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神は愛を知らない 〜チートなし40代主婦。姿なき我が子を捜して突き進む異世界生存譚〜  作者: 忠犬
第五章 ノクス=ヴェリア編

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第百六十三話 クレッテ茶と望郷の涙

 翌朝、目が覚めた私たちの行動は早かった。

 さっと朝食を済ませ、朝靄の中を三人で図書館へ赴く。

 冷えた空気が肺を満たし、気分がスッキリする。

 昨日よりも心地良く感じるのは、気のせいじゃない。

 少し見えた希望が、気持ちを前向きにさせてくれている。

 足取りが軽い私を見て、クロもセリスも少しばかり嬉しそうにしているような気がする。

 図書館へ入ると、迷わず中心のカウンターへ向かった。

「あ!いたいた!アリアンさん!!おはようございます」

 昨日はおやつ時から姿を見せなかったアリアンさんだが、朝は忙しなく本の整理をしていた。

「あぁ、皆様お揃いで。おはようございます。相変わらずお早いですね」

 今日も穏やかそうな笑顔を浮かべて挨拶をするアリアンさんに、私はカウンター越しに身を乗り出して質問した。

「アリアンさん!実はお聞きしたいことがありまして!大森林にあるという廃れた神殿のことで……。あと、召喚と転移、魔法陣などを研究されている方も紹介してもらえませんか?」

「……ほぉ?神殿のことはどこで?あそこは人族が立ち入れる場所ではないのですが……」

「昨日、これを見つけました」

 私は懐から昨日の日記を取り出してアリアンさんへ見せると、アリアンさんは一瞬目を見開いて固まった。「この中にアリアンさんの名前が出てきました。大森林の神殿に行かれたんですよね?」

「……えぇ。話が長くなりそうですね。私の研究室へ行きましょう。クレッテ茶もありますよ」

 そう言ってアリアンさんは、自分の研究室へ私達を案内してくれた。

 研究室は意外にも、三階部分にあたるところにあった。

 偉い人だから最上階に研究室があると思った私は、幾分肩透かしを食らった気になった。

 世界樹はかなりの高さがあるので、これを登るのはキツそうだと思いつつ、心の中で気合を入れていたのだ。

 アリアンさんは私の顔を見て察したのか「年をとると膝が痛くて。一番下の階にしてもらいました」と笑って言っていた。

 三階へ続く階段を上りきると、これまでとは空気が変わった。

 一階と二階にあった静かな図書館とは違い、廊下の両側にはいくつもの扉が並んでいる。

 扉の隙間からは紙をめくる音や、誰かが話し合う声が微かに聞こえていた。

 案内された廊下の突き当たりで、アリアンさんが足を止めた。

「ここです。どうぞお入りください」

 ギィィ……と音を立てて開いたドアの先には、壁一面を埋め尽くす本棚があった。

 そこに収まりきらない本が机の上に積まれ、床にもいくつかの束が置かれている。

 古い羊皮紙や書きかけの紙もあちこちに広げられていた。

 足を踏み入れると、古い革製品の匂いとインクの匂いがした。

 それだけ多くの書物があるのだろう。

 横に目をやれば、壁に掛かった大きな図解のようなものに目が止まった。

「これは……世界樹?」

 壁には巨大な世界樹の図が描かれていた。

 幹から伸びる無数の線。

 その線は根へ、枝へ、そして森全体へと複雑につながっている。

 その横には神々の名が並び、別の紙には精霊の生態や魔力の流れについて細かな書き込みがされていた。

 世界樹。

 精霊。

 魔力。

 神。

 そして——

 異世界召喚。

 その文字を見たとき、私は口を開けて固まった。

 呼吸すら忘れて呆然とそれを見ていた。

「アリアン、お前の研究は異世界召喚なのか?」

 クロの声に我に返った私は、アリアンさんの返事を待つ。

 アリアンさんは机の上に積まれた本をサッと片付け、木で作られた簡素な椅子を私たちに勧めてくれた。

「いえ、私の研究は神学と世界樹ですよ」

「え?神学と世界樹ですか?」

 期待していた答えと全く異なる単語が出てきて、私は思わず声が裏返る。

「で、でもここに異世界召喚って……」

「えぇ。神が悪戯に異世界から人を呼び寄せては玩具にしていることは、過去の文献を読んでもメルケ様の話を聞いても明らかですから」

 アリアンさんは短く息を吐き、眉を下げた。

「この絵は世界の力の流れを描いています。大地の力とでも言いましょうか。ドワーフなどは地脈などと言っていたと思いますが」

 アリアンさんは絵を指でさし示しながら、私たちに説明をしてくれる。

「この地脈は大地から世界樹、世界樹から精霊へ、精霊から生き物や植物へ、そして大地にまた戻っていきます。目には見えない力が循環しているのです」

「魔力とは違うってことですか?」

 地脈と魔力の違いが分からず、私はアリアンさんへ質問を投げかけた。

「魔力も実はこの循環の一部です。精霊の力も同様ですね。世界樹はその循環の巨大な中継点・浄化装置のような存在であると私は考えています」

「魔力も汚れたりするのね……。あれ?じゃあ世界樹が枯れたのは、世界の魔力が汚れすぎてたからですか?」

 私の言葉にセリスが驚いたような顔をしていた。

 セリスにその考えはなかったらしい。

「そうですねぇ……。その可能性もなくはない……としか」

「分からないんですね」

「えぇ……。ただ一つ言えるのは、神が異世界召喚をしたあたりで、世界の魔力に影響が出ているようだということだけです」

 その言葉を聞いて私とクロは顔を見合わせた。

「クロ、知ってた?」

「いや、流石に世界の力の循環を察知することは、俺でもできん。ただ、確かに世界樹が枯れる前に異世界から来た奴は一人いた」

「それって、昨日の日記の人?!」

「いや、違う。俺が保護したのは売春婦をしていた女だった」

「え……。あ、そう。その人は帰れたり……」

「してない。というか、そもそもアイツは帰る気もなかった。適当な町で売春婦としてまた働いていた。病気を広めて町を一つ駄目にしたら、そいつもまた別の病で死んだ」

 クロの表情は、軽蔑と悲しみと憐れみなどと、色々な負の感情が入り混じった顔をしていた。

「嫌なこと思い出させちゃった?ごめん……」

 私はクロの傍にしゃがみ込み、クロの頭を優しく撫でた。

「でも、あの大森林の神殿に行った男の人は召喚者じゃないってこと?」

 何かを知っていそうなアリアンさんへ顔を向けると、アリアンさんは暫く思案した後、口を開いた。

「彼はパッと見は人族でしたが、皮膚の一部にトカゲのような鱗がありました。こちらで言うところの獣人族と人族の混ざりものだったと思われます」

「混ざりものって……」

 酷い言い方に思わず表情が強張り、クロを撫でる手が止まる。

「こちらでは純血が良いとされている。深い意味はないから気にするな」

 クロが私の気持ちを悟りフォローを入れるが、やはり釈然としない。

「価値観の違いだから、仕方ないのよね……」

「で、その男が召喚者ではないというのは何故だ?」

 クロが先を促すと、アリアンさんは続きを話し出した。

「神から召喚されたというより、その前にあった異世界召喚で世界の力の均衡が崩れたのだと思います。その力の淀みが出来たところに転移魔法陣が発生し、たまたま巻き込まれたのではないかと……。この世界の者か、別の世界の者かは最期まで分かりませんでした」

「この世界の人かどうか分からないってことあるの?」

「この世界では、識字率が高くない所、文明的でない所は少なからず存在するのです。そのような所から来た者たちは読み書きはできませんし、自分たちの住んでいる国の名前さえ知らない者もおります」

「……因みにその人はまだ生きてますか?」

「……いえ。亡くなりました」

「自殺……ですか?」

「お察しの通りです……。帰れない絶望は、その人か、同じ経験を持つ者でなければ分からないでしょう。そんな人はそうそうおりません」

 アリアンさんは言い終えた瞬間、しまったというように眉を下げた。

 (……帰れない絶望……)

 アリアンさんの言葉が、冷たい楔のように胸に刺さった。

 もし私も、子どもたちを見つけられなかったら——あの男の人と同じようになってしまうのだろうか。

 考えたくもない想像が頭をよぎり、背筋にすっと冷たい汗が伝った。

「……」

 私が黙り込んだのを見て、アリアンさんはミニキッチンのようなところへ移動した。

「クレッテ茶を入れますね。これを飲むと頭がスッキリするのですよ。茶菓子に何か……。あぁ、ハーゼルの実がありますね」

 アリアンさんは人数分のお茶と、小皿に盛られたヘーゼルナッツによく似た実をテーブルに並べていく。

 目の前にクレッテ茶を差し出されたとき、立ちのぼる湯気は香ばしく深みのある匂いがした。

 どこかコーヒーを思わせるような、それでいて土の匂いを感じさせるような懐かしい匂いだった。

「さぁ、冷めないうちにどうぞ。私はこれがないと仕事が捗らなくて」

「では、いただきます……」

  そう言ってカップに口を付けると、深く焙煎された香ばしい苦味が口いっぱいに広がった。

 日本の家で、忙しい朝やホッと一息つく午後に飲んでいた——あのコーヒーの味によく似ていた。

 途端に、懐かしい日常の記憶が津波のように押し寄せてきて、視界がじんわりと滲んでいく。

 堪えようとしたけれど、ぽろぽろと温かい涙がカップの表面に落ちた。 



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