第四十話:不穏な噂
ギルド受付までの道が開けたので、待ち時間もなくたどり着くことができた。
ラッキー!
……と手放しに喜ぶには、「惨殺者」の名が広まっている現状は、あまりに不服だけれど。
結果として、期待していた子供たちの情報は入っていなかった。
残念だが仕方がない。
今はヴァルグリムの街での噂が唯一の、そして最大の頼みの綱だ。
ただ、収穫もあった。
水場での一件が、『無敗の四狼』の手によって既に詳細に報告されていたのだ。
野盗の捕縛には報奨金が出るそうで、その一部――いや、大部分が私の懐に入ることになった。
「銀貨八枚……。臨時収入にしては、かなり大きいわね」
なんでもあのドゥラークたち、驚くほど真面目に報告したらしい。自分たちの不手際も隠さず、「戦功の八割はミサキにある」と証言したのだとか。
(まあ、あの人たち何もしてなかったし、妥当と言えば妥当なんだけど……。でも、嘘を吐いて横取りしなかったのは、素直に感心するわね)
少しだけ彼らを見直しつつ、ずっしりと重い銀貨の袋を仕舞い込む。これからの路銀はもちろん、魔獣に対応するための装備を整える必要もある。
主婦にとって、予算が増えるのは何よりの心の余裕に繋がった。
受付では、驚くほど好意的に接してもらえた。
どうやらラクトの町での評価——主にイルダさんの送った報告書の内容が、極めて優秀だったらしい。
(イルダさん、本当にありがとう……。あっちに帰ったら、何か美味しいものでもお礼したいわ)
懐かしい顔が思い浮かび、ふっと気が緩みそうになる。けれど、即座に厳しい表情のガイルが脳裏をかすめ、私は慌てて気を引き締めた。
ギルドでおすすめの宿屋を聞き、とりあえずそちらへ向かう。
その道中、露店でリンゴのような果物――「ポムの実」というらしい――が並んでいるのを見つけ、三つほど購入した。
銅貨三枚。
少し高い気がしたが、久しぶりの甘味だ。
これくらいの贅沢はバチも当たらないだろう。
ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐる。
「……いい香り。アップルパイが大好きな私には、この匂いは危険すぎるわね」
アップルパイ……食べたい。
宿の厨房を借りて作ろうか?
いや、砂糖はきっと高いはず。それにオーブンだって、日本の電気オーブンのようにはいかない。
火加減を間違えて失敗したら、目も当てられないわ。
「うーん、コストとリスクを考えると……」
腕組みをして唸りながら歩いていると、不意に上着の裾をぐいっと引っ張られた。
「どうしたの、クロ?」
足を止めると、クロが心底呆れたような顔をして溜息をつき、顎で「あっちだ」と指し示していた。
その方向をふと見ると、ギルドで教えてもらった看板がすぐ目の前にあった。
「……あ。考え事してて通り過ぎてたのね。ありがと、助かったわ」
クロの頭をひと撫でして宿に入る。
幸い空き部屋があり、今回はクロと同室で借りることができた。
厩舎に預けるよりは少し高くついたが、払えない額ではない。
(いつも助けてもらってばかりなのに、外で寝かせるのは申し訳なさすぎるもの)
一階の食堂で手早く食事を済ませ、部屋へと入る。
私は買ってきたポムの実を一つ、クロに差し出した。クロはくんくんと匂いを嗅いだあと、前足で器用に押さえつけながら、シャリシャリと美味しそうに食べ始めた。
私はポムの実を丸のまま齧りつき、今後の予定を立てる。
受付での話では、ここから川沿いの街道を西へ真っ直ぐ進めば首都に着くという。
日数はだいたい五日ほど。
街道沿いであれば、それほど危険な魔獣は出ないそうだ。
「とりあえず明日は出発準備に徹して、明後日の朝に出発……ね」
はやる気持ちを抑え、あえて一日の余裕を持たせることにした。無理をして道中で倒れては元も子もない。主婦の旅は、何より安全第一だ。
食堂で軽く食事を済ませ、宿でお湯を分けてもらい、身体を清める。
恒例の「お湯シャン」だ。
「ああ、やっぱり髪がギッシギシ……。洗濯洗剤で洗ったらさらに酷いことになるし、本当にトリートメントが恋しいわ」
自分の手入れを終えたあと、ついでにクロの体も拭いてあげた。
野生の獣だからか、もともとそれほど汚れてはいなかったが、日頃の感謝を込めて丁寧にタオルを動かす。
最初は「何をするんだ」と嫌がっていたクロだったが、次第に観念したのか、最後の方は気持ちよさそうに目を細めていた。
特に耳の後ろを掃除してあげると、喉をゴロゴロと鳴らしてウトウトし始める。
「……ふふ、あんたもお疲れ様」
柔らかいクロの毛並みに触れているうちに、私にも心地よい眠気が襲ってきた。
清潔なシーツ、柔らかな枕。
三日半の野宿の疲れが溶け出していくのを感じながら、私はいつの間にか、そのまま深い眠りに落ちていた。
翌朝、目が覚めると驚くほど体が軽かった。
やはり宿のベッドと硬い地面とでは、疲労の回復量が天と地ほども違う。
一階に降りて朝食をいただく。
ラクトの町の宿の料理も素朴で美味しかったが、こちらも負けてはいない。
料理人の腕というよりは、野菜そのものの瑞々しさが際立っている。
美味しいものは、それだけで人を元気にする。
それはこの世界でも変わらない真理のようだ。
クロも満足そうに喉を鳴らしている。
「さぁ、今日は買い出しに行くわよ。クロはどうする?」
食後、部屋に戻って声をかけると、クロは興味なさげに欠伸をして、そのままベッドの端に丸まってしまった。
「……街から出ないと分かると引きこもるのね」
街の中なら危険はないとの判断だろうか。
一人で外に出た私は、市場を見て回ることにした。
農業の街だが、大きな河が近いおかげで漁業や酪農も盛んなようで、チーズや魚の加工品が所狭しと並んでいる。
ところが、ある露店でチーズを手に取り、値札を見た瞬間、私は思わず眉をひそめた。
「これ、高くありません?」
「だろ? こっちだって好きで上げてるわけじゃねぇんだがな」
店主の男は困ったように肩をすくめる。
「今年は穀物の育ちが悪くてよ。餌代がかさんで、牛を維持するだけで精一杯だ。おかげでこの有様さ」
「……穀物だけなんですか?」
「いや……どうも妙なんだ」
男は周囲を気にしながら、不気味なほど声を潜めた。
「畑もだが、最近は魚も減ってるらしい。漁師どもがぼやいてやがる。ここだけの話……水が原因じゃねぇかって噂もあるんだ」
「水、ですか……」
「ああ。見た目には変わらねぇんだがな。まあ、考えすぎかもしれねぇけどよ」
私は顔を上げ、街を囲う巨大な城壁の向こう――河が流れているはずの、そしてその源流があるはずの方角をじっと見つめた。
ここから川の姿は見えない。
けれど、もし物価の高騰や不作の原因がその「水」にあり、さらにその源が上流にあるのだとしたら。
川の上流にある都市、ヴァルグリム。
そこにいるはずの子供たちの身に、何か良からぬことが起きているのではないか。
不穏な予感に、私の心はざわめき、かき乱された。




