第二十九話 尾ひれのついた噂
昨日は、そのまま意識を失うように眠ってしまったらしい。
ふと目が覚めると、視界に入ったベッドの惨状に、私は血の気が引いた。
泥まみれの服。
返り血。
それらが染み付いたシーツは、もはや洗ってどうにかなるレベルを超えた「事件現場」のような有様だった。
「……最悪」
慌てて宿のご主人に謝り倒し、自ら洗濯を申し出た。
宿の裏で、タライに入れたシーツを無心で踏み洗いする。
「……意外と、筋肉痛にはなってないわね」
あれだけの死闘を演じた翌日だというのに、体は驚くほど軽い。
ガイルさんのあの鬼のような指導は、伊達じゃなかったらしい。
(そういえば、肩周りも結構がっしりしてきたような……。嫌だわ、これじゃ本当に脳筋おばさんじゃない)
「日本の洗剤があればなぁ……」
血のシミを睨みながらボヤいていると、ふいに背中に柔らかな圧力を感じた。
クロが前足で、ぐいぐいと私の背中を押している。
“飯はまだか。早くしろ”という無言の圧力に、
「はいはい、わかったわよ」
と苦笑いしてシーツを干した。
泥汚れは落ちたが、やはり薄く残った血の跡が恨めしい。
軽く食事を済ませ、ギルドへ向かう道すがら、私は妙な視線を浴びていることに気づいた。
「よぅ! 昨日はすごかったじゃねぇか!」
見知らぬ冒険者の二人組に、いきなり肩を叩かれた。
「え? あぁ、ありがとうございます……?」
「このねぇちゃん、ゴブリンの巣穴を一人で全滅させたんだぜ!」
「ほんとかよ、すげーな!」
戸惑う私をよそに、彼らの会話はどんどんヒートアップしていく。
「いや、たまたまで……」
「嘘つけ! えげつねぇ薬草で弱らせたあと、ボコボコに殴り殺したって噂だぞ」
「噂……?」
嫌な予感がして聞き返すと、一人が楽しそうに笑った。
「『黒い従魔を連れたおばさ……ねぇちゃんが、ゴブリンに毒を盛ってなぶり殺した』ってよ!」
おばさんと言いかけて、私の視線に気づいたのか慌てて言い直したようだが、もう遅い。
その後も、すれ違うたびに声をかけられた。
「よう! 今日もゴブリン狩りか?」
「お前、ゴブリン50匹倒したってマジかよ!」
「見ろよ、あの人だぜ……。怒らせると毒を盛られるぞ……」
おい、誰だ。十七体を五十体に増やしたやつは。
出てきなさい。
溜息を吐きながらギルドの扉を開けると、一瞬で中の喧騒が静まり返った。
何十人もの冒険者の視線が私に集まる。居心地の悪さを堪えながら、私はイルダさんの窓口へ直行した。
「あ! ミサキさん、おはようございます!」
「おはようございます。……イルダさん、私、昇格できそうですか?」
「はい! バッチリでした! あの後すぐ職員が確認に行ったんですが、巣の奥でもう一体死んでいたそうで、計十八体の討伐として受理されました。作戦の完璧さにギルド長も驚いていましたよ」
一酸化炭素中毒で死んだのかな…?
そんなことを考えていると、イルダが何か差し出した。
光沢のあるカードだ。
「正式なギルドカードです。身分証明にもなりますから、無くさないで下さいね。駆け出しはすぐ辞める人が多いので、発行するのはDランクからなんです。ここからが本当のスタートですよ!」
「あ、そうだ!」
とイルダは手をたたき、カウンターの下から重そうな革袋を取り出した。
「今回のゴブリン十八体の討伐、および群生地の完全封鎖の報酬です!。本来はパーティで受けるDランク依頼を単独で完遂されたので、特別報酬も上乗せされています。こちら、金貨二枚と銀貨五枚です」
金貨!
初めて目にする、鈍く光る金色のコイン。
これまでの採取生活では考えられなかった額だ。
「……こんなに、いいんですか?」
「当然ですよ。あの近辺の街道は、最近ゴブリンのせいで商人が通りたがらなくて、ギルドとしても頭を抱えていたんです。ミサキさんが根こそぎ『駆除』してくれたおかげで、流通が戻ります。これはそのお礼でもありますから」
ずっしりと重い袋を受け取ると、あの子たちの捜索費用に少し余裕ができる。
私はそれを大切に腰のポーチへしまい込んだ。
「――調子に乗ってるかと思えば、そうでもなさそうだな」
「ひゃあっ!?」
振り返ると、そこには腕を組んだガイルさんが立っていた。
「ガイルさん、いつからそこに。」
「さっきだ。……昇格したからといって気が散漫しているぞ。死にたいのか」
相変わらずだ。
わざと気配を殺して近づいてきたな?ちくしょうめ。
彼は隅の方に行くぞと促し、周囲に聞き耳を立てているような人物がいないことを確認すると、少しだけ声を低くした。
「……お前が言ってた『異世界から飛ばされた人間』のことだが。俺の知り合いに何人か聞いて回った」
心臓が跳ねた。
「遠方の奴とは手紙のやり取りになるから時間はかかったが……いくつか返信があった」
「それって……っ!」
「落ち着け。……ほとんどは『知らない』という返事だった。大昔にそんな伝承があったらしい、という程度の話だ。だが」
ガイルさんは、鋭い視線を私に向けた。
「一人から、気になる情報があった。『最近、ヴァルグリムで黒髪、黒目の人種を見た』という話だ」
黒髪、黒目。
この世界では極めて珍しい、私と同じ特徴。
「それって、絶対にあの子たちです! お願い、詳しく教えて……っ!」
詰め寄る私を、ガイルさんは大きな手で制した。
「落ち着けと言っただろう。もしかしたらとは思うが、少し変じゃねぇか。ヴァルグリムはかなりでかい工業都市だ。人の目も多い。そんな場所で子供たちが保護されているなら、なぜギルドの情報網に引っかからねぇ」
「それでも……可能性があるなら、行きます!」
迷いはなかった。
基礎は叩き込まれた。
ランクも上がった。
もう、ここで立ち止まっている理由はない。
ガイルさんは溜息をつき、ふいになど意地悪く笑った。
「……まぁ、そういうと思ったがな。基礎はほぼ完ぺきだ。浮かれてなきゃ大丈夫だろう。……なんせ、ゴブリンを五十体もなぶり殺しにできる『毒殺魔』様なんだからな」
「が、ガイルさんまでっ!」
顔を赤くして反論する私を見て、ガイルさんは鼻で笑い、そのまま背を向けて去っていった。
ヴァルグリム。
やっと、あの子たちに繋がる糸口を見つけた。
私はギルドカードを強く握りしめ、遠い空を思い描いた。
待ってて。お母さん、すぐに行くから。




