第百二十六話 教育ママは手厳しい
バルドガルド王国の首都ドラッヘンベルクの城門前で、私は背中のリュックを背負い直し、城を見上げた。
(色々あったけど、いい人達に会えたわね……)
こちらの世界に来てからというもの、一番濃い時間を過ごしたように思う。
様々な出来事が脳裏をよぎり、瞬きも忘れて城を見つめた。
あの執務室での相談から数日、旅の支度を整えた私は、いよいよ次の目的地へと踏み出す日の朝を迎えている。
バルドガルド王にだけは挨拶をして出てきたが、他の皆には内緒にした。
本当はヨルゲン隊長やヘルムフリートさんにも挨拶をしたかったが、ローガーに話が漏れると厄介なのだ。
私が旅支度をしているのを、どうやら街の人達から聞いたらしく「聖女様!俺も一緒に連れてってくれ!!」と言って毎日のように押しかけて来ていた。
「気持ちは嬉しいけど、流石に一緒に旅をするのは……ね」
我が子を探す旅に、ローガーを巻き込みたくない。
ローガーは「自分なんて……」といつも卑下していたが、今や『大英雄ローガー』というバルドガルド王国の民達の希望そのものなのだ。
連れて行くわけにはいかない。
「さぁ、クロ!!出発よ!」
クロに向き直り声をかけると、尻尾を一振して返事をした。
ノクス=ヴェリアに行くには地上ルートで行くしかないらしく、地上へ出る門を目指し歩いていく。
時折すれ違う街の人に声を掛けられ、挨拶を交わしては先を急いだ。
地上へ出る門を見張りの騎士に開けてもらうと、地下特有のどこか生温かく炉の熱が混じった空気から一転、一歩踏み出した瞬間に冷えた空気が肺を刺激する。
地下では上がらなかった白い息が、地上に出たとたんに立ち上った。
「うう、さっぶぅ……! やっぱり地下は暖かかったのね。もう冬じゃない!」
私はあまりの寒さに身ぶるいして、ファーの付いたロングコートの襟元を閉めた。
「バルドガルド王には、本当に感謝ね。これで凍え死ぬことはなさそうだわ」
クロは寒くないかと隣を見ると、何でもなさそうに歩いていた。
時折、耳をピクッとさせては辺りを見回しているが、危険はなさそうだ。
心なしか足取りが軽く、楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「こういうの、久しぶりね……」
今までは、クロと二人で旅をしてきた。
いつの間にか周りに誰かがいるのが普通になってしまい、少しの寂しさを感じる。
バルドガルド王から譲ってもらったノクス=ヴェリアまでの簡易地図を広げ、道を確認しながら先へ進んだ。
野宿も久しぶりで、固いパンと干し肉を齧って、クロと寄り添って寝た。
3日ほどたっただろうか、昼休憩をそろそろ取ろうかという時に、クロがいきなり唸り声を上げ、左前方を警戒しだした。
「どうしたの?魔物?」
クロへ聞きながら、私も警戒態勢に入る。
しかし、気配は何も感じられなかった。
「……何もいない?」
クロをチラリと横目で確認するが、警戒は解かずに唸り声を上げたままだ。
「何かいるはずだけど、姿が見えな……?!」
キラリと前方から光が見えたかと思えば、何かがこちらに降り注いでくるのが見えた。
「うそ……?!」
咄嗟に岩場の影に飛び込み、身を伏せ難を逃れたが、クロは器用に軌道を読み、ピョンピョン跳ねて躱していた。
「どんな身体能力してんのよ……。ってか、飛んできたのは弓矢?……ということは」
岩の影から顔だけ出し、矢が飛んできた方を確認するが姿は見えない。
(どれだけ長距離から打ってるの?まさか、あの岩場から?!二百メートルはあるわよ?!!)
覗き込んだ先に見えるのは、岩肌の山だけ。
遥か前方に巨石群があり、身を隠して弓を打てそうなのはそこしかなかった。
初打ちのあと、敵もこちらの様子を伺うように牽制の矢を数秒おきに射ち込んできているため、動くに動けない。
「あそこまで行くのは無理だし、後退するのも危険よね……。かと言って、このままここに居ても近づかれたら終わるし……」
(……え。詰んでない?)
嫌な考えが頭を掠めたが、そんなことはないと頭を振って隅に追いやった。
こちらにはバルドガルド王の身元保証書があるのだから、近づいてきたときに見せれば良いだろう。
現状、それしか方法がないのだ。
(でも、これがダークエルフじゃなくて野盗だったら……)
黒い笑いを携えたバルドガルド王達の顔を思い出し、顔が引きつる。
ダークエルフでも野盗でも、もう詰んでいることに変わりなく、私は意識が遠のきそうになった。
そんな岩陰で固まっている私を引き摺り出そうと、クロがしびれを切らして、私の元へ近づいてきた。
グイグイと袖を引っ張り、着いてこいとばかりに岩場の影から私を引き摺り出そうとするため、私は慌ててクロを止めた。
「ちょっ……!クロ!!危ないわよ!私、クロみたいに避けられないから!!」
クロに抗議をしても、全く聞く耳を持ってくれず、ついに私は岩陰から身体が半分ほど出てしまった。
咄嗟に射手がいるであろう方角を見ると、既にキラリと光る矢が飛んできていた。
(ヤバッ!!)
咄嗟に岩陰に逃げ込もうとするが、それをクロが許してくれない。
「前進しろってこと?!あぁ!もうっ!!!」
覚悟を決めて飛び出したが、私は足が絡まってゴロンゴロンと転がってしまった。
そのとき、転がった目の前に矢が一本突き刺さる。
「ひぇ……っ!」
変な悲鳴が漏れ出たところで、クロはやれやれと言わんばかりに首を振って、私を矢から庇うように立った。
クロ越しに空を見れば、もうニ射目の複数の矢が迫っている。
「クロっ!危ない!!」
私が叫んでも、クロは一歩も引かずにそれを見据えたままだった。
串刺しになる!と思った瞬間、クロは地面を力強く蹴り宙に舞ったかと思うと、爪の斬撃で矢を全て粉砕した。
私の頭上には、粉々になった柄や矢尻が降り注ぐ。
(な、なんて防御してんのよ?!)
飛んでくる矢にタイミングを合わせて斬撃を打ち出し、粉砕させるなんて常人に出来るはずもない。
というか、そんな発想すら思いつかない。
私が呆けていると、バシッ!と怒りの猫パンチが私の頭にお見舞いされた。
爪が出ていなかっだけ優しいが、『いつまで固まってんだ、走れバカ!』と言いたげな怒り顔である。
「痛っ……! 分かった、分かったわよ! 走れば良いんでしょ!!」
クロに時折、腹の底から冷えるような威嚇音で発破をかけられながら、私は矢の雨の中を必死に走り抜けた。




