第三十七話 商人の恩義
翌朝、私は昨日よりもずっと暖かく、穏やかな気分で目を覚ました。
心配していたウサギ革による肌のかぶれも見当たらず、まずは一安心だ。
昨晩、クロに頼んで安全確認をしてもらったが、意思疎通が完璧にできているわけではないので、少し心配していた。
「……やっぱり、クロの鼻はすごいのね」
ポツリと零し、まだ寝足りなそうにしているクロの頭をひと撫でする。
「さて、あいつらは大人しくしてたかしら」
いくら頼りないとはいえ、縛り上げられた野盗を見張るくらいはできるだろうと任せておいたのだが、不安がないわけではない。
私は水場の様子を見に岩陰から足を踏み出した。
野盗たちは昨日のまま、芋虫のように転がっていた。
夜風に吹かれて冷え込んだのか、皆一様に縮こまっている。
「あ! ねえさん! おはようございます!」
「まだ寝てて大丈夫だったんですぜ!」
「ドゥラークさん! ミサキさんが来ました!」
水場に近づくと、昨日の取り巻き三人組がわらわらと寄ってきた。
ヘラヘラと笑いながら、あからさまにゴマをすっている。
(なんなの、こいつら……昨日と態度が全然違うじゃない)
私が訝しげな視線を向けていると、商人と話を終えたドゥラークがこちらへ歩いてきた。
「昨日は助かった! あんたがいなきゃあ、俺たちの依頼は完遂できなくてランク降格になるとこだったぜ」
話を聞けば、彼らは近頃失敗が続いており、今回しくじればDランクからEへ降格処分になるところだったらしい。
(……むしろ、降格したほうが安全なんじゃないかしら)
そんな言葉を飲み込む。
連携も、個々の戦闘能力も、知識も。
失礼ながら、彼らからはガイルさんに叩き込まれた「冒険者の基礎」が全く感じられないのだ。
これがDランクの基準だとしたら、あまりに心許ない。
「それより、そいつらどうするの?」
顎で野盗を示すと、ドゥラークは胸を張った。
「ラクトの町に着いたら憲兵に引き渡すさ! あんたに助けてもらったことも、ちゃんと報告すっからな!」
「いや、別にいいわよ、そんなこと」
「駄目だ駄目だ! 懸賞金がかかってりゃああんたに入るんだ。俺たちだけでガメちまったら、『無敗の四狼』の名が廃るってもんよ!」
ガハハと笑いながら、私の肩を力任せにバンバンと叩く。
「……いったぁ。か弱いレディに何するのよ」
私がギロリと睨むと、ドゥラークは小さくビクッとはねて手を引っ込めた。
悪い奴ではないのだろうが、本当にお調子者だ。
「無敗」なんて大層な名前を掲げて失敗続きとは、どの口が言うのだろう。
「礼に何かしてぇが、生憎俺たちにやれるもんも持ってねぇんだ。すまねぇ」
「礼なんていいわ。それより、黒髪、黒目の子供を見なかった? 息子二人とはぐれて、探しているの」
「……黒髪、黒目? お前ら、見たことあるか?」
ドゥラークの問いに、三馬鹿は一様に首を振った。
「いや、見てねぇです」
「俺も。黒髪なんて珍しいもん、見たら忘れねぇよ」
「悪ぃが、俺も力になれずすまねぇ」
「そう……。ありがとう」
落胆を隠せず、深いため息を吐いたその時だった。
「私は行商人のアルベルトと申します」
馬車の横にいた、初老の商人が声をかけてきた。
「先ほど会話が聞こえてきまして……お子さんをお探しとか。商人には、商人なりの情報網がございます。お礼と言ってはなんですが、お子さんの情報収集に協力させてください」
「……え!? いいんですか!?」
「ミサキさんがいなければ、我々は商品を奪われ、殺されていたかもしれません。それに比べれば安いものです」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「……ありがとうございます。ありがとうございます……っ」
声を絞り出し、私は深く頭を下げた。
涙が溢れそうになるのを必死で堪える。
「情報はギルドを通して、あなたへ伝言してもらうように手配しましょう。ここにいる商人が皆で情報を募れば、少しはお力になれるかもしれません」
顔を上げた時には、もう涙が止まらなくなっていた。
これまでヴァルグリムで見かけたという、あまりに頼りない、遠い情報しかなかった。
暗闇の中に、初めて小さな光が差し込んだような気がした。
「皆さん、どうぞ……よろしくお願いします……!」
再度頭を下げると、商人たちが次々に声をかけてくれた。
「よせやい。助けてもらったんだ、おあいこさ」
「期待して待ってろよ」
「情報は商人の命。無駄にしないでおくれよ」
「がんばんな」
彼らの温かさに包まれながら、私たちは朝食を共にした。
朝食を終え、荷物をまとめる。
一人と一匹の旅に戻るけれど、背中を押してくれる声が今はたくさんあった。
私は皆に最後の挨拶をし、新たな決意を胸に街道へと踏み出した。
それからの二日間は、ひたすら自分との戦いだった。
街道沿いは比較的安全だとはいえ、魔獣の気配に耳を澄ませ、足の痛みを堪えて歩き続けるのは精神を削る。
「……ガイルさんの特訓に比べれば、なんてことないわ。あっちの方がよっぽど命の危険があったもの」
自分に言い聞かせながら、私は夕暮れ時、手慣れた手つきで三度目の野営の準備を整えた。
この三日間で、野宿のスキルはさらに「主婦らしく」進化した。
地面の凹凸を枯れ草で平らにし、その上にウサギ革を敷く。
これだけで、翌朝の腰の痛みが劇的に改善されることを発見したのだ。
「文明の利器がなくても、工夫次第でなんとかなるものね……。でも、やっぱりお風呂が恋しいわ」
焚き火で沸かしたお湯で顔を拭きながら、私は暗闇の向こうを見据える。
クロは私の足元で、まるでお守りのようにどっしりと構えていた。
彼がいるだけで、夜の森の恐怖は半分以下に薄まる。
四日目の昼過ぎ。
街道の景色が少しずつ変わり始めた。
それまでの単調な森や草原が途切れ、整地された広い道や、石造りの小さな休憩所が目に入るようになる。すれ違う馬車の数も、これまでの比ではない。
「クロ、見て。人が増えてきたわよ」
私の言葉に、クロも鼻をヒクつかせ、前方の匂いを探っている。
その視線の先、地平線に巨大な影が見えてきた。
高くそびえ立つ石造りの外壁と、いくつもの尖塔。
ラクトの町よりも一回りは大きく、重厚な雰囲気を纏ったその町こそが、中継地サンティールだった。
城門の前には、入町を待つ長い行列ができている。行商人の荷馬車、煌びやかな馬車、そして各地から集まったであろう多種多様な格好の冒険者たち。
「……やっと着いた」
これまでの孤独な街道歩きが嘘のような喧騒が、風に乗って聞こえてくる。
地図の空白を埋め、子供たちの情報を手に入れ、そして王都への足がかりを掴む場所。
私は、パンパンに張ったふくらはぎの痛みも忘れ、活気溢れるその門へと歩みを早めた。
「待っててね、周、渉。お母さん、もうすぐそこまで行けるから」
その独り言は、騒がしい街道の音に消えていったけれど。
私の胸の中に灯った小さな光は、かつてないほど強く、熱く燃えていた。




