第百五十八話 カスタードの香り漂う決意の夜
夜風が吹き抜ける街へ飛び出すと、冷たい空気が熱を持った私の頬を容赦なく撫でた。
「あー! もうっ!! なんなんだよ、アイツは!!」
誰もいない路地裏で、私は頭を抱えて叫んだ。
自分でも顔が火照っているのが分かる。
夜風のせいなんかじゃない。
急に涙を浮かべて、あんな顔で「ありがとう」なんて言われたら、どう返事をしていいか分かるわけがないじゃないか。
(人族にしては考え方が妙に私達に近いと思ってたけど、この世界の人族じゃなかったなんて……)
最初聞いたときは、アイツの頭がおかしくなったのかと思った。
けど、あんな真剣な目と、胸を締め付けられるような切ない顔をしていたのが、嘘だとは思えない。
「八歳と十歳の子供か……」
(私が母様を亡くしたのは六歳のときだったな。そんなに変わらない子供が母親と逸れたなんて……)
母様を亡くしたばかりの頃の記憶が蘇り、胸がズキリと痛んだ気がして胸の辺りの服を手で鷲掴みにした。
見知らぬ世界に子供だけで放り出されたかもしれないなんて、その子達はどれだけ心細いだろう。
それに、アイツはどうだろうか。
子供と離れ離れになって辛いだろうに、それを一人で抱えて旅をしてたのか?
弱音も吐かず、いつも能天気に笑って、私にお説教ばかりして。
人族のくせに恐ろしいほど心が強くて、芯があって……。
我が子を探すために、諦めずに歩き続けている。
私ならどうだ? 見知らぬ世界に一人で落とされ、子供と離れ離れになったら、あんな風に笑っていられるだろうか。
立ち上がることすら出来ずに、泣き崩れていたかもしれない。
『あなたにはもっと気高くあってほしいの。他者を尊重し、敬意を払う。そんなに難しくないでしょ?』
世界樹の図書館で言われた言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
頭にチョップを叩き込まれて、子供扱いされて腹が立ったけど……アイツが本気で私のことを思って言ってくれたのは、既に分かっていた。
「……ふん。気高くあれって言ったのは、お前だろ……」
私は小さく呟いて、夜空に浮かぶ月を見上げた。
月明かりに照らされる巨大な世界樹が、静かに私たちを見守っているように見えた。
そうだ。
私は誇り高きダークエルフ。エイノンの娘。
困っている仲間……いや、私に敬意を払ってくれたミサキが助けを求めているなら、手を貸すのが『気高きダークエルフ』というものじゃないか。
……別に、人族に肩入れするわけじゃない。
ミサキの子供たちがかわいそうだし、気高い私にはそれだけの義務がある。
ただ、それだけだ。
「よしっ……!」
胸のつかえが取れると、途端に周りの景色が視界に入ってきた。
その一つに私の大好きな甘味が売ってあるのが見える。
「あれは……。よし!アレを買っていって、食べさせてやろう!甘いものは元気になるからな」
私は少し誇らしげな気分になりながら懐を確かめ、屋台へと足を進めた。
◆ ◆ ◆
「セリス、何処まで行ったのかしら?」
なかなか帰ってこないセリスに私は段々と心配になってきて、窓の外を眺めては部屋の中をウロウロしていた。
「この街は、ほぼダークエルフしかいないし、治安も良い。心配しすぎだぞ」
部屋の中を行ったり来たりする私にウンザリしているクロは、先程まで私にブラッシングと肉球のマッサージを受けてツヤツヤのピカピカに仕上がっている。
「そうは言っても……」
私が言いかけたとき、部屋の外から足音が聞こえガチャリとドアが開いた。
「蜜芋虫を買ってきたぞ!皆で食べよう!!」
満面の笑みを浮かべたセリスが、何かを両腕に抱えて部屋に入ってきた。
「み、みつ芋虫……?」
(芋虫って……あの芋虫……?)
非常に嫌な予感がして私は顔が引きつった。
昆虫は見たり触ったりする分には何とも思わないが、食べるとなると話は別だ。
日本で昆虫食なんて食べる機会はそうそうない。
一度コオロギが話題になったときに、近所のスーパーで昆虫食の自販機が設置されていたが、姿がまんまコオロギで食欲など湧かなかった。
「さっき露店で買ってきたんだ!甘い物を食べたら元気が出るだろ!!」
私の目の前に差し出された蜜芋虫は、手のひらサイズのバカでかい丸々と太った芋虫そのものだった。
「こ、これは……生きてるの?」
セリスの顔を見れば分かる。
これは完全に善意だ。
きっと落ち込んでいた私を、少しでも元気にしようと買ってきてくれたのだろう。
「生でも食べられはするけど、炙ったほうが甘味が増して美味しいんだ!これは炙ってるやつ」
「へ、へぇ~……。初めて食べるわ……。ど、どうやって食べたら良いの?」
とりあえずセリスから受け取ろうと手を伸ばすと、丸々一匹渡された。
香ばしい匂いはするものの、炙られて焦げ目のついた黄色い皮と無数の小さな脚がリアルで、視覚が完全に拒絶している。
(ひぇぇ!!まさか一人一匹食べるの?!……あぁ!セリスが抱えてるのって蜜芋虫?!あと二匹持ってるってことはやっぱり……)
受け取った蜜芋虫を見つめて固まる私に、セリスは食べ方のレクチャーをする。
「そのまま齧るとプチンとした食感があって良いんだ!半分に割って半生のとこを先に食べる人もいるけど、私は食感が好きだから、そのまま齧る!」
そういうとセリスは大きな口を開けて蜜芋虫に齧りついた。
美少女が芋虫に齧りついて美味しそうに頬張っている姿はなんともシュールな絵面だ。
「わ、わぁー。おいしそうだなー」
棒読みになってしまったが、セリスは気づいていないようだった。
チラリとクロの様子を見れば、既に美味しそうに食べている。
(く……っ!私だけ食べないなんて、セリスの好意を無駄にはできないわ!!腹を決めるのよ!ミサキ!!!)
「い、いただきますっ!!!」
目を固く閉じ、半ばやけくそで口を大きく開ける。
手に伝わる丸々とした弾力に背筋を凍らせながら、一気に思いっきり齧りつけば、ブチン!という食感と共に口の中にドロリとした甘いカスタードのような風味が広がった。
「……なにこれ、美味しい」
「そうだろ?これ、若い幼虫ほど甘いんだ!大人になっても食べられるけど、甘みはほとんどなくて美味しくない」
セリスが指についた蜜芋虫の体液をぺろりと舐めとる姿は何かのCMのようだが、手に持っているのは芋虫だ。
「久しぶりに食べたが、やはりここのは濃厚で美味いな。しかし、蜜芋虫は高級品の部類だろう。良かったのか?」
クロを見れば既に食べ終えており、前足を綺麗に舐めて毛繕いをしていた。
(え?高級品……?これ、高級品なの?!)
「せ、セリス?!高いのに三つも買ってきてくれたの?」
「大丈夫だ、これくらい!……元気出たか?」
こちらを心配そうに伺うセリスの様子に胸がいっぱいになり、思わず目頭が熱くなった。
(ああ、この子は本当に優しい子だ……)
かつて日本で、周と渉がお小遣いを寄せ集めて、母の日に小さなケーキを買ってきてくれた時の誇らしげな笑顔が、セリスの姿に重なった。
溢れ出しそうな涙をぐっと堪えて口を引き結ぶが、それぐらいでは私の涙は止まらなかった。
仕舞いには嗚咽まで漏らしながら泣いていた。
「うぇ……っぐ。ゼ、ゼリス、あ゙り゙がとねぇぇぇ……。うぐっ。うぇっぐ……」
「……え。だ、大丈夫か?」
「お前……。流石に気持ち悪いぞ……」
あまりの泣きように二人はドン引きしていたが、私は本当に嬉しくてしょうがなかった。
(お母さん、頑張るからね。絶対、見つけ出してあげるから……)
そう決意を新たにした夜は、甘いカスタードクリームの香りが漂うちょっとしょっぱい夜だった。




