第百六十話 燻り始めた希望の灯火
アリアンさんの哀愁漂う背中を見送った私は、クロに目線を移し口を開いた。
「……アリアンさんって、元々あんな感じなの?」
穏やかで優しそうな印象を持っていたため、先程の研究のことになると目の色が変わるどころか、人格まで変わるような様子に呆気にとられてしまった。
「昔からあんなだ。普段は温厚なんだが、自分の研究のことになると周りが見えなくなる。あんなのがダークエルフの首都を任された大シャーマンだとは……」
クロは盛大なため息をついて頭を振っている。
「え?あの人がタリエシンさんの後釜なの?念話でしょっちゅう連絡してくるっていう?」
「そうだ。あいつは基本的に研究のこと以外に興味がない。だから引き継ぎのときも、どうせ研究のことしか頭になくて話を聞いてなかったんだろ」
「……そんなんで大シャーマンが務まるの?」
最初のときの印象とは打って変わって、大シャーマンがあんなで大丈夫かと心配になるほどだ。
「周りが大変だろうが、まぁ上手く回ってるんじゃないのか?俺の知ったことではない」
クロはフン!と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ところでクロ、何か私に用があったんじゃないの?」
「あぁ、腹が減った。飯にしろ」
「飯にしろって……」
確かにお昼時だが、喋るようになってから態度がデカいというか、純粋に口が悪い。
「昔はお皿を手でカラカラ鳴らしたりして、控えめにおねだりしてたのに……」
可愛かったなぁ……と昔のクロの姿に思いを馳せて、窓から外を眺めていると「早くしろ」とイライラしたようなクロの声が聞こえた。
「はいはい……。行けばいいんでしょ……」
そう言いながら私は席を立つ。
勿論、読み終えた本はきちんと元の棚に戻してから食事に出かけた。
「セリスは何処にいるのかしら?昨日蜜芋虫買ったから、手持ちがあまりないんじゃあ……」
心配になり世界樹から出て辺りを見回すが、近くに姿は見えない。
「腹が減れば戻ってくるだろ。あまり子供扱いしてやるな。それより早く飯だ」
「……クロはただ早くご飯にありつきたいだけでしょ。あんまり食べてばっかりいるとまた太るわよ!」
クロはギクリと肩を震わせて押し黙った。
やはり自分でも少し太り気味だと思っているらしい。
(まぁ、ノクス=ヴェリアの料理にも少し飽きてきたみたいだし、食事量もきっと減るわよね)
食事をさっと済ませた私達は、情報収集のために早々に分かれて作業にあたった。
「全く……。飽きたって昨日言ってたのは何だったのよ。あんなに食べるなんて」
(誰よ。食事量が減るなんて言ったやつは。全っ然減らないじゃない!)
ブツブツと文句を言いつつ、私は読みかけだった研究書を棚から持ってきて読み始める。
どれくらい経っただろうか。
目の奥がズーンと重くなり始めたため、本から目を離しこめかみを押さえる。
「……全っ然、何にも分からない」
ため息と共に天井を見上げてボーッとしていると、静まり返った本棚の隙間から、何かがチカチカと目の端に映った。
「あれは……精霊?」
仄かな青白い光を放ち、ふよふよと漂う精霊。
私からすれば、精霊の見た目は全て同じなのだが、何故かそのときは『タリエシンさんのところで見た精霊に似ているなぁ』と思った。
私に気づいたのか、私のところへ近づいてきて周りをぐるぐると回っている。
「……やっぱりあの時の精霊なの?どうしたの?着いてきちゃったの?」
心配になり声をかけるが、伝わっているのかどうかも分からない。
「困ったわね……。迷子?」
精霊も迷子になるのだろうかと思うところはあるが、そうだとしたら可哀想だ。
とりあえずアリアンさんに相談しようと席を立ったとき、精霊が反応した。
少し離れた本棚へ飛んでいき、そこでチカチカと点滅している。
「どうしたの?そこに何かあるの?」
傍へ行き、何があるのか確認した。
「……神学の棚?何でこんなところに?」
私は不思議に思いながらも精霊に聞いてみるが、精霊は答えない。
というか、喋れるのかどうかも分からない。
「ここに何かあるの?」
そう聞くと精霊はプルプル震えたかと思うと、本棚へ入っていき、奥に消えていった。
「え?!ちょっと!中に入っちゃったの?駄目よ!息できるの?」
今考えれば精霊に呼吸が必要なのかとツッコミたいが、このときは本当に息が出来なくなるのではと私は心配していた。
慌てて本をどかしていくと、本棚の奥に隠してあるかのように置いてある本を一冊見つけた。
「何……これ」
精霊はいつの間にか出てきており、私の周りをチカチカしながら飛んでいる。
「日記……?」
パラパラと捲り、さわりだけ読んでみる。
『ここに飛ばされてきてどれくらい経っただろうか。やっと手がかりを見つけた。帰れるかもしれない』
(これ……召喚者の日記?)
『飛ばされてきたときに出た魔法陣そっくりのものが、大森林の廃れた神殿の中にあるらしい。そこに行こうと思う』
(飛ばされてきたときに出た魔法陣……?私、そんなもの見てないけど……)
事故に遭ったときに見たものは視界を覆い尽くす車のヘッドライトの光だけだ。
あとは耳を劈くようなブレーキ音が聞こえただけ。
次に目を覚ましたときは、フリージアのだだっ広い草原の中に立ち尽くしていた。
魔法陣どころか、怪しい怪奇現象も起きていない。
(この日記を書いた人は魔法陣を通ってきたの? 私や子供たちとは召喚のされ方が違うのかしら……?)
逸る気持ちを抑えて、私は次の文章を指でなぞった。
『大森林には獣の姿をした人が多い。犬が喋っているのは、犬好きとしてはなんだか微笑ましい』
『犬の獣人と仲良くなった。神殿に案内してくれるという。思わぬ誤算だが、正直ありがたい』
『駄目だ。あの魔法陣は使えない。何だか嫌な予感がする。俺が来たときの魔法陣と似ているが、形が少し違う気がする』
『試しに一角ウサギを捕まえてきて、魔法陣へ投げてみた。魔法陣はバチバチと音をたてながら赤黒い雷のような光を纏いだした。次の瞬間、一角ウサギが消えた。何処に行ったのかは分からない』
『あれから実験を繰り返したが、やはり飛ばされた先は分からない。もしかしたら、大昔に大陸間の移動に使われていたかもしれないという話だが、何処に出るか分からない上、生きて帰って来れる保証もない。一緒に来てくれたアリアンにも申し訳ないが、これでおしまいにするしかない』
最後の行を追っていた私の指が、ぴたりと止まった。
(ん……? アリアン? えッ?! これ、あのアリアンさん……?!)
文字を目で何度も追い直すが、間違いなくそこには見知った名前が刻まれていた。
それ以降の書き込みはなかったが、意外な名前が出てきて私は呆然と立ち尽くした。
「もしかしたら……帰れる?」
消えかけていた希望の火が、胸の奥でかすかに燻っていた。




