第百四十三話 精霊信仰と八百万の神
面倒な宴の準備はすべてダークエルフ達に丸投げし、気づけば大きな焚き火を囲んで宴が始まっていた。
キャンプファイヤーのような焚き火は、轟々と燃え盛り、数歩離れていても熱気が肌を撫で、炎が揺れるたびに熱風が押し寄せてくる。
さっきまでの気まずい空気はどこへやら、酒が入って楽しそうに騒ぐ村人たちの姿を、タリエシンさんは遠い目で見つめていた。
「……この光景を、残したいものじゃな」
ポツリと漏らされたその言葉には、大シャーマンとしての深い慈愛と、どこか切ない愁いが混ざっていた。
「ねぇ、タリエシンさん。さっき言ってた『世界樹の加護が弱まっている』って、どういうことなの?」
焼き上がった肉をつつきながら私が尋ねると、タリエシンさんは深いため息をついて首を振った。
「詳しい原因は儂らにも分からん。じゃが、世界樹そのものが徐々に力を失い、弱っておるのじゃ……」
重々しく語るタリエシンさんに対し、私は野性味溢れた猪肉を噛み締めながら、心の中でそっと呟いた。
(まあ、世界樹がどうなろうと、ただの主婦の私には何の関係もないけど。バルドガルドのときみたいに巻き込まれちゃ堪んないわ)
そう思って、私が深く聞くことはなかった。
なかったのだが——。
タリエシンさんはお構いなしに続けて喋ってくる。
「世界樹は元々ダークエルフの首都にあったのじゃ。正確に言えば、迫害されて逃げ込んだ先に世界樹を見つけて、そこを首都にしたのだが、それが枯れてしもうた」
(え?枯れたの?じゃあ私達がこれから向かう首都って、世界樹の枯れ木がある場所ってこと?それとも枯れたから別の場所に首都を引っ越したの?)
私の素朴な疑問を他所に、クロが静かに口を開いた。
「あの世界樹、やはり枯れたか……」
「あぁ。長くないと思うておったが、予想より早かったのう」
寂しそうに目を伏せたタリエシンさんは、ポツリポツリと自分の気持ちを吐き出すように、少しずつ話し出す。
私は聞きたくなくて、ただひたすら肉に集中して黙々と食べまくっていたのだが、タリエシンさんは構わず話し続けた。
「枯れたときは世界の終わりかと思うた。じゃが、二百年程前だったかのう。この村の近くに世界樹が芽吹いているのが見つかっての……。それで儂が表向きには隠居する名目でこちらへ来たのじゃよ」
「二百年しか経ってなかったか。もう少し前だと思ったが」
クロは肉に齧りつくのを止め、自分の記憶を探るように空を見上げる。
その様子を見てタリエシンさんは、口の端を上げて答えた。
「長く生きておると時間の感覚が鈍るのう。長命種の悪い癖じゃ」
私はこれ以上、余計なことを聞かないようにしようと、肉を取りに行くふりをしてその場を抜け出した。
「……はぁ。好奇心に負けて世界樹の話を聞くんじゃなかったわ」
オタク心をくすぐる『世界樹』というキーワードに、私は迂闊にも尻尾を振って食いついてしまった。
こんな調子では、また巻き込まれてしまいかねない。
触らぬ神に祟りなしだ。
クロは積もる話もあるだろうが、私にはこれっぽっちもないので、その辺を散策でもしておこうとブラブラあてもなく歩く。
心地よい川の音を聞きながら暫く歩くと、川向こうの森の奥が妙に光っているように見える場所を見つけた。
(なんだろう?……精霊がいるのかな?)
不思議に思って、その場所に行ける橋でもないかと探し回っていたとき、後ろから声がかかった。
「おい!そっちは危ないぞ!!」
振り返れば少し離れた後方にセリスが立っていて手招きしている。
「こっちに来い。迷い込んだら帰れなくなるぞ」
険しい顔をしたセリスを見て、川向こうの森はそれほど危険なのかと背筋が寒くなった。
「危ないって、何かいるの?」
セリスに近づいて聞いてみるが、セリスの言葉は腑に落ちないものだった。
「分からない。ただ、入れば迷う。戻ろうとしても、戻れないんだ。来た道を見失ってしまう」
「トレントが沢山いるってこと?」
数時間前にトレントに騙された私としては、トレントが大量にいる森には入りたくない。
「いや……。トレントもいるが、あそこは少し違う。昔から村の大人達に『森の精霊が怒るから入るな』と教えられているんだ」
森の奥を見つめながら話すセリスの視線を辿り、森の奥を私も見る。
さっきまで光っていたはずの場所は暗くなり、鬱蒼とした森が広がっていた。
「さっきまで光っていたはずなんだけど……。変ね」
眉根を寄せ首を傾げる私を、セリスは不審者でも見るかのような目で見る。
「森が光るわけないだろう」
「でも、精霊がいたりしたら光るんじゃないの?」
セリスはこめかみを押さえて、しばし黙り込む。
「……精霊だって、ずっと光ってウロウロしてるわけないだろ。馬鹿か?」
私は僅かに眉を上げて、森の奥を見ながら言う。
「そういうものなの?私、ここに来て初めて精霊を見たから分からないのよね」
「初めて見たのに、精霊に好かれているのか?お前、何したんだ?」
釈然としない様子で眉をひそめるセリスに、私は向き直って答える。
「何も。何で好かれてるのかも分かんないわ。こっちが聞きたいくらいよ。精霊って、誰にでも懐くの?」
「そんなわけあるか!日々精霊に感謝し、命を大事にしなければ精霊は寄ってこない。先祖が精霊を大事にしていても、子孫がやらかせば忽ち精霊の怒りを買う。日々の行いが大事なんだ」
眉間にシワを寄せて話すセリスの声色は、少しばかり苛立っているようだった。
「感謝して命を大事に……ね。それって普通じゃない?」
「は?」
セリスは私の言ったことがあまりにも予想外だったのか、口を半開きにしたまま私を見つめている。
「私のいた国では、自然や命あるすべてのものに神様が宿るっていう考え方なの。だから何でも大切に扱うし、感謝して日々過ごすのよ。その点に関しては、ダークエルフの信仰と似てるかもね」
セリスはまだ私の言ったことが信じられないのか、目を見開いたまま、暫し言葉を失った。
「……お前みたいな奴もいるんだな」
セリスは決まりが悪そうに頭をガシガシと掻き、目を伏せた。
「さっきは、悪かった……」
「え?何?」
あまりにもセリスの声が小さく、川のせせらぎの音にすら掻き消されたため聞き返した。
「だからっ!!さっきは……!悪かったって言ったんだ!!」
照れ隠しなのか、セリスは急に大声で叫んだ。
流石にうるさくて咄嗟に耳を塞いだ私に、セリスは納得いかないような顔で、私の両手を掴んで耳から離そうと藻掻く。
「お前が……!聞こえないって!言ったんだろうがっ!!」
「物には限度ってもんがあんのよ!デカすぎるわよ!私の鼓膜を破る気?!」
いつの間にか、お互いの手をガッチリ掴み合い、レスリングさながらの取っ組み合いが始まった。
土埃を上げながら取っ組み合う私達を、月明かりが優しく照らしていた。




