第四十四話 白亜の都へ
サンティールの東門を抜けた翌朝、私たちは北の街道へと足を踏み出した。
昨日の不気味な出来事は、まだ心の隅に冷たい塊として残っているけれど、隣を歩くクロの規則正しい足音と、新調した背負い袋の確かな重みが、私を現実へと繋ぎ止めてくれていた。
「さあ、行きましょう。次は首都グランヴェルよ」
そこからの五日間は、驚くほど順調だった。
とはいえ、それは決して楽な旅という意味ではない。荷物を最小限にするため、調理器具の類は一切持たず、食事はサンティールで仕込んだ味の薄い保存食で済ませた。
煮炊きをすれば匂いが魔獣を呼び寄せるため、火を起こすのも最低限。
そんなストイックな旅の作法も、気づけば身体に染みついていた。
何より、あの時時間をかけて吟味した新しい装備が、その真価を発揮していた。
五日間歩き通しても、新しいブーツは驚くほど足に馴染み、革の胸当ては身体の動きを妨げることなく、旅人としての安心感を与えてくれた。
道中、何度か野犬やはぐれゴブリンの気配を感じることもあった。
けれど、そのたびにクロが鋭く鼻を鳴らし、あるいは視線で茂みの奥を指し示してくれる。
私が身構えると、クロはそれ以上は手を出さず、少し離れた場所から静かに私を監視した。
彼は私を助けない。
あくまで私自身がこの世界で生き抜く力をつけるよう、突き放し、見守っているのだ。
(……甘えてちゃダメね。一人で飛び出したあの時、どれだけ自分が無力だったか、忘れたわけじゃないでしょ)
クロの「無言の指導」に応えるように、私は一歩一歩、自分の力で道を進んだ。
緊張感のある旅路の中で、隣を歩くクロとの間には、言葉を超えた信頼が積み重なっていった。
旅の五日目。
それまでの土の道が、唐突に、整然と並んだ石畳へと変化した。
「……あ」
一歩踏み出した瞬間、靴の裏から伝わる感触が劇的に変わった。
土の道では吸収されていた衝撃が、ダイレクトに膝へと響く。
コツコツと高く響く自分の足音は、都会に来た実感を抱かせてくれるけれど、歩く身としてはなかなかに厳しい。
(……痛っ。石畳って、こんなに足にくるのね)
土の道がいかに足に優しかったかを痛感する。
けれど、横を通り過ぎていく馬車を見れば、その理由もなんとなく分かった。
ぬかるみもなく、車輪がスムーズに転がっていく。
重い荷物を運ぶ馬車にとっては、この硬さこそが正義なのだろう。
(歩く人間には優しくないけど、物流を考えたらこっちの方が効率的なのね……。主婦時代の買い物カートも、ガタガタ道よりスーパーの床の方が楽だったものね)
そんな妙な納得をしながら、緩やかな丘を越えた。
視界が開けた先——地平線の向こう側に、日の光を浴びて輝く白亜の城壁が姿を現した。
「あれが……グランヴェル」
遠目からでもわかるその巨大さは、サンティールとは比べ物にならない。
門へと近づくにつれ、その威容にさらに息を呑む。
天を突くような見張り台、街を囲む分厚いレンガの壁。
今まで見てきた町とは、積み上げられた歴史も石の数も一線を画している。
そして何より、人の数が桁違いだった。
行き交う人々の中には、一目で手練れだと分かる冒険者の姿も多い。
揃いの鎧を纏い、街を巡回する騎士団の鋭い眼光が、この大都会の規律を物語っていた。
門をくぐった瞬間、押し寄せるような人の熱量と喧騒に気圧される。
「着いた……」
私は改めて深呼吸をし、気を引き締め直した。
期待と緊張を胸に、私は足の裏に伝わる石畳の硬い感触を確かめながら、未知なる都へと力強く踏み出した。




