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神は愛を知らない 〜チートなし40代主婦。姿なき我が子を捜して突き進む異世界生存譚〜  作者: 忠犬
第三章 母の迷いと、黒き相棒〜旅立ち編〜

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第三十九話 サンティールの洗礼


サンティールの城門へと続く長い行列。

これまでの静かな街道歩きが嘘のような熱気と、多言語の喧騒、そして家畜の匂いが混じり合う中、私はじっと自分の番を待っていた。

ふと不安になり、懐からラクトの町で手に入れた地図を広げてみる。


「ガイルは川沿いに西に行くって言ってたけど……」


地図の端を指でなぞる。

描き込まれているのは目の前の巨大な壁まで。

その先は、まるで世界が終わっているかのように真っ白な空白が広がっているだけだ。街道の詳しい情報すら載っていない、あまりに簡素な地図。


「地図は自分で作るものだって言われたけど、流石に王国全土の地図がいるわね。迷子になるわ……」


ポツリと零した言葉に、足元で大人しくしていたクロが「ふん」と鼻を鳴らした。

まるでお前には俺がいるだろう、とでも言いたげな態度に少しだけ救われる。


「そうね、あなたがいるものね。……でも、地図は買わなきゃ。高くても、命綱だと思えば安いものよ」


私は炭で汚れた地図の余白に、行列の待ち時間の暇つぶしを兼ねて、今日までに要した移動日数を力強く書き込んだ。

「ラクトからサンティールまで歩いて三日半」と。



挿絵(By みてみん)



一歩ずつ、けれど確実に刻まれていく足跡に、少しだけ胸が熱くなる。

ギルドカードを門番に見せると、驚くほどすんなりと入町できた。

身分証明書のおかげで、入町税を取られることもない。


「ありがたいわね……」


文明の利器ならぬ、組織の利器の恩恵に預かりながら、私は巨大な石造りの町へと足を踏み入れた。

まずはギルドへ行って、地図の購入と情報収集をしよう。

ヴァルグリムまでの道のり、魔獣、治安、気候——聞いておいて損はない。冒険者に直接話を聞けずとも、受付でも少しは聞き出せるはずだ。

それから今晩の宿も目星をつけておかなくては。流石に砂だらけ、汗だらけの体は気持ちが悪い。

町の人にギルドへの道を尋ねながら進む。


この町の主な産業は農業らしい。

王国の六割をこの周辺で賄っているというだけあって、通りに並ぶ露店には新鮮そうな野菜や果物が山積みになっていた。

ラクトでは萎びていた作物も、こちらでは瑞々しく輝いている。


(やっぱり採れたては違うわね。……あとで、あの林檎みたいな果物を買おうかしら)


しれっと横目で品定めをしてしまうのは、もはや隠しようのない主婦の性だろう。

やがて、遠目にギルドの看板が見えてきた。

入り口からは、いかにもといった風貌の荒くれ者たちが出入りしている。

私は意を決して、その騒々しい扉を押し開けた。


「……どこのギルドも、同じような感じなのね」


まだ二つしか知らないけれど、漂う空気感はラクトと大差ない。

受付へ向かって歩き出すと、不意に目の前に大きな壁のような影が立ちふさがった。

ずいぶん背が高いのね、と呑気に見上げていると、頭上から野太い声が降ってくる。


「見ねぇ顔じゃねぇか。どこから来たんだ?」

「ラクトからよ」

「……身なりからして、駆け出しか?」

「そうだけど……どうかしたの?」

男は下卑た笑いを浮かべた。

「先輩に対しての口の利き方がなってねぇじゃねぇか。なぁ?」

男は後ろを振り返り、仲間に同意を求める。

「程々にしとけよ」

「お前、女にもすんのかよ」

「やっちまえー!」


……こいつは、しょっちゅうこんなことをしているのかしら?全く、面倒なのに捕まったわね。


仲間らしき者たちも、野次を飛ばしつつも半分は呆れているようだ。


「ねぇちゃんよぉ、俺の酌をしてくれるってんなら、可愛がってやってもいいんだぜ?」

言うが早いか、男が私の手首を乱暴に掴んだ。

「離してくれる?」

ぐっと引っ張ってみるが、びくともしない。


(強いわね。やっぱり純粋な力比べじゃ負けるわ。仕方ないけど、ちょっとショック……)


などと呑気に構えているうちに、男が自分の方へ引き寄せようと力を込める。

それに合わせ、私はあえて抵抗せずに一歩踏み込んだ。


「お、その気になっ――ッ!?」

そのまま、相手の力を利用して腕を大きく外側へぶん回す。

無理やりひねり上げると、「ぐにっ」と嫌な手応えが伝わってきた。

男の巨体が、自身の勢いと関節の痛みに耐えかねて勝手に前へと転がる。

バランスが崩れたのを見て、私はさらに上から体重を乗せて押し込んだ。


「力だけね」


次の瞬間、大男の巨体は、ギルドの床に凄まじい音を立てて叩きつけられていた。


――一瞬にして、ギルド内が静まり返る。


床に転がった男は、衝撃のあまり口をパクパクと開閉させている。


(……金魚みたいね)


そんな感想を抱いている間に、周囲が急激に騒ぎ出した。

「だっせぇ! あいつ、女に投げられてんぞ!」

「弱すぎだろ!」

そこまでは、よくある酔っ払いの喧嘩への野次だった。けれど、次第に混ざり始める言葉の色が変わっていく。


「……おい、あの女。まさか、例の『惨殺者スローター』か!?」

「スローター? なんだ、有名人なのか?」

「知らねぇのかよ! ラクトの町でゴブリンの群れを一人で『掃除』したっていう、あの……」


……またその名前?


思わず耳を塞ぎたくなるような不名誉な二名が、どうやら私より先にこの町に届いていたらしい。


「げっ! まさか、本当にこっちの町に来てたのかよ!」

ざわざわと広がる動揺。

私は溜息を堪えながら、周囲をそっと見渡した。

すると、そこにはラクトの町で見かけた顔ぶれがチラホラと混ざっていた。


(……あいつらか。犯人は)


あの町で私の戦い(というか掃除)を見ていた冒険者たちが、尾ひれをつけて噂をバラ撒いたに違いない。

私は思わず舌打ちをして、噂の出処であろう男たちをギロリと睨みつける。

彼らは「ヒッ」と短い悲鳴を上げて、目に見えて肩を震わせた。


「……用がないなら、通してくれる?」


転がっている男を跨ぎ、私は受付へと歩き出す。

周囲の冒険者たちが、まるで海が割れるようにモーセの十戒のごとく道を開けていくのが、地味に精神にくる。


(ただの主婦なんだけどなぁ……)


足元では、クロが「やれやれ」と言わんばりに、長いため息を吐いていた。

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