第三十三話 旅立ちの朝
翌朝、私はいつもよりずっと早くに目を覚ました。
遠足前の子供じゃないんだから、と自分に苦笑するけれど、興奮と不安で眠りは浅く、何度も寝返りを打ったせいで頭が少しぼんやりしている。
(……少しでも早く、あの子たちのところへ行かなきゃ)
周と渉の顔が浮かぶ。拳をギュッと握りしめ、鏡に映る自分に気合を入れ直した。
今日、私はこの街を出る。
ずいぶん長く世話になった宿ともお別れだ。
せめてもの感謝として、私は旅の準備を終えた後、部屋の掃除を始めた。
「……いでよ、掃除機!!」
誰もいないのをいいことに、掃除機をかけるポーズで手を掲げてみる。もちろん、魔法の光が走ることも、文明の利器が現れることもない。
「……何やってんだ、おめぇ」
「ひぎゃ!?」
背後から突き刺さった呆れ声に、変な悲鳴が漏れた。
「すげぇ声だな、おい」
「……き、急に話しかけるからでしょ! 心臓止まるかと思った!」
振り返ると、宿のご主人が腕組みをして、壁に寄りかかっていた。
「ほらよ。持ってけ」
差し出されたのは、ずっしりと重い包みと革の水筒だった。
「これは……?」
「餞別だ。昼にでも食いな。水筒は俺のお古だから返さなくていいぜ」
「お世話になりっぱなしだったのに、そんな……っ!」
「気にするな。おめぇには肉をたくさん卸してもらったからな、結構稼がせてもらったんだ。これはその礼だ」
ご主人のぶっきらぼうな優しさに、胸の奥が熱くなる。
「……ありがとうございます。遠慮なく、いただきます」
「気をつけろよ。ここは治安が良い方だが、最近街道で襲われたやつがいるって話だ。……まぁ、『惨殺者』には関係ねぇ話かも知れねぇがな!」
がはは! と笑いながら去っていく背中に、私は全力で叫んだ。
「おいっ! 誰だ!! そんな物騒な名前広めてるやつは!!」
納得いかない思いでプリプリと怒りながら、食堂で待つクロの元へ向かう。
クロは「遅い」とばかりに、尻尾を床にぺしんぺしんと叩きつけていた。
「ごめんごめん、話し込んじゃった。ご飯を食べたら出発よ」
宿で食べる最後のご飯。
それは、明らかにいつもより豪華だった。
色鮮やかなおかずが並び、普段は付かないデザートの果物まで添えられている。
昨日から、街の皆の優しさに触れてばかりだ。
「いただきます」
手を合わせ、一口ずつ噛みしめる。
……ふと、隣のクロの皿を見て、手が止まった。
「……ちょっと、クロ。なんで私よりいいもの食べてるの?」
デザートの果物は三種類。おかずの種類も、肉の質も、明らかにおかしい。
解せぬ。
なんだかんだ、クロはこの宿でも一番の人気者だった。
媚を売るわけでもないのに、他の宿泊客からおかずを分けてもらったり、わざわざクロのために別注で料理を頼む客までいた。
その結果、ここに来たばかりの頃より毛並みはツヤツヤになり、少しふっくらとしてきている。
(これから寒くなるから、蓄えが必要なのはわかるけど……釈然としないわ……)
クロのカリスマ性に少しだけ嫉妬しつつ、ご主人に最後の挨拶をして宿を出た。
最後に、ギルドに寄ってから出発することにした。
中に入ると、案の定、私とクロに視線が集まる。
歩き出すと、波が引くように皆が道を空けていく。
「惨殺者が来たぞ」
「昨日は革に包んだ『何か』を運んでたらしい……」
「人じゃねぇよな?」
「クロちゃん、今日も可愛いねぇ~」
おい、何だその扱いの差は!
ヒソヒソ話のつもりだろうが、こっちは五感が鋭くなってるんだから丸聞こえだ。
私は人殺しじゃないし、ましてや袋の中身はキノコだ!
我慢できず、一番失礼なことを言った男をジロリと睨みつける。
「ひっ!?」
……そんなに怯えなくていいじゃない。こちとらまだ駆け出し、あんた先輩でしょうが!
「やめてやれ、本気で怖がってるぞ」
振り向くと、そこにはガイルさんが立っていた。
「ガイルさん! あの、今まで本当にお世話になりました! これ、よかったら食べてください」
用意していた干し肉の包みを渡す。
「俺の教えた方法で作ったやつか。有難く使わせてもらう。俺も、しばらくしたらこの街を出るからな」
「えっ、ガイルさんも? 依頼ですか?」
「ちょっと気になることがあってな。あっちこっち行ってくる。そのうち、またどこかで会うだろう」
「その時は……もう少しマシな戦闘ができるように、頑張ります!」
私の言葉に、ガイルさんは少しだけ間を置いて、静かに言った。
「……頑張るな。生きろ」
「……はい。本当に、ありがとうございました」
心からの感謝を込めて、深く頭を下げた。
ガイルさんが基礎を叩き込んでくれなければ、私は今頃どこかの森で野垂れ死んでいただろう。
彼が厳しかったのは、無知な新人が死んでいく姿を何度も見てきたからだ。
次に会うときは、彼が「あれは俺の弟子だ」と胸を張れるような、立派な冒険者になっていたい。
そして、子供たちを見つけたと、笑顔で報告したい。
ガイルさんは相変わらず素っ気なく手を振り、喧騒の中へ消えていった。
最後に受付のイルダさんにも挨拶を、と思ったが、彼女は今日はお休みとのことだった。
毎日働きづめだったから、安心した反面、やはり少し寂しい。
私は他の職員さんに、イルダさんへの干し肉を託してギルドを後にした。
門を抜け、見慣れた街並みが遠ざかっていく。
「さぁ、今日から野宿だよ、クロ。覚悟してね」
クロは「自分には関係ない」とばかりに、ふんと鼻を鳴らして前を見据えた。
街道の先、見知らぬ土地へ。
私は一歩、新しい世界へと足を踏み出した。




