第十四話 宿場町の朝
「……朝、か」
ゆっくりと目を開ける。
見慣れない天井。
「知らない天井だ…」
自分で言ってちょっと恥ずかしかった…
世代だから仕方ない。言ってみたかったんだ。
と、言い訳しながら伸びをする。
簡素なベッドだが、冷たい地面じゃないだけで、驚くほど体が軽い。
隣ではクロが既に起きていて、私が目を覚ますのを待っていた。
「昨日はありがとね。狭かったでしょ」
クロがふんと鼻を鳴らす。その体温のおかげか、不思議と心まで軽くなっていた。
「起きた? ちょうどご飯ができたわよ」
台所から食欲をそそる匂いとともに声がかかる。
「あ、はい。今行きます。ありがとうございます」
食卓には温かいスープとパンが並んでいた。
「クロちゃんも、ここでいいわよね。昨日も大人しかったし」
「良かったわね、クロ」
クロの頭を撫でると、尻尾が一度だけ、控えめに揺れた。
「いただきます!」
元気な声が響く。
穏やかな、まるで元の世界にいた頃のような朝の風景。
でも――長くはいられない。
「……あの、私、今日出発しますね」
食後、思い切って告げると、お母さんは少しだけ寂しそうな顔をした。
「もう? しばらく居てもいいのに。部屋だって空いてるんだから」
「いえ、あまり長くお世話になるのも……」
言葉を濁すが、本音は別のところにある。
長く居すぎれば、ここが「居場所」になってしまう。それは今の私には、何よりも怖くて、辛いことなのだ。
子供たちは露骨に不満そうだ。
「えー! もっと遊ぼうよ!」
「クロと離れたくないー!」
流石、敏腕ベビーシッター。
たった一晩で完全に心を掴んでいる。
「また近くに来たら寄るからね。二人とも、お母さんの手伝い、ちゃんとするのよ」
そう言うと、子供たちはぱっと顔を明るくした。
素直で、可愛い。
……うちの子たちも、こんな風に笑っているだろうか。
「じゃあね。本当にお世話になりました」
手を振り、家を出る。
朝の空気は少しひんやりとしていて、頬を叩く風が「冒険者」の顔に戻してくれた。
「ここが――ラクトの町、か」
改めて周囲を見渡す。
昨日泊めてもらった家族に聞いた話では、二つの大きな都市を結ぶ重要な宿場町らしい。
道理で人の行き来が激しいわけだ。
「さて、と。まずはギルドね」
朝のギルドも、昨日と同じかそれ以上に活気づいていた。
受付へ向かい、ずっと気になっていたことを切り出す。
「すみません、このあたりの地図ってありませんか? 簡単なものでいいんですが」
「『フリージア王国』の全図ですか? それとも周辺地図ですか?」
フリージア。
初めて聞く、この国の名前。
「両方欲しいですが……お値段によりますね」
「王国全図は銀貨一枚。周辺地図なら銅貨五枚です」
「……周辺地図をください」
昨日の宿代が浮いたから買えたようなものだ。
地図を広げ、ギルドの隅でじっくりと眺める。
(さて、どうするかな……)
ここから道は二手に分かれている。北か、南か。
「北は……寒くなるのよね」
今の装備は、村で貰った服とハッサンのポシェット、そしてボロボロのジーンズ。
防寒具を揃える余裕なんてない。
「となると、南ね」
自然と行き先は決まった。問題は道中だ。
魔獣の出る場所、安全な採取ポイント。
情報は多い方がいいけれど、ライバル同士の冒険者が簡単に教えてくれるとは思えない。
「……聞くだけタダ、よね」
意を決して周囲を見渡したとき、クロが足を止めた。
「……どうしたの?」
クロは一点を見つめ、迷いのない足取りで一人の男に近づいていった。
壁にもたれかかるその男は、他の連中のように騒いでおらず、使い込まれた装備には無駄がない。
「ちょ、ちょっと! クロ!」
慌てて追いかけるが、クロはその男の前でピタリと止まり、じっと見上げた。
男が視線を落とす。
「……なんだ?」
低く、よく通る声。
「す、すみません。その、クロが……」
クロが鼻先で私の腕をツンと突いた。「ほら、聞けよ」と言わんばかりの態度だ。
「……少し、お話いいですか?」
覚悟を決めて声をかけると、男は一瞬こちらを値踏みするように見て、ため息をついた。
「内容による」
ぶっきらぼうだが、拒絶ではない。
「南に向かう道について、教えてほしくて。……見ての通り、初心者なんです」
「クロもいるし、なんとかなると思ってますけど」
と付け加えると、男の視線がクロへと移った。
クロも、じっと男を見返している。
「……面白い組み合わせだな」
男は小さく呟くと、指を一本立てた。
「いいだろう。少しなら教えてやる。ただし――」
一瞬、空気が張り詰める。
「甘く見るな。死ぬぞ」
その一言は、これまで戦ってきた一角ウサギやスライムとは次元の違う重みがあった。
「……はい。分かっています」
自然と背筋が伸びる。その返事を聞くと、男は静かに歩き出した。
「よし、ついてこい」
クロが満足げにこちらを見た。
「……あんたの勘、当たりだといいんだけどね」
小さく毒づきながら、私は男の背中を追った。
次の一歩を、踏み外さないために。




