第百四十九話 お前さえ来なければ
「ごめんなさい!ごめんなさいぃぃ——っ!!」
叫び声が聞こえた方へ走っていくにつれて、声がしっかり聞こえるようになった。
「セリス!大丈夫?!いま向かってるわ!」
私は叫びながら必死に走るが、森の中は足場が悪く、とてもじゃないが速くは走れない。
「クロ!先にセリスのところへ!!」
「分かった!迷うなよ!!」
クロは私に声をかけると、一気に速度を上げて声のする方へ向かって行き、すぐ姿が見えなくなった。
私は必死に声のする方へ駆けたが、急に声が聞こえなくなると方向を見失いそうになる。
(森自体が動いて、方向が分からなくなるわね……)
真っ直ぐ走っているつもりだが、実際はどうか分からない。
私は一度立ち止まり、声を張り上げた。
「クロ!!何処にいるの?!」
「こっちだ!セリスは無事だぞ!!」
「あぁもう!右に随分逸れてたのね」
私が方向転換して進もうとしたとき、木が動いて行く手を阻んできた。
「トレントかぁ。魔法が使えるならまだしも、殴る蹴るでどうにかなるかしら……」
(いや、このグローブなら岩も砕けるって言ってたし、意外とイケちゃう?)
バルドガルド王から言われた言葉を思い出し、やってみるかと思ったその時、トレントが腕を振り下ろしてきた。
――ドォンッ!
爆音とともに地面が揺れ、土と落ち葉が大きく跳ね上がった。
私はそれを合図に一気に駆け出し、トレントが振り下ろした腕の脇をすり抜けるように、身を低くして走る。
しかし、トレントも即座に反応し、反対側の腕で私の進路を塞ぐように横薙ぎに腕を振ってきた。
「危なっ!」
私はギリギリで迫ってきた木の腕を躱し、その懐へ潜り込んだ。
目の前には巨大な幹が迫っており、私はそこ目がけて渾身の右ストレートを打つ。
ドゴォンッ!
衝撃波が出た感覚はあるが、アースワームを殴ったときのように爆散せず、トレントは微動だにしない。
「……効いてない?」
私は首を小さくかしげ、片方の眉を上げながら呟く。
ところがトレントが一歩踏み出した瞬間、ミシ……と幹の内部からかすかな音がした。
その音は次第に大きくなり、ミシミシミシ……と連続した音に変わる。
「……何?」
私がバックステップして距離を取った瞬間、バキィッ!と一際大きい音がしたかと思うと、トレントの巨体が大きく揺らぎ、そのまま地面に倒れ込んで動かなくなった。
「おい!!さっきの音は何だ?!セリスはここだぞ!」
少し先の方から、クロの心配そうな声が森に木霊した。
「大丈夫!今向かってるわ!!」
私はクロに叫んで返事をすると、急ぎ声のする方へ走った。
暫く走ると、蹲るセリスの周りをフォレストウルフが包囲していた。
クロはフォレストウルフからセリスを守るため、傍を離れずに魔法や爪の斬撃を使い、あっという間に殲滅してしまった。
「セリス!セリス、大丈夫?どこか怪我したの?」
私は慌てて蹲るセリスに駆け寄ると、肩を揺すって声をかけた。
しかし、セリスはガタガタ震えるだけで、顔すら上げてくれない。
「仕方ないわね……。セリス、ちょっとだけ顔を見せて?怪我してないか確認させてね」
私は半ば無理矢理セリスの顔を上げた。
セリスはあまり抵抗しなかったが、私はセリスの顔を見て『これはまずいかもしれない』と、内心かなり焦っていた。
セリスの目は虚ろで、私と視線が合わない。
私の存在を認識せず、口は半開きで呼吸は浅かった。
「クロ……。すぐに戻りましょ。セリスは私が背負うから、敵が来たらお願いしていい?」
「分かっている。だが、連れ帰っても治るか分からんぞ」
クロはセリスに視線を向けると、僅かに顔を曇らせた。
「そうね……。でも、置いていくわけには行かないでしょ?この状態で置いていったら死んじゃうわ。さぁ、行きましょ!」
私はセリスを背負い、クロの先導で来た方向に走る。
人一人を背負いながら、足場の悪い森を走るのはかなりキツかった。
木の根や飛び出た石に足を取られて、すぐバランスを崩しセリスを落っことしそうになる。
なんとか踏ん張ってセリスを背負い直し、急いで村を目指す。
途中で凶悪そうな植物系の魔物が出たが、クロがすぐ対処してくれたので実害はなかった。
(マンイーターかしら?ゲームでは何とも思わなかったけど、実物は気持ち悪いわね……)
刺々しいラフレシアのような顔に、棘のある茎か蔓のようなものが胴体と四肢を形作った奇妙な出で立ちで、酷い悪臭が漂った死骸の脇を通る。
あまりの臭いに胃の中の肉をぶち撒けそうになるのを堪えながら走った。
そしてついに森を抜けて川辺へ出たとき、私はようやく安堵の息を吐いた。
新鮮で冷たい空気が肺を満たして、胃の気持ち悪さも幾分和らぐ。
「川の飛び石は私じゃ落ちちゃうわね……。クロ、行ける?」
「問題ない」
クロは短く返事をすると、セリスの服の襟を咥えて一気に跳躍した。
「ちょっ!ちょっと!!なんつー運び方してるの!背中に乗せて運びなさいよ!!」
慌てて声を掛けたが、クロは飛び石すら使うことなく川を軽々飛び越えて向こう側へ渡ってしまった。
咥えていたセリスを解放し、クロは目を細めて私を一瞥しため息を吐く。
「背中に乗せて跳んだら落ちるだろ。コイツはしがみつく気力もないんだぞ。少しは考えろ。」
「た、確かに……」
色々考えての最適解だったのかと、自分の考えの至らなさに呆れながら飛び石を渡った。
そして村へ急ぎ、一番近くの民家へ駆け込む。
「すみません!助けてください!!セリスが森に入ってしまいました!」
ドアを激しく叩き助けを求めたが、帰ってきたのは怒号だった。
「うるさいぞ!!人族の戯言など誰が聞くか!セリスが掟を破るわけないだろう!帰れ!!」
「兎に角、ここを開けてください!セリスが大変なんです!!」
そう言っても全く相手にしないダークエルフに、私は頭にきて扉を蹴破ろうとしたとき、中から悲鳴が聞こえた。
「え?な、何事?!」
何が起こったのか分からず、私は周囲を警戒して辺りを見渡した。
「ひぃぃぃ!!た、助けてくれぇ!」
家の中から再度叫び声が聞こえたかと思うと、ドアが勢いよく開き、血相を変えたダークエルフの男性が家から飛び出してきた。
「先程助けを乞うた人族に、お前は何と言った?その相手に助けろとは、都合のいいことだ……」
何故か男性の後からクロが出てきて、鼻にシワを寄せて歯を剥き出しにして文句を言っている。
(……さては窓から侵入したわね?)
何やらかなりご立腹のようだが、住人が出てきたので正直助かった。
私はすぐに飛び出してきた男性へ声をかける。
「すみません!セリスが大変なんです!!村長を呼んでください!」
セリスの様子が分かるように、私は少し身をかがめた。
「……せ、セリス?本当に森に入ったのか?!くそ!エイノンとタリエシン様を呼んでくる!!」
男性は慌てすぎて躓きながらも、月明かりに照らされた絶壁の階段を駆け上がって行った。
私は先程の男性の家に上がり込み、セリスを床に寝かせる。
「セリス、村に着いたわよ。今、あなたのお父さんが来るわ」
私はセリスの顔にかかった髪を、指の腹でそっと優しく払ってあげた。
その時、家に近づく足音が聞こえてきた。
「セリス!!セリス大丈夫か?!」
家に入ると同時に叫んだ男性は、セリスの父、エイノンだった。
床に寝かせたセリスを見て駆け寄るエイノンの顔は、眉間に深い皺が刻まれ、その目は不安げに揺れていた。
「なんで……。こんなことに……」
「一人で森に入って行くところを見かけたから追いかけたんだけど、間に合わなかったわ」
「…………そんなはずはない」
エイノンは低く唸るような声で言った。
「セリスが……掟を破るわけないだろう。お前が!お前が唆して連れて行ったんだろう?!お前さえ来なければ!!!」
そう言ってエイノンは振り向きざまに腰の短剣を引き抜いて、私に斬りかかってきた。
「いい加減に……っ!」
私は迫り来る刃を見据え、鋭く息を吐き捨てた。




