第百四十八話 トラウマをねじ伏せろ
「かあさま〜!」
森から帰ってきた母様に、私は駆け寄って抱っこをしてもらう。
「セリス、お利口にしてた?」
「うん!みんなとあそんで待ってたよ!」
母様は村一番の弓の使い手で、綺麗で優しくて私は大好きだった。
狩りから帰ればいつも私を抱っこしてくれて、ご飯を食べる時には、その日の狩りの様子を話してくれた。
私はそれを聞くのが楽しみで、いつもニコニコしながら聞いていた。
ただ、あの日はいつもと違った。
母様は朝から狩りに出て、その日は戻ってこなかった。
いつもは遅くても夕方には戻ってくる。
一緒に行った他の狩猟仲間も帰ってきていなかった。
いくら何でもおかしいと大人達が騒ぎ出し、翌朝には捜索隊が結成されて森に入っていった。
「とうさま!セリスもいっしょに行く!!」
私は父様の足にしがみつき一緒に連れて行けと駄々をこねたが、連れて行って貰えるはずもなく、村で帰りを待っていた。
しかし、待てど暮らせど帰ってこないことに痺れを切らした私は、あろうことか大人達の目を盗んで森に入った。
一人で森に入ったことなどない幼い私は、すぐ道に迷った。
歩けど歩けど、変わらない景色。
木々は背が高く、視界は悪い。
茂みからガサガサと音がすれば、怖くて震えるしか出来ない。
その時、前方から声がした。
「かあさま……?かあさま!!」
私は寂しさからか、母様の声がしたと信じ込んだ。
声のした方へ走ると、そこにはとてつもなく大きいジャイアントボアがいた。
身体には弓が刺さり、あちこちに切傷も見える。
痛みからか、ジャイアントボアの息は荒く、気も立っているようだった。
私はあまりの迫力に立ち尽くし、足には生温かいものが伝うのが分かった。
地面に水溜りを作った頃には、ジャイアントボアも私に気づいた。
ジャイアントボアと目が合ったと思った瞬間、私は誰かに突き飛ばされた。
「いたっ!!……うぅ」
身体中が痛んだが、さっきまで自分が立っていたところを必死に身体を起こして視線を向けると、そこには頭から血を流した母様が横たわっていた。
「セリ……ス……。怪我は……ない?」
息も絶え絶えに言葉を発すると、口からも血が出てきた。
その光景があまりにも恐ろしく、幼い私は叫びながら気絶した。
◆ ◆ ◆
「なんだか、こっちの森の中は雰囲気が違うわね……。空気が重いっていうか」
昼間に入った森は、もっと冬のカラッとした澄んだ空気が流れていたが、川向こうの森は夏のようなじっとりとした重い空気が肌に纏わりつく。
「精霊がピリついているんだろ。出て行けと威嚇してるな」
「威嚇ねぇ……」
出て行けと言う割に、何とも可愛らしい抗議の仕方だと思っていたが、先へ進むごとに考えを改めさせられた。
「ひぇ!!?木が動いた?!」
「うわぁ!?なんか降ってきたぁ!!!取って!取ってぇ!!」
一歩、また一歩と進む度に、予期せぬことが起こり、私は心臓がその度に口から飛び出るかと思うほど驚いた。
「うるさいぞ!ただのスライムだ!!自分でどうにかしろっ!」
「スライム?!このっ!!驚かせないでよ、ね!!!」
私は首元に落ちてきたスライムを鷲掴みにして、地面に叩きつけ、思いっきり核を踏み潰した。
「お前はもう少し落ち着け……」
クロは大きくため息を吐くと、前脚で顔を押さえていた。
「そうは言っても、びっくりするのは仕方ないでしょ!」
クロを睨みつけながら抗議すると、クロの後方に誰かが立っているのが見えた。
「何だ?どうした?」
クロが振り向いたその先にいたのは、随分前に亡くなった、私の母だった。
「……母さん?」
「美咲!!久しぶりねぇ……。その子は?あんたのペット?」
「……クロよ。家族だからペットって言うの、止めてくれる?」
私はカチンときて思わず語気を強めて言ったが、母は気にしていないようで、クロに触ろうと近づいてくる。
「美咲は怖いから、虐められてなぁい?この子は口が悪いからねぇ」
母は笑顔でクロに近づいて行くが、私はクロと母の間に割り込み、近づけさせないようにした。
「何でこんなところに?母さん、癌で死んだはずでしょ」
母を見下ろし、冷たく言い放つ私に、母は急に顔を歪ませると、肌が病気で痩せこけていた頃のように土気色に変わっていった。
「何よ!その言い方は!!あんたが冷たいから私は病気で死んだのよ!親を捨てて自分だけこんなところで呑気に暮らして、恩知らず!!昔っからあんたは——」
薬品と腐敗が混ざったような嫌な匂いが漂い始め、腹部の病院着からは、滲出液と血が混じったものが滲み始めていた。
「うるさい!!今更化けて出たわけ?!死んでからもグチグチ言うの止めてくれる?!ヒステリックに怒鳴るんじゃないわよ!小さい頃からあんたの声が聞こえる度に気が気じゃなかったのよ!」
私は一気に捲し立てて母親に文句を言った。
小さい頃から言ってやりたかったことを言えて、少しばかり溜飲が下がる。
「な、何よ……。あんたねぇ!親に向かって——」
「うるさいっつってんの!親らしいことしてないくせに、母親面しないでよね!私は子供の役目は果たしたわよ!!最期は闘病生活も支えたし、ちゃんと看取ったわ!これ以上、苦しませるの、止めてくれる?!」
母親は目を見開き、口をあんぐり開けていたかと思うと、急に姿が歪み始め、瞬きしたときには旦那の姿になっていた。
「美咲!何処行ってたんだ?!お前が出ていってから大変だったんだぞ……」
記憶の中の旦那より、少しふっくらした印象を受けたが、旦那だと一目で分かった。
「ごめんね……。苦労をかけて」
旦那には母のときと違い、自然と謝罪の言葉が出てきたが、旦那の後ろから見知らぬ可愛らしい女性がひょっこり顔を出してきたことにより、私の頭はスゥっと冷えていくのが分かった。
「お前が勝手に消えてから、子供たちは毎日泣いてたんだぞ!あの子たちから母親を奪ったのはお前だ!そんなときに、彼女は支えてくれたんだ……。子供たちも懐いてる」
後ろからひょっこり現れた女性は、私の子供たちの手を引き、子供たちは私を冷たい目で見つめている。
「……そう。幸せになってくれるなら、それでいいわ。私は帰れるか分からないもの……」
「そ、そうか!お前ならそう言ってくれると——ぐぼぉほぉ!!!」
旦那が言い終わらない内に、私は渾身の右ストレートを旦那のムカつくニヤけ顔にめり込ませた。
「ただ、一発殴らせなさいよ!!」
「……もう殴ってるだろ」
殴った後に言う私に、クロは後ろから呆れたような声で言った。
旦那は殴ったが、まだイライラが収まらないので、もう一発いっとくかと近寄ると、旦那の後ろにいた女性と目が合い、「ひぃ……!!」と顔を歪ませた。
「あなたには何もしないわよ。あなたを殴ったら死んじゃいそうだし」
と私が笑顔で言うと、次の瞬間には煙が立ち上るように旦那と女性、子供たちすら消えていた。
「……何だったのかしら?幻覚?」
(それにしては殴った感触がリアルだったわね)
自分の手を見つめて訝しんでいると、クロが笑いを噛み締めたような声を出して、肩を震わせているのに気づいた。
「どうしたの?クロ」
「いや……。さっきのは恐らく、精霊達がお前を怖がらせて引き返すように仕向けたんだろう」
「はぁ?今ので怖がって引き返す人いるの?」
「『引き返させる』というよりは『過去のトラウマやその対象者の恐れていることを読み取って、精神的に壊して廃人にする』というような意図があるようだったが……」
クロは私をチラリと見たあと、口を歪めて面白そうに口を開く。
「お前には逆効果だったな」
「精霊って、もしかしなくても結構性格悪い?」
やっていることの精神攻撃がかなりえげつなくて、私はかなりドン引きしていた。
そのとき、森の奥から女性の悲鳴が木々のざわめきに混じってかすかに聞こえた気がした。
「クロ!!」
「あぁ!あっちだ!!」
私はクロと一緒に声のした方へと一気に駆け出した。




