第百五十九話 朝靄の世界樹と研究馬鹿
翌朝目が覚め鏡を見れば、私のお目々は腫れ上がってじんわりと熱がこもっていた。
「何だその目は。開いてないぞ」
「うぅ……。昨日泣きすぎて腫れちゃったのよ」
私の顔を見たクロは、眉間にシワを寄せて目を細めた。
「水を貰ってきてやるよ。冷やせば少しはマシだろ?」
セリスはそう言って、宿の主人のところへ走って行く。
「……お前、子供に世話してもらって恥ずかしくないのか」
「うぅ……。面目ない……」
クロとそんなやり取りをしている間に、セリスは水を張った桶と手ぬぐいを持ってきてくれた。
「さっさと冷やせ」
クロはそう言って桶の中に、魔法でいくつか氷を浮かばせてくれた。
「はぁ……。気持ち良い……」
氷水で濡らした手ぬぐいは、私の瞼の熱を急速に奪っていく。
「お前には付き合いきれん。俺はシャーマン達へ聞き込みに行ってくるぞ」
呆れた声でそう言うクロの声を聞きながら「ごめんねぇ……」と返事をすると、クロの足音が廊下へ向かって行くのが分かった。
「私も聞き込みに行ってくるよ。街の人達から子供の目撃証言がないか片っ端から当たってくる!ミサキ相手じゃ話さないだろうし」
何故だが気合を入れたような張り切った声を響かせて、私の返事を待たずにセリスは部屋のドアへ向かう。
「……何であんなにやる気なのかしら?」
手ぬぐいを目から離しドアの方をチラリと見るが、既にセリスは部屋を出た後だった。
「だいぶ熱っぽさが引いてきたと思うんだけど……」
鏡を見て再び目元を確認すると、寝起きよりもかなりマシになった顔がそこには映っていた。
「まぁ、みっともなさは半減したかしら?」
そんなことを言いつつ、外套を引っ掴んで足早に図書館に向かった。
目を冷やしていたため皆には遅れを取ったが、まだ朝靄は街を包んでいた。
白い霧の向こうに、世界樹の巨大な影が浮かんでいる。
世界樹は枯れていて葉は一枚もないが、霧に沈む街を見下ろすように佇む姿には、長い年月を生きたものだけが持つ、静かな威厳が満ちていた。
加えてシャーマン達の研究室や住居になっているために、世界樹の幹にあるいくつかの窓からは小さな灯りが見えている。
こんな風景を見れば、自分が小人にでもなったのかと錯覚してしまうというものだ。
「御伽噺みたいな風景よね……」
世界樹に取付けられたドアを開けつつ、私はそんなことを呟いていた。
「ミサキさん、お早いですね。メルケ様も先程いらっしゃいましたよ」
カウンターで既に作業を開始していたアリアンさんに会った。
「おはようございます、アリアンさん。今日も資料の閲覧をさせてもらっても宜しいでしょうか?」
「えぇ、構いませんとも!私はこちらにおりますので、何か分からないことがあれば仰って下さい」
優しそうな微笑みを浮かべて話してくれるアリアンさんに、私はお礼を言って昨日の資料がある一角へ移動した。
「さて……昨日の続きから」
異世界召喚についての資料は数が少ないとは言え、この莫大な蔵書量の中で言えば少ないほうだというだけの話だ。
私が読まなければならない資料は、凡そざっと見て二百冊ほどはある。
「全部目を通すまでにどれだけかかるかしら……」
思わずため息が出たが、資料を読む手だけは止めなかった。
昨夜決意を新たにしたばかりで挫けてなどいられないと、私は資料を読み漁った。
「駄目ね……。召喚者の記録からはヒントになりそうなものがないわ」
召喚された人物の記録や日誌を読み進めたが、一向に召喚された人がどこに飛ばされるかなどの傾向は全く分からなかった。
「全部がバラバラだわ……。出身も、性別も家庭環境も。地球以外からも飛ばされてきてるっぽいし」
召喚者の一人は、見た目がトカゲのような獣人だった者もいたようだ。
(全ては神の御心のままにってこと……?ふざけてるわね、全く)
心の中で悪態をつき、イライラをどうにか抑えようとしていると、不意に声をかけられた。
「ミサキさん、進み具合はどうですか?」
「アリアンさん。……あまり芳しくないですね」
集中して何冊も読んでいたせいか、目が重く感じられて私は目頭を押さえる。
「もうこんなに読まれたのですか?」
私の前に置いてある本を見て、アリアンさんは目を丸くして尋ねた。
「あぁ……。まだ全然進まないんです。やっと五冊ですよ」
私は天井を仰ぎ見て、凝り固まった首と肩を揉みほぐしながら答える。
「まだ昼前ですよ。もう五冊も読まれているとは……。ミサキさんは高度な教育を受けられていたのですか?識字率の高いダークエルフでも、研究書を読むのは難儀するはずです」
アリアンさんは、私が読み終えた本に手を置き目を鋭くして私を見つめる。
「……しかもこれは何千年も前の古代ダークエルフ語で書かれた研究書です。解読しながらとなると、私とて時間がかかります」
(あ、まずい。これは怪しまれてる?そういえば、タリエシンさんがどこまで説明しているのか、この人が信用できる人なのか、全く確認してなかった!!)
クロと顔なじみっぽかったのでクロに確認もせずに信用していたが、どこまで話していいのか今更ながら疑問が出てきた。
「あ〜……。いや、えっと……。高度な教育を受けていたかどうかは分かりませんが……。まぁ、ある程度の教育は受けてます……はい」
背中に嫌な汗が伝うのが分かる。
笑顔は引きつり良い言い訳も思いつかず、たどたどしく答えてしまった。
(余計怪しい!ヤバい!!どうしよう!)
内心ヒヤヒヤしながらアリアンさんの言葉を待つ。
待つ間は生きた心地がせず、やたらと喉が渇いた。
次の瞬間、アリアンさんの目が一際鋭く光る。
「ミサキさん、あなた……。私の助手になっては下さりませんか?!」
「……は?」
まさかの申し出に、私は素っ頓狂な声を上げ目を見開いてしまった。
「あなたがいれば私の研究も進みましょう!!古代ダークエルフ語で書かれた書物がどんどん劣化していて、読み解くのが大変なのです!この研究書が読めるあなたなら!!私が読めない物も読めるかもしれません!そうなれば私の研究が——」
「うるさいぞ、この研究馬鹿め」
アリアンさんの目には、常人には理解しがたい熱が宿っており、熱い想いが一気に解き放されていた。
しかし、それを後ろから来たクロが一刀両断する。
「お前は首都の大シャーマンになったというのに、相変わらず研究ばかりしているのか。ミサキは自分の子供の手がかりを探すので忙しいんだ。お前の手伝いをしている暇はないぞ」
「し、しかし……。あと少しなのです!あと少しで——」
「くどいぞ。人族の寿命は短いのだ。貴重な時間を奪うな」
クロは低い唸り声をあげて怒りを露わにする。
するとアリアンさんは、その一言で我に返ったように瞬きをした。
「確かに……そうですね。失礼しました……」
肩を落とし、トボトボと戻っていくアリアンさんの背中は、なんとも言えない哀愁が漂っていた。




