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千物語  作者: 松田 かおる


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バーカウンターにて

少し使いこまれているが、手入れはしっかり行き届いているカウンターの前に男が一人立ち、椅子に腰かけた。

「いらっしゃいませ」

マスターが男の前にコースターを静かに差し出した。

男はしばらく何かを考えるような表情を見せた後、

「…ギブソンを」

低い声でマスターに告げた。

マスターは黙ってうなずくと、ギブソンを作り始めた。

落ち付いた店内に、シェーカーを振る音が心地よく響いては壁や天井に吸い込まれていく…

ほどなくしてシェーカーの音が鳴りやむと、

「お待たせしました」

男の前にグラスが静かに差し出された。

男は手に取って一口飲むと、

「すまない、もう一杯作ってもらえるかな」

そうマスターに言う。

マスターは一瞬、けれども人に悟られないような怪訝な表情を見せたが、

「…かしこまりました」

その注文を受けた。




「あ、それは隣に置いておいてくれるかな」

男はマスターに言った。

マスターは一瞬グラスを差し出す手を止めたが、黙ってうなずくと男の隣の席にコースターとグラスを置いた。


-お待ち合わせですか?-

そんな野暮なことは聞かない。

相手の口が開くのを黙って待つだけだ。


「…待つのは、辛いな」

男がポツリとつぶやく。

「来るかどうかも判らないのに待ち続けるのは…」

男はそう続けると、ポケットから取り出した細巻き煙草に火をつけた。

ライターの音が落ち付いた店内に涼しく響き、紫色の煙が広がっていった…


やがて男のグラスは空になったが、隣の席にあるグラスの中身は減っていない。


「…マスター、同じものを」

男が空のグラスを差し出そうとした瞬間、

「あ!てっめ!またギブソン頼んでやがる!」

店の雰囲気にやや不似合い気味な賑やかな声が、男の背後から投げつけられた。

男は無言。

それを全く気にせず、声をかけてきた方の男は

「俺がギブソン嫌いなの、知ってんだろ!?」

男を責めるようにまくしたてながら、隣の席にどかっと座った。

やがて男は、

「…だったらちゃんと約束通りにこいよ!いつも遅刻やドタキャンばかりじゃねえか!」

とうとう相手の方を向いて声を荒らげた。

「それでも席取っといてやったんだから、文句言うな!」

男がそう続けると、相手も

「じゃあ俺の好きなカクテル頼んどけよ!」

と負けていない。

「ぐちゃぐちゃ文句言うんじゃねえ!マスター、こいつにカシスオレンジ」

男はそう言うと隣の席のギブソンを乱暴に飲み干し、

「あ、俺にもカシスオレンジ」

細巻き煙草をもみ消しながらマスターに言った。

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