第百四十一話 誇り高きダークエルフとは
右膝を負傷しているというのに、怒りで我を忘れたジャイアントボアは、木々を薙ぎ倒しながら私の方へ突っ込んでくる。
「ひぇ……。完全に私を敵認定してるじゃない!」
ジャイアントボアの膝を破壊したのは私なので、当然と言えば当然なのだが、巨大猪が自分に向かって突っ込んでくる様は恐ろしすぎた。
「私は木の上から遊撃する!お前は近づいて引きつけろ!」
それだけ言うと、セリスは木の上にスルスルと猿のように登って行ってしまった。
「えっ?!ちょっ!ちょっと待っ……!」
一人取り残された私は、ジャイアントボアが向かってくる方向を見て冷や汗が流れた。
「クロがいるならまだしも……。私一人でアレを抑え込めとか、自殺行為じゃない!」
顔を歪ませて一人で愚痴る私のことなど、セリスは少しも気にする様子もなく、あっという間に高い木の上に腰を据えて弓を構えていた。
「……しょうがない。やるしかないのよね」
覚悟を決めて拳を構えるが、そこまで速くないとはいえ、あの巨体で突っ込まれれば重傷を負うのは目に見えている。
私は周りを見回して、近くにあるなかで一際大きい木を見つけ、その前まで走った。
木の前に着き、その場で静かに腰を沈める。
膝を柔らかく曲げ、重心を前へ移し、両手を低く構えていつでも俊敏に動けるように姿勢を取る。
そして目だけは、獲物を狙う肉食獣のようにジャイアントボアの動きを捉えていた。
「ブォォォォォォ!!!」
雄叫びを上げながら、私に向かって一直線に突き進んで来るジャイアントボアを睨みつけるが、身体は正直だった。
膝が笑い出し、カタカタと一定のリズムを刻む。
(まだよ……。もうちょっとの我慢……!)
日本の猪は、かなり足が速いくせに急旋回も急停止もしてくる厄介な動物だ。
ここのジャイアントボアも同じ特性を持っているのなら、ギリギリまで引きつけないと避けられてしまう。
「おい!お前!!何やってるんだ!早く避けろ!」
危ないと思ったのか、セリスが私に向かって叫ぶが、私はまだ避けない。
「くそ!怖くて動けないのか?!これだから人族は!」
セリスは心底軽蔑したように言い放ち、引き絞りきった弓で矢を放った。
しかし、矢は胴体に刺さったものの、厚い皮下脂肪のせいか深く刺さらなかった。
ジャイアントボアも矢が刺さっていることなど全く気にした様子はない。
矢を気にしている様子はないが、更なる怒りを買う一因にはなったようだった。
「ブォォォォォ!!!」
「何やってくれてんのよ!……でもまぁ、ある意味いい仕事してくれてるけど」
怒りで我を忘れれば忘れるほど、私の狙いなんて気が付かないだろう。
震える膝を両手で叩き、自分に喝を入れる。
「さぁ!来い!!」
「ブォ!ブォォォォォォォ!!!」
ジャイアントボアは膝を負傷しているとは思えない速度で迫ってくる。
大地が震え、枯れ葉が宙へ舞い上がる。
距離が一気に縮まる。
十歩。
五歩。
三歩。
――今だ!
巨大な牙が目前まで迫ったとき、私は地面を蹴り、左へ大きく飛び退く。
ジャイアントボアは獲物を追おうと巨体を左へねじった。
だが、その瞬間。
ジャイアントボアの砕かれた右膝が、悲鳴を上げた。
踏ん張るはずの右後脚が大きく沈み込み、巨体が内側へ傾き、勢いを殺せないまま、ジャイアントボアは横滑りするように巨木へ突っ込んだ。
ドガァァァンッ!!
幹が大きくしなり、樹皮が四方へ飛び散る。
森中の鳥が一斉に飛び立ち、葉が雨のように降り注ぐ。
ジャイアントボアは苦悶の咆哮を上げながら数歩よろめくが、その動きは先ほどまでより明らかに鈍い。
その隙に、私は左後ろ足の膝関節目がけて、右ストレートをぶち込んだ。
「どりゃあぁぁぁぁ!!!」
グローブから衝撃波が出ると同時に、ジャイアントボアの悲痛な叫びが森に木霊した。
「よし!ここから一気にたたみ掛けて……ってうわっ!!」
「ギャオオオオオッ!!」
怒り狂ったジャイアントボアは、叫びながら前脚だけで地面を掻き、牙を振り回して暴れ始めた。
巨木がへし折れ、岩が砕け、土砂が四方へ飛び散る。
「まだ動けるの!?」
私は思わず後退した。
あれでは近付けば牙か前脚で叩き潰されるのがオチだ。
「セリス!トドメ刺せない?!」
「私に命令するなっ!!」
木の上のセリスは歯を食いしばり、矢を放った。
矢はジャイアントボアの額へ吸い込まれていったものの、額に半ばほど刺さっただけで止まり、ジャイアントボアは倒れない。
なおも怒りの咆哮を上げ、前脚で地面を叩き続ける。
「そんな……。」
これ以上、痛みを長引かせてやるのは可哀想だが、私にはトドメを刺せるだけの力がない。
セリスも命中率は高いが、致命傷になる傷は作れない。
打つ手無し。
そんな言葉が頭に浮かんだ、その時——。
視界が一瞬、真っ白になったかと思うと、腹の底まで響くような凄まじい轟音が辺りに響いた。
ズガァァァァァァァン!!!!
爆風が全身を叩き、思わず腕で顔を庇う。
開いた目の先では、ジャイアントボアが真っ黒に焼け焦げ、毛皮からは白煙が立ちのぼっていた。
「ようやったのう。ジャイアントボアをここまで追い詰めるとは。流石メルケの弟子といったところかのう」
「弟子じゃない!世話をしてやってるだけだ!!」
後ろを振り向けば、タリエシンさんとクロがこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
「た、助かった……」
ヘナヘナと私はその場に座り込み、天を仰ぐ。
「何だ、情けない」
「いや、十分健闘したでしょ!!」
クロの言葉にカチンと来た私は、頑張ったんだから褒めろと食ってかかるが、クロは呆れた様子で私に言い放った。
「最初は逃げ回っていたくせに、何を言ってるんだ?挙句トレントに騙されて、自分の場所すらまともに把握できないとは思わなかったぞ」
ため息交じりに言うクロに、私は笑って誤魔化した。
「へへへ……。いやぁ、だってさぁ。……って、あれ?何でそんなこと知ってるの?」
森の奥のことなんて知らないはずなのに、見てきたかのように言うクロに疑問が浮かぶ。
「あぁ、それは此奴に頼んだのじゃよ」
タリエシンさんがそう言うと、タリエシンさんの後ろからぴょこりと姿を現したのは、私を何度か助けてくれたあの精霊だった。
「あ!その子は!!」
私が指をさすと、精霊は嬉しそうに私に近寄ってきて、グルグルと私の周りを回りだした。
「此奴はミサキのことが好きなようじゃなぁ。随分と懐いておる」
「そうなの?」
「精霊は嫌いな者のところには行かぬよ。ましてや助けたりなどはせん」
「てっきりタリエシンさんが手助けするように言ってくれたのかと……」
チカチカ光る精霊を見つめながら、私は答えた。
「儂は何も言うとりゃせんよ。ただ、精霊が見たものをそのまま村の者達に見せただけじゃ」
「精霊が見たものを皆に見せる……?」
(テレビ中継みたいなことをしてくれてたのかしら?……ん?森に入ってから感じた視線はもしかして……)
「森に入ってからずっと見られてる気がしたんですけど、もしかして……」
「ほぉ……。よう気づいたのう。精霊の視線に気づくとは。メルケ、ミサキを儂に預けてみんか?なかなか良い精霊使いになるやもしれんぞ」
「タリエシン様!!人族なんぞを精霊使いにする気ですか?!」
セリスはいつの間にか木から降りてきたようで、隠していたダークエルフの女の子を担いで戻ってきていた。
村の者達と一緒にセリスがあり得ないと抗議するのを、タリエシンさんは一睨みして黙らせた。
「……お主らも見たじゃろう。ミサキを人族と侮るな。散々馬鹿にしたお主らの子を助けたのはミサキじゃぞ。そして一対一の戦いを申し出たはずが、蓋を開けてみればこのような酷い有様だ。誇り高きダークエルフは何処へ行ったのだ」
ため息を吐き、肩を落とすタリエシンさんに、誰も反論せずに黙って俯いていた。
「お主達にミサキを侮辱する権利など、ありはせぬ。恥さらしどもめ」
その言葉には、酷い嫌悪感が漂っていた。
私はその様子を見て、一人「ざまぁみろ!」と内心ほくそ笑んでいた。




