて、くれた……のよね?」
黒い獣を前にして、そんな言葉が自然と漏れた自分に少し驚く。
普通なら逃げるか、叫ぶか、腰を抜かす場面だ。でも今は、恐怖よりも先に「命を拾った」という実感が、震える膝を辛うじて支えていた。
「……ありがとう」
荒い息を整えながら、私は精一杯の感謝を口にした。
黒いそれは、じっとこちらを見つめている。
金色の瞳。
感情があるのかないのか分からない、底知れないほど静かな目。
「……いや、分かってる。通じないわよね、こういうの」
苦笑いして視線を逸らす。でも、言わずにはいられなかった。
少しだけ、距離を詰めてみる。
びくり、と私の身体が強張った。
(やっぱり、怖い……)
近くで見ると、その異質さが際立つ。
大きい。そして、美しい。
しなやかな筋肉の付き方も、放たれる威圧感も、さっきの化け物とはまるで違う。
――格が違う。
本能がそう告げている。
「……ねえ。ここがどこか、心当たりがあったりする?」
当然、返事はない。
黒豹は、ふいっと興味なさげに視線を草原の彼方へと投げた。
「……ですよねぇ」
一人でボケて一人で納得する。虚しい。
沈黙。
風の音だけが、ざわざわと草原を波立たせていく。
――ダメだ。立ち止まっている場合じゃない。
「……あの子たちを、探さないと」
ぽつりと呟いた、その瞬間だった。
黒豹の耳が、ぴくりと動いた。
「……?」
気のせいだろうか。
じっと見守っていると、黒豹はゆっくりと、射抜くような視線をこちらへ戻した。
「……あんた、どこかへ行くの?」
問いかける。数秒の、奇妙な「間」。
それから――。
黒豹は、くるりと鮮やかに背を向けた。
「……え」
迷いのない足取りで、彼は歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って! どこ行くの!? ねえ!」
慌てて後を追いかける。
黒豹は振り返らない。けれど、私が追いつける程度に、ほんの少しだけ歩調を緩めた気がした。
「……これって、ついて来いってこと?」
いやいや、家事の合間にラノベばかり読み漁っていたから、ついそんな考えが浮かんだけれど、あんな都合のいいことあるわけが――。
でも、この見知らぬ世界で唯一、言葉のニュアンスを感じ取ってくれた(気がする)相手なのだ。
「……はぁ、もう。分かったわよ、行けばいいんでしょ!」
半分やけくそで叫ぶ。
すると、黒豹の耳がまたぴくりと反応した。
――やっぱり。気のせいじゃない。
私はその背中を必死に追いながら、ふと考えた。
(名前……どうしようかな)
このまま「あんた」とか「獣さん」と呼ぶのも締まらない。
「……黒いし、クロ。……いや、安直すぎる?」
でも、今の私の混乱した脳みそには、それ以上のネーミングセンスは残っていなかった。
「ねえ、クロ!」
試しに呼んでみる。
黒豹は――一瞬だけ、ぴたっと足を止めた。
「……あ」
やっぱり。通じてる。
少なくとも、自分に向けられた「音」だとは認識している。
「クロ、ね。あんた、今日からクロよ。決定!」
強引に押し切ると、クロは(呆れたのかどうかは分からないが)再び前を向いて歩き出した。
その大きな背中を見つめながら、私は小さく息を吐き出す。
怖い。
分からないことだらけ。
胃がキリキリするような不安。
でも。
「……絶対、見つける。あの子たちを、泣かしたままにはしておかない」
誰に誓うでもなく、私は確かに言い切った。
「どこにいても、お母さんが絶対に見つけるから」
風が強く吹き抜ける。
緑の波がうねる中、一人と一匹は進んでいく。
まだ、この世界の残酷さも優しさも何も知らないまま。
それでも、母は一歩を踏み出した。




