第百五十五話 他者への敬意
遠くから見た世界樹は、ただの巨大な枯木に見えたのだが、近づいてみるとその印象は一変した。
見上げても頂きが見えない。
枯れた幹は山のようにそびえ立ち、太い根は大地そのものを抱え込むように伸びている。
葉もなく、枝も枯れ果てているというのに、何故かそこには死んだ木には決して感じられない何かがあった。
私は見えない頂を見上げて、感嘆の息を吐く。
(本当に枯れてるの?長い眠りについているだけって感じもするけど……)
そんな錯覚を覚えるほどの生命力に溢れた枯木の周りは、何故だか空気が澄んでいて身体も軽く感じた。
時折吹く風も、肌寒いはずなのにどこか心地良く感じる。
「すごい……。精霊が沢山いるぞ!なぁ!!私、こんなの見たことない!あぁ!月と星と大地に感謝を!!精霊よ、未だに世界樹を守ってくれていることに感謝を!!」
セリスに至っては、目を輝かせて胸で手を組み、祈りを捧げ始める始末だ。
周囲を歩いていたダークエルフ達はセリスをジロジロ見ていたが悪意ある視線ではなく、どこか微笑ましいものを見るような優しい目だった。
とはいえ、私に気づいたダークエルフ達は一様に顔を顰めていた。
仕方ないことではあるが、手を出してこないだけマシだと思い、気にしないでおくことにした。
「おい、恥ずかしいから早く中へ入るぞ」
クロはテンションMAXになったセリスを一瞥して、私に早くしろと急かす。
「はいはい……。ちょっと待ってよ。何の施設か分かんないんだから」
私は一番大きなドアへ行き、ドアに付けられたノッカーを叩く。
ガンガンガン!
「あの〜……。すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
耳を澄ませても応答はなく、木々のざわめきが聞こえるだけだった。
ガンガンガン!!
「すみませーん!!ミサキと申します!タリエシンさんの村から来ました!どなたかいらっしゃいますかー?!」
再度ノッカーを強めに叩き、叫ぶように呼びかけた。
すると、ガチャリと鍵が開く音が聞こえ、重厚な音とともに両開きのドアがゆっくりと開いていく。
「あれ……?誰もいない?」
ドアが開いたのに、開けてくれたはずの人物は見当たらず困惑していると、どこからか声が聞こえた。
「タリエシン様から話は聞いております。中へお入りください」
「え?!ど、何処にいるの?声だけ聞こえる!!」
私が驚いて飛び上がると、クロとセリスは「またか……」と言わんばかりの顔で私を見ていた。
「これは精霊を媒介にして音を届けているだけだ」
クロは近くにいた光の玉を顎で示した。
「へぇ……。こっちの声も届けてくれるの?」
「それは無理だ。一方通行だから、こっちの声は聞こえてないよ」
セリスはドアの隙間から中を覗き込み、キョロキョロと辺りを見回しながら言った。
「じゃあ、何で私達が来たのが分かるのよ?」
近くに誰もいないのに変だなと思っていると、セリスが何かを見つけて指さした。
「たぶんあの精霊が客が来たのを教えたんだと思う」
指さした方を見れば、確かに別の精霊が、ドアの上にふよふよと浮いていた。
(複雑なことは出来ないから、精霊一つ一つに役割を与えているのかしら?電気の回路みたいね……)
「とりあえず、あの精霊についていくぞ」
そう言ってクロは足取り軽く世界樹の中へ入っていった。
「あ!待ってよ!!」
私は慌てて二人を追いかけ、世界樹の中へ足を踏み入れる。
世界樹の中は温かく、木の香りと図書室のような古い書物の匂いがした。
先へ進むと大きな広間があり、そこには壁側の本棚に所狭しと書物が並べられていた。
広間の中央には円形のカウンターがあった。
それを中心としてテーブルが放射状に置かれている。
タリエシンさんと似たような格好のダークエルフが書き物をしたり、書物を運んだりと忙しなく働いている。
「綺麗な図書館ね……」
私がポツリと零すと、セリスが「図書館とは何だ?」と片眉を上げて尋ねてきた。
「図書館ていうのは、ここみたいに沢山の書物を集めて見たい人に貸したりとか、あとは本の保管や修繕をしたりするところよ」
「そんなことして何になるんだ?」
「何になるって……。知識を書き留めておけば、残された人達が分からなくなったときにいつでも見返せるじゃない」
私が説明しても、セリスはよく分かっていないようだった。
「……バルドガルド王国では、長い歴史の中で廃れていったものがあって、最近それを調べなきゃならなかったの。でも中々見つからなかったらしいわ。でも、ノクス=ヴェリアの人が書物を貸してくれたって言ってたの。お陰で必要なことは分かったし、対策も立てられたのよ」
「はっ!ドワーフはバカだな!!」
吐き捨てるように言ったセリスに、私は一喝した。
「セリス!人をすぐバカにするのは止めなさい!!他種族でも敬意を持って接するの。そうすれば、相手もあなたを尊重してくれるわ」
「……別に、ドワーフごときに尊重されたくはな——いたっ!」
私は注意しても全く聞く耳を持たないセリスの頭にチョップを叩き込んだ。
セリスは頭を抱えて涙目で私を睨んでいる。
(はぁ……。周や渉にも、しょっちゅう言って聞かせてたわね)
胸の奥で我が子の面影を思い浮かべながら、私はセリスの肩に手を置いて目線を合わせた。
「セリス……。他者を蔑むと、あなた自身の格が下がるの。あなたは誇り高いダークエルフでしょ?あなたにはもっと気高くあってほしいの。他者を尊重し、敬意を払う。そんなに難しくないでしょ?だって、あなたは私にそうしてるじゃない」
私はセリスの肩に手を置いて目線を合わせた。
セリスは少し照れたように頬を赤くし、そっぽを向いている。
「べ、別に!私はミサキに敬意を払ってるわけじゃ………ない……、こともないけど……」
最後のほうは尻すぼみでよく聞き取れなかったが、何となくでも伝わっていれば良いだろう。
もう少し大人になれば、分かってくれるかもしれない。
「ほっほっほ。素晴らしい考えですね。貴女がミサキさんですか?」
カウンターから出てきた高齢の男性が、私に声をかけてきた。
「ええ、そうですが……。あなたは?」
「おぉ……。これは失礼しました。私は首都のシャーマンをしております。エイニオンと申します」
タリエシンさんと同じ深い藍色のローブを着た物腰の柔らかそうなダークエルフは、お辞儀をして挨拶してきた。
一瞬、これまで見てきたダークエルフと違いすぎて固まってしまったが、セリスから肘で小突かれて慌てて挨拶を返した。
「こ、これはご丁寧に!ミサキと申します!!こちらはタリエシンさんの村の村長の娘さんで、セリスといいます」
私はセリスの肩に手を置いて紹介した。
するとセリスは胸の前で両手を組み、静かに目を伏せた。
「月と星の導き、精霊の御心により、こうしてエイニオン様にお目通り叶いましたこと、感謝いたします」
そんな挨拶をしているところを見たことがなかった私は、目を丸くして驚いていると、エイニオンさんがセリスの前に進み出てきた。
「月と星に感謝を。精霊の導きに感謝を。セリスと言ったね?顔をお上げなさい」
セリスは顔を上げると、私の顔を見て一瞬ギョッとした。
「な、何よ?!その顔は!」
「だ、だってセリスがちゃんとしてるんだもの!!凄いわ!やればできるじゃない!」
「……は?」
「やっぱり村長の娘だから儀式的なこととか、挨拶とかはきちんと叩き込まれてるのね!偉いわ!!」
私は素直に褒めたつもりだったのだが、何故かセリスは顔を真っ赤にしてプリプリ怒っていた。
「なによその『珍しいもの見た』みたいな目は!!」
「だって珍しいんだもの……」
キーキーと怒るセリスと、それをどこか楽しそうになだめる私のやり取りを、エイニオンさんは目尻に優しげなシワを刻みながら、温かい眼差しで見守っていた。




