第百五十三話 月が照らす未来
「あぁーっ!もう!!大丈夫だってば!」
私は大声を出して抗議するが、全く信用してもらえない。
「何言ってるの!無茶してまた怪我でもしたらどうするのよ?!昨日だってそう言って、友達と森に入ったら怪我して帰ってきたじゃない!!」
この人族のミサキという奴は、かなりの心配性だ。
何かにつけてうるさく私に小言を言ってくる。
鬱陶しいったらない。
「き、昨日はちょっと油断しただけよ!今日はもう調子がいいの!じゃあ、行ってくるから!!」
「あ、こらぁー!まだ話は終わってないわよっ!!……全く。全っ然、言うこと聞きゃーしないんだから!」
◆ ◆ ◆
セリスはあれから随分と回復した。
かれこれもう三日ほどたったが、若者の回復力には脱帽するばかりだ。
心配していた精神汚染もなく、今では以前と変わらず過ごせているようで安心した。
エイノンやセリスの態度が和らいだせいか、他の住人も私に対して少しずつ心を開いてくれるようになった。
クロに至っては、森の恵を供えられる始末だ。
愛の女神様の加護の効果かと思ったが、どうやら影豹だったことがエイノンを通じて知らされたようで、森の神様として毎日のように色んな人から貢ぎ物を貰っている。
ダークエルフにとっては神にも近しい存在らしい。
心無しか、クロがここ数日で丸くなったような気もしなくもない。
「何だ?そんな目で俺を見るな」
「そんな目って、どんな目よ」
「俺は太ってないぞ……」
クロはプイッと顔を背けて不貞腐れたように言った。
「……自覚あるんじゃないの」
やれやれとため息を吐いた私は、タリエシンさんの家を目指して慣れた断崖絶壁の細い階段を登った。
◆ ◆ ◆
「おぉ、ミサキ。どうしたかのう?セリスがまた逃げ出したか?」
面白そうに笑いながら話すタリエシンさんに、私はため息を吐きながら答えた。
「えぇ。全く聞いてくれません。もう少し大人しくしていて欲しいのですが……」
「まぁ、心配しておった後遺症も見られんからの。いいんではないかのう?」
嬉しそうに髭を撫でながら言うタリエシンさんに、私はそれならばと話を切り出した。
「……では、私はそろそろ首都へ向かいたいと思います。後遺症もなく、以前と同じ暮らしが出来ているのであれば、私は必要ないかと」
そう伝えた瞬間、タリエシンさんの表情は一瞬曇った。
「……セリスには言ったのかのう?」
「……いいえ」
「そうか……」
短いやりとりだったが、お互いの言いたいことは何となく察しがついていた。
セリスは目が覚めてからも、悪夢を何度も見た。
悪夢を見る度に私を呼び、泣きついてくる。
症状が酷いときには「母様!母様!!」と泣きながら私にしがみついて離さない。
子守唄を歌いながら頭を撫でてやれば、その内泣き疲れて眠るのだが、暫くするとまた悪夢を見て飛び起きるのを繰り返した。
お陰で私は寝不足だが、セリスはどうにか回復できたようだ。
昨夜は悪夢を一度見ただけで、あとは朝まで寝てくれたのだから、かなりの進歩だと思う。
私がいなくなった後が気がかりではあるが、私も自分の子供達を探したい。
そう思ったとき、川向こうの森で見た旦那と子供達の軽蔑したような表情を思い出し、胸がちくりと痛んだ。
「ホント、ここの精霊って性格悪いわね……」
あの時は旦那の顔をぶん殴ってやったが、傷つかなかったわけではない。
やはり四十代ともなれば、ある程度の人生経験を積んできたこともあり、多少のことでは壊れたりしないのかもしれない。
いつだったか、タリエシンさんから「森に入ったときに何か見なかったのか」と聞かれ、クロが私の代わりに説明したことがあった。
「こいつは母親を怒鳴り散らして、旦那を殴り飛ばした」
と、かなり省いた説明をしたせいで、タリエシンさんは目を丸くした後、大笑いしながら暫く床を転げ回っていた。
そんなことを思い出していると、タリエシンさんは私の考えを読んでか、ポツポツと話出した。
「精霊にも色々性格がある。それに、川向こうの精霊はドライアドが主導して精神攻撃をするようになっているからのう。知能が高い分、厄介なんじゃ」
「へぇ……。ドライアドは精霊の仲間なんですね」
てっきり魔物の仲間かと思っていたが、どうやら違うらしい。
「ドライアドの分類は、正しくは精霊じゃよ。人族は魔物扱いする奴もおるがのう。ただ、それを言うとドライアドはかなり怒るぞ。やめたほうが賢明じゃ」
「……気をつけます」
苦笑いを浮かべて返事をする私に、タリエシンさんは微笑みながら頷いた。
暫く何でもない会話をして、明日発つことを伝えた。
セリスにバレないよう夜のうちに出発したい旨も説明しておいた。
散々な目に遭わされたとはいえ、やはり私を頼ってくれる子供に縋られると、気持ちが揺らいでしまうと思ったからだ。
タリエシンさんは私の説明を聞いて、腕組みしながら何か考え込んでいたが、特に何を言われるわけでもなく、話は終わった。
その日の夜は雲がなく、月と星が綺麗に見えた。
私達は旅支度を整えて、タリエシンさんの家で挨拶を済ませる。
「では、お世話になりました」
「この国のシャーマンには念を飛ばして伝えておいたでの。攻撃されることはないとは思うが、道中気をつけてのう」
「ありがとうございます」
「タリエシン。お前も若くないんだ。あまり無茶するなよ」
クロはタリエシンさんに釘を差したが、この人にはあまり意味がないように思う。
「そうじゃのう。メルケもジジイなんじゃから、無茶するでないぞ」
「何だと?!クソジジイ!」
「やるかぁ?この毛だるま!」
「あー!うるさい!!しみったれた別れ方が苦手なんでしょうけど、子供っぽいわよ!二人とも!!」
二人の間に割り込んで仲裁に入ると、二人とも私を軽く睨んでそっぽを向いた。
「全く。男はいくつになっても子供よねぇ……」
呆れた私は「さっさと行くわよ」とクロに声をかけて先に家を出た。
これは私なりの気遣いだ。
私が居ると、話せないこともあるかもしれない。
ゆっくりのんびり月や星を見ながら、断崖絶壁の階段を下る。
この景色も見納めだ。
もう来ることはないだろうと眼下に広がる雄大な森を眺めた。
村の端に差し掛かった頃、クロが私の影からぬぅっと出てきた。
「ひぇっ!……なんだ、クロか。ちょっと!!びっくりさせないでよ!」
心臓が止まるかと思って胸を押さえながら抗議したが、クロはどこ吹く風だ。
「全くもう……」
ブツブツ言いながら更に進むと、クロがピタリと立ち止まった。
「どうしたの?」
先を行くクロに声をかけるが、返ってきた答えはクロからではなかった。
「遅いぞ!待ちくたびれたじゃないか!!」
月明かりに照らされた村の境界で、弓と大きめのリュックを背負い、仁王立ちしていたのは旅支度を整えたセリスだった。
「な、何でセリスがここに?!」
見つからないようにあえて夜中に出発することにしたのに、完全にバレているのはどういうことかと逡巡する。
「タリエシン様に、あんたを首都まで案内しろって言われたのよ!」
「は、はぁ?!」
(私が話したときに、タリエシンさんが何やら考え込んでいたのはこのことね?!余計なことを……っ!)
「おい、小娘。道案内などいらん。俺がいれば十分だ。子供の世話などしきれん。こいつで手一杯だからな」
クロはチラリと私を見てセリスに言ったが、それには私も納得できない。
「ちょっと!私の世話って何よ!!聞き捨てならないわ
!」
「私とて、もう子供ではないぞ!!……成人はまだだが。狩りとて出来る!」
セリスと二人でクロに抗議していると、クロは耳を後ろにペタリと伏せて、至極嫌そうに顔を歪ませた。
「女が揃うとやかましくてかなわん……」
「やかましいって何よ!だいたいねぇ……!」
そんなやり取りを、タリエシンさんとエイノンは村を見渡せる高台から見ていた。
「これで良かったんでしょうか……」
エイノンは不安そうにセリスの行く先を見つめて呟いた。
「こうせねばならんのじゃよ。これからこの村を背負っていく者に、外の世界を見せねばならん。そうしなければ、この村どころか、ダークエルフは滅ぶだけじゃ……」
タリエシンさんは静かに目を閉じ、深くため息を吐いた。
遠くから聞こえるミサキ達の賑やかな声は、夜の森へと少しずつ吸い込まれて消えていく。
見上げた夜空の月は、暗く閉ざされていた森の未来を静かに照らし出していた。




