第百五十二話 母様の面影
「母様!見てください!!一角ウサギを獲ってきました。今日はこれを焼いて食べましょう!」
私は母様に駆け寄って、弓で仕留めた一角ウサギを掴み上げて見せた。
母様は亡くなる前の綺麗な姿だったが、私は何故か16歳の今の姿だった。
でも、不思議と疑問に思わなかった。
母様は一瞬驚いた顔をしたが、ニコリと微笑んで私の頭を撫でてくれた。
「セリス。祝い事や飢饉でもないのに、森の生き物を無闇に狩ってはいけないわ。事故や怪我で弱っているのを獲ってくる分には良いけれど、森と精霊と共に生きるダークエルフは、無駄な殺生をしてはいけないわ」
「で、でも……。母様に喜んでほしくて……。ごめんなさい」
「良いのよ。私の可愛い子。ただ……」
言葉に詰まった母様を不思議に思い、撫でられながらも私は顔を上げた。
すると、母様の頭からは血が流れ出て、その血は私の顔にポタポタと雫となって落ちてくる。
「か、かぁ……さま?」
顔が引き攣り、やっと絞り出した声を掠れて喉が痛い。
何かが変だと思っても身動きが出来ず、呼吸もままならなかった。
そんな私に母様は顔を近づけてきて尋ねる。
「どうしてあの時、森に来たの?お利口に待っててって、約束したのに。……あなたさえ来なければ、私は今も生きていたのに」
——あなたさえ、いなければ。
「うわぁぁぁぁぁ!!!」
私は悲鳴を上げて飛び起きた。
呼吸は荒く、上手く出来ない。
上手く吸えない。——苦しい。
喉の奥に鉛を詰め込まれたように、空気が通らない。
指先が冷たく痺れ、心臓が肋骨を内側から叩き割る勢いで脈打つ。
吸っても、吸っても、酸素が胸に届かない。
喉からヒューヒューと酷い喘鳴が漏れた。
「大丈夫よ。ゆっくり吐いて」
優しい声がした。
母様の手とおんなじだ。
背中をゆっくり擦ってくれている。
「そぅ。上手よ。ゆっくり吐いてね」
あぁ——。
さっきのは悪い夢だ。
母様はここにいるじゃないか。
温かい。
何だか疲れた。
……少し、休もう。
「母様……。少し、休みます……」
「……そう。ゆっくり休みなさい」
私はまた、意識を暗闇の底に沈めて眠りについた。
「ここはどこだろう?」
真っ暗な森の中に、私は一人立っていた。
村の近くの森じゃない。
そう思ったとき、嫌な感じがした。
「——川向こうの森?」
まさかと思った。
あそこは、嫌だ。
あそこには、行きたくない!
誰か……
「誰か助けて!!!」
叫んだところで誰も来ない。
来たのは、ジャイアントボアだった。
「ブヒィィィ!!!」
雄叫びを上げながら突っ込んでくる様は、母様が死んだあの日を彷彿とさせた。
あぁ、もうおしまいだ。
そう思った瞬間、私はジャイアントボアに撥ねられた。
空中に投げ出され、地面に叩きつけられる。
ゴロゴロと転がった先で目に入ったのは、血まみれの母様の姿だった。
「があ……ざま。ご、ごめんなざ……い゙」
謝っている途中で口から血が溢れ出てきた。
内臓をやったのだろうか。
不思議と痛みは感じなかった。
ただ、胸が締め付けられるように、痛んだ気がした。
——目の前が、真っ暗になった。
次は何だろう。
もう、何も見たくない。
何も考えたくない。
もう、休ませて……。
そう考えていたら、頭を誰かが優しく撫でてくれる感じがした。
「母様……?」
暫くその感覚に身を委ねていると、少しずつ心地良くなり、痛かった胸も幾分和らいだ気がした。
ぼーっとしていると、遠くの方から何かが聞こえてきた。
「……何だろう?何だか、懐かしい気がする」
身体を起こし、ゆっくりと音のする方へ歩みを進めた。
近づくにつれ、それが何か分かった。
——歌だ。
そのまま歩みを止めずに、ゆっくり進む。
少しずつハッキリ聞こえてくる歌を頼りに、そちらへ進む。
しぃ〜のや〜まぁ……通〜ればぁ〜♪
しぃ〜が、ぼ〜ろり、ぼ〜ろりとぉ〜♪
よぉ〜い、よぉ〜いよぉいよ〜♪
あんたがねぇーったる、す〜いはぁ〜♪
餅やらだごやらついといてぇ〜♪
あんたいばっかり、食わするば〜い♪
ね〜ん、ねぇ~ん、ねぇ~んよぉ〜……
「——子守唄……?」
聞いたことがないはずなのに、なぜか懐かしく、吸い寄せられるように歩みを進める。
間違いなく、ここから聞こえてくる——そう確信した瞬間、眩しい光に包まれて、私は目が覚めた。
「ん……」
何だか、温かい。
頭を、誰かが優しく撫でてくれている。
さっき聞こえていた子守唄も、聞こえる。
心地良くて、そのまま夢の中へ吸い込まれそうになったとき、大きい声が私の鼓膜を震わせた。
「セリス!!!意識が戻ったのか?!大丈夫か!!痛いところは?!気分はどうだ?!!」
その声のせいで私は目を大きく見開き、一瞬呼吸するのも忘れるくらい驚いた。
「と、父様?!もう!うるさい!!心臓が飛び出るかと思った!!!」
私は上体を起こし思わず叫んだが、叫んだ後にふらついて、またすぐ横になった。
横になったときに気づいた。
コレは、枕じゃない。
そう思ったとき、ふと視線を上へ向けると、優しく微笑んでいる『母様』がいた。
「——え?」
私は思わず声が出た。
目を何度か瞬いたとき、それは母様じゃないことに気づいた。
憎いはずの人族。
追い出そうとしていた邪魔者。
なのに、頭を撫でるその手からは、嫌になるほど優しくて温かい体温が伝わってくる。
振り払わなきゃいけないのに、身体がピクリとも動かない。
「おはよう、セリス。随分お寝坊さんね」
悪戯っぽく微笑むミサキの顔が、一瞬だけ、記憶の底にある母様の笑顔と重なって見えた。




