第二十話 少しだけ前へ
どうしても、緩む口元を止められなかった。
「……何ニヤついてやがる」
横からガイルの低い声が飛ぶ。
「っ、いや、その……」
「調子に乗るなよ。そういう時が一番危ない」
ぴしりと言われ、浮かれていた頭が急速に冷える。
(……確かにそうね。年甲斐もなくはしゃぎすぎちゃったわ)
少し恥ずかしくなって隣を見ると、クロが「ふん」と鼻を鳴らした気がした。
はいはい、分かってますよ。
日は高く昇り、お腹もいい具合に鳴り始めている。
「一度戻って飯にするぞ。納品も済ませろ」
ガイルの言葉に従い、一行はギルドへ戻った。
受付には、いつものお姉さんがいた。
「あの、指名依頼の納品を——」
「はい、え——」
顔を上げた受付が、目を見開いた。
「は、早いですね!?」
「え?」
「かなりの量だったと思うのですが……」
書類と、持ち込んだ薬草を見比べる。
「ガイルさんが手伝ったんですか?駄目ですよ!評価に関わります!」
「俺は見てただけだ」
ガイルが即答する。
「何もしてねぇ」
「……そうなんですか?」
受付が、改めてミサキを見る。
少しだけ、目の色が変わる。
「だとしたら……かなり優秀ですね。駆け出しでここまでできる方は、あまりいませんよ」
「え、あ……」
なんだか、照れる。
今日は指名依頼も入るし、褒められるし……
いい日だなぁ……
気づけば、また口元が緩んでいた。
「……浮かれるな」
「はいっ!すみません!」
即座に返事。
視線を戻すと、ガイルがこちらを見ていた。
「イルダ、早く査定しろ」
「あ、はいっ!すみません!」
受付——イルダが慌てて姿勢を正す。
イルダさんっていうんだ…
一つ一つ、イルダが薬草を手に取り、確認していく。
葉の状態。
傷の有無。
採取の仕方。
丁寧に、慎重に。
やがて——
「……状態、とても良いですね」
顔を上げて、にこりと笑う。
「これなら追加報酬ももらえると思いますよ」
「ほんとですか?」
「はい」
「とりあえず、こちらが基本報酬になります」
差し出されたのは、小袋。
中で硬貨が触れ合う音がした。
「銀貨4枚と銅貨5枚です」
ずしり、と手に重みが乗る。
「追加分は薬屋が確認してからになりますので、後日またいらしてください」
「わかりました」
袋をしっかり握る。
(……増えた)
ほぼ空だった懐が、ちゃんと“重い”。
それだけで、少し安心する。
これなら……
ちらりとクロを見る。
少し多めに肉、あげてもいいかな
今まで、我慢させていた。
採取の最中、ふらっといなくなることがあった。
戻ってきたとき、口元に血がついていたこともある。
……足りてなかったんだろうな
胸の奥が、ちくりとする。
もっと稼がないと
ぎゅっと、袋を握り直した。
「あ、ミサキさん」
イルダが声をかける。
「はい?」
「今回の依頼達成で、冒険者ランクが上がりましたよ」
「……え?」
「FからEに昇格です。おめでとうございます」
一瞬、理解が追いつかない。
「……え? まじ!?…あ、いえ、本当ですか!?」
思わず素が出た。
「はい、正式にEランクです」
「……すご……」
今日は、なんだか出来すぎている。
いいことばっかりじゃない?
少しずつだけど、この世界に足場ができている。
この調子で、子供も……
そこまで考えて、首を振る。
いや、それは別だ
都合よくはいかない。
分かっている。
でも——
ほんの少しだけ、期待してしまう。
「行くぞ」
ガイルが顎で示す。
「飯だ」
「はい!クロも行こう!」
クロは静かに立ち上がる。
三人で、ギルドの食堂へ向かった。
食堂の隅の席。
木の皿に盛られた肉を、ミサキはそっとクロの前に置いた。
「……今日は、ちょっと多め」
いつもより明らかに量が多い。
クロは一瞬だけ、その肉を見た。
それから、ミサキを見る。
「……いいよ、食べて」
少しだけ笑って言うと——
次の瞬間、がつり、と噛みついた。
いつもより、速い。
噛み砕く音がやけに大きく聞こえる。
がつ、がつ、と続く。
途中で、ふと顔を上げた。
口元に肉片をつけたまま、じっとミサキを見る。
「……ん?」
一瞬きょとんとする。
それから、
「足りてる?」
と小さく聞く。
クロは何も言わない。
ただ、もう一度肉にかぶりついた。
食べ終わるのも、早かった。
いつもなら、食べ終えたらすぐに離れるのに——
今日は、その場に残った。
満足したように、ゆっくりと伏せ、毛づくろいをはじめる。
尻尾が、ゆるく一度だけ揺れた。
「……」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
やっぱり、足りてなかったんだ
嬉しいのに、少しだけ申し訳ない。
「……ガイルさん」
向かいに座る男に声をかける。
「なんだ」
「クロのご飯、足りてなさそうで……」
ちらりとクロを見る。
「採取中も、どっか行って魔獣狩って食べてるみたいなんです」
「口に血がついてたこともあって」
「……」
ガイルは、肉を噛みながら聞いていた。
「自分で狩って食ってんならいいじゃねぇか。ほっとけ」
あっさりと言う。
「……」
納得、できない。
そのまま黙っていると、
「……なんだ、その顔」
「いや……」
言葉が詰まる。
でも、出てきたのは正直な気持ちだった。
「なんか、それでいいのかなって」
ガイルが一瞬、ミサキを見る。
それから、ふっと鼻で笑った。
「じゃあ自分で狩って、食わせりゃいいだろ」
「……え?」
「魔獣の肉、食えんのも多いぞ。そもそも、クロなら何でも食べんじゃねぇのか?好みはあるかも知んねぇがな」
「……あ」
その発想は、なかった。
「なるほど……」
思わず呟く。
でもすぐに、現実に戻る。
「でも、保存とか……調理とか……。そんなの、できないですよ。道具もないし……」
ガイルは肩をすくめた。
「町にいる時は、店に持ち込めばいい。持ち込みなら安くやってくれるとこもある」
「……そうなんですか?」
「当たり前だ」
「旅の時はどうするんですか?」
「干し肉と水だな」
「……干し肉」
「それも自分で作れ」
「えっ」
思わず変な声が出た。
「そんなことも知らねぇのか」
呆れたように言われる。
「いや……その……」
言葉に詰まる。
確かに、知らない。
作り方も、どんな肉がいいかも。
「……」
ガイルがじっとこちらを見る。
少しだけ、目が細くなる。
「……前に言ってたな」
ぽつりと、落ちる声。
「世界がどうとか」
「……え?」
心臓が、どくんと鳴る。
「そう……でしたっけ?」
とぼける。
自然に聞こえているか、自信はない。
やばい
頭の中で警鐘が鳴る。
こういうのって……まずくない?
異端だって……捕まるとか……
一瞬で、いろんな想像が駆け巡る。
場が、静かになる。
誰も喋らない。
クロが、片目でこちらを見ている。
時間が、やけに長く感じる。
「……」
ガイルが息を吐いた。
「……そういうやつも、稀にいるって聞いたことはある」
「——っ!」
ガバッと顔を上げる。
「ほんとに!?」
声が一気に大きくなる。
身を乗り出す。
「会ったことあるんですか!?どこにいるんですか!?私以外にもいるんですね!?」
心臓がうるさい。
「どこに——いや、誰でもいいから、知ってる人とか!」
言葉が追いつかない。
ガイルは、面倒くさそうに顔をしかめた。
「……しらん」
「え」
一瞬、力が抜ける。
「会ったのは初めてだ」
「……あ」
そうか。
そうだよね。
そんな簡単に見つかるわけ——
「だが」
ぴたり、と動きが止まる。
ガイルが続ける。
「聞いておいてやる」
「……え」
ゆっくりと顔を上げる。
「他にいるか、な」
「……っ」
胸の奥が、ぎゅっとなる。
さっきまでの不安が、少しだけほどける。
「……ありがとうございます」
自然に頭が下がった。
(……いるかもしれない)
それだけで、
ほんの少しだけ、
本当に、指の隙間から漏れる光のような微かな可能性だけど。
真っ暗だった前方に、確かな道が見えた気がした。




