第十九話 稼げる手
……まぶしい。
瞼の裏が赤くなる感覚に、ゆっくりと目を開ける。
視界いっぱいに広がる黒い毛。
「……あ」
昨夜、クロの腹に顔を埋めたまま寝落ちしたのを思い出した。
朝までぐっすりだったらしい。
クロは既に起きていたが、動かずに待っていてくれたようだ。
ただ、ばしん、ばしんと尻尾で地面を叩く音が
「早く起きろ」
と急かしている。
「ごめんごめん」
くすりと笑って、体を起こす。
それでもクロは動かなかった。
逃げもせず、押しのけもせず。
ただ、そのまま。
「……起こさないで、待っててくれたのね」
少しだけ、胸があたたかくなる。
「……ありがと」
小さく言うと、
クロは一度だけ尻尾を大きく振った。
それから、ゆっくりと起き上がる。
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宿の一階。
簡単な朝食をとる。
体力勝負だと分かっているが、朝はあまり入らない。
それにお金が足りない…
固めのパンと、薄いスープ。
クロの前には——肉。
朝からしっかりした量だ。
「いいなぁ、それ」
ぼそりと呟くと、
クロはちらりとこちらを見る。
……やらん、という顔。
「ですよねー」
パンをちぎって口に入れる。
少し乾いている。
でも、腹にはたまる。
スープで流し込む。
悪くない。
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今日はガイルに毒消しの薬草を教えてもらう約束だ。
多めに持っておかないと、心許ない。
悪阻よりマシとはいえ、気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。
ギルドに着く。
まだ朝早いせいか、人は少なめだ。
ガイルの姿は——ない。
「……先に見ておこうかな」
受付へ向かうと、顔見知りの職員がにこやかに迎えてくれた。
「おはようございます」
「おはようございます。ミサキさん」
顔を覚えられている。
少し嬉しい。
「何かいい依頼、ありますか?」
「はい、ちょうど——指名依頼が来ています」
「……え?」
思わず聞き返す。
「ミサキさん宛てです。薬屋からですね」
紙を差し出されたので、目を通す。
傷薬用の薬草が10。
火傷薬用が15。
毒消し用が20。
そして——
「ポーション用の薬草、5……?」
ポポの葉。
あれが、ここに並んでいる。
「報酬は——銀貨4枚と銅貨5枚です」
「……そんなにですか!?」
思わず声が出た。
「指名依頼ですので、通常より割高になります」
受付がにこりと笑う。
「それと、品質が良ければ追加報酬も出すと仰っていました」
「え……すご……」
一気に現実感が薄れる。
頭の中で、銀貨がじゃらじゃら鳴る。
ハッサンに教えてもらった「丁寧な採取」が、これほどの価値を生むなんて。
「受けます!」
即答だった。
しかし…
「……ポーションに使う?」
紙を見ながら、呟く。
ポポの葉。
あれが?
傷薬より、上。
「……ハッサン……」
村でのやり取りが浮かぶ。
値段。
あの時は、何も知らなかった。
「……絶対、買い叩かれてたよね」
小さく、ため息。
「何をにやけてる」
後ろから声。
びくっと振り返る。
「ガイルさん」
「依頼か?」
「はい! 指名依頼で——」
内容をざっと説明する。
ガイルの眉が、わずかに上がった。
「……薬草で指名、か」
「そんなに珍しいんですか?」
「珍しいな」
短く言う。
「採り方が丁寧じゃねぇと来ねぇ」
「……え」
「腕は悪くねぇってことだ」
ほんの少しだけ。
本当に少しだけ。
ガイルの口元が緩んだ気がした。
「……よし」
ぐっと拳を握る。
「行きましょう!稼ぎましょう!!」
「はしゃぐな」
背を向けたまま、ガイルが言う。
「行く前に浮かれてるやつは死ぬぞ」
ぴたりと動きが止まる。
「……はい」
一気に現実に引き戻された。
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草原へ向かう。
「ついでに自分の分も採っとけ。毒消しとか、持ってねぇだろ」
「はい。今日も宜しくお願いします!」
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採取を始める。
傷薬用。
火傷用。
見覚えのある草だ。
一つずつ、丁寧に。
根を残し、傷つけず。
同じ場所から取りすぎない。
「クロ、あった?」
クロが少し先で止まり、振り返る。
その方向へ行くと、目当ての草がある。
「……なるほどな。クロが見つけて、お前が採るのか。」
ガイルが後ろで呟く。
ガイルの口から、自然に名前が出ていた。
一瞬、思考が止まる。
——でか猫、じゃない。
「……」
ガイルは何も言わない。
クロも、反応は薄い。
でも。
……クロのこと、名前呼んでる
少しだけ、嬉しい。
……私は呼ばれないけど
ふと、思う。
まだ、認められてはいないのだろう。
それでも——
今はいい。
採取を続ける。
「……確かに、丁寧だな」
ガイルがぽつりと呟いた。
「え?」
「根を殺してねぇ。次も生える」
「……あ、はい」
当たり前だと思っていた。
でも、それが評価される。
「採取専門になった方が稼げるんじゃねぇか」
「……え、そんなのあるんですか?」
「いるにはいる。数は少ねぇが、それで食ってるやつもいる。討伐より安全だ」
「へぇ…」
確かに、と思う。
でも——
「……たぶん、無理です」
「なんでだ」
「子供、探してるので」
少しだけ、間。
「危ない場所にも行くと思うんです」
「……」
「戦えないと、無理だと思うので」
ガイルは何も言わなかった。
それから——
「……そうか」
短く、頷いた。
「毒消しは知らねぇんだろ」
「はい」
「特徴覚えろ」
指で示す。
「葉が針みてぇに尖ってて、紫の丸い花が咲く。プルプラって薬草だ」
「……尖ってて、丸くて、紫」
「花は取るな。葉だけだ」
「なんでですか?」
「全部取ると生えねぇ」
「……あ」
なるほど。
探してみるが、似た草が多い。
でも——
「……クロ?」
少し先で止まり、じっとこちらを見るクロの足元。
「……あった」
群生地帯だ。葉は尖ってて、丸い紫の花が咲いている。
言われた通り、葉だけを一つずつ、丁寧に採る。
依頼分を達成し、自分の分もたくさん採れた。
…これ、そのまま食べても効果あるのかな?
なんてことを考えていると、ガイルから声がかかった。
「戻るぞ」
ガイルの言葉に従い、帰り道を歩いていると、草むらからゴブリンが三体、棍棒を手に飛び出してきた。
何か分からない言語で、ぎゃあぎゃあ話して?叫んで?いる。
「……っ」
新調した革グローブをはめ、ぎゅっと拳を握る。
手に伝わる確かな感触が、不思議と心を落ち着かせた。
「……来るぞ」
ガイルの声。クロは動かず、後ろで見守っている。
――任された。
一体目が振り下ろす棍棒を、半歩横にずれてかわす。すれ違いざま、渾身の力で腹へ拳を叩き込む。
「ぐっ――!」
柔らかい肉が沈む感触。崩れ落ちるゴブリンを放置し、二体目へ。
低い姿勢で脚を狙ってきた相手に対し、自分から懐に飛び込んで腕を弾く。
がら空きになった顎を目がけ、右拳を突き上げた。
「――そこっ!」
ごきっ、と嫌な音がして、二体目の頭が大きく揺れ、そのまま沈んだ。
最後の一体が、仲間の惨状を見て一瞬怯む。
その隙を逃さず、フェイントから逆側の側頭部へ思い切り一撃を叩き込んだ。
「……はぁ……、……ふぅ」
手が少し震えている。
けれど、三体とも完璧に、自分の拳だけで仕留めた。
……私、今
じわじわと、実感が湧く。
私!
めっちゃ!!
テ〇ファっぽくない!?
ちょっと待って!
今の動き…
やばくない!?
え、やば、めっちゃ嬉しいんですけど!
心の中で騒ぐ。
私、格好良いんじゃない!?
拳を見る。
あんなに胸ないけどっ!!
おばさんだけどっ!!
——それでも。
今の、普通にかっこよかったでしょ……!
にやけそうになる頬を必死に引き締め、私は何食わぬ顔で拳を下ろした。
ガイルが、相変わらず無愛想な声で言った。
「……少しはマシになったな」
「……そうですか? えへへ」
おばさんの照れ笑いは、草原の風にかき消されたけれど、私の手には確かな「戦うための力」が宿り始めていた。




