第四話 ……どうして、そんなに目が大きいんだ?
レオンは、家の前で足を止めた。
森の奥に建つその家は、昼間だというのに窓がすべて閉ざされていた。煙突から煙は上がっていない。風もないのに、軒先から吊るされた薬草だけが、かすかに揺れている。
隣にいる狼は、扉を睨んだまま低く唸っていた。
「……赤ずきんがいるんだろ?」
狼は答えない。
ただ、扉の向こうを警戒するように鼻を鳴らした。
「なら、俺が確かめる」
レオンは弓に手を添え、扉を開けた。
ギィィィ……。
古い蝶番が長く軋む。
「……誰?」
家の中から少女の声がした。
聞き慣れた声だった。
「俺だ。レオンだ」
少しの沈黙。
「……レオン?」
暗がりの奥から、赤い頭巾をかぶった少女が姿を現した。
「赤ずきん……」
「うん」
少女は笑った。
レオンはようやく息を吐いた。
「無事だったんだな」
「うん。大丈夫」
「怪我は?」
「ないよ」
レオンは家の中を見回した。
古い家具。消えかけた暖炉。壁に掛かった時計。そして部屋の奥には、大きなベッドがあった。
「ここは?」
「おばあちゃんの家だよ」
レオンはベッドを見る。
厚い布団が、人ひとり分だけ盛り上がっている。
「……誰かいるのか?」
「おばあちゃん。眠ってるの」
「そうか」
レオンは赤ずきんを見る。
「じゃあ、村へ戻ろう。みんな心配してる」
「……もう戻るの?」
「ああ」
「少しくらい、ここにいてもいいじゃない」
「俺は大丈夫だ」
「でも、森を歩いてきたんでしょう?」
「慣れてる」
「そう……」
赤ずきんは笑った。
だが、その笑顔を見てもレオンの胸に安心は戻らなかった。
何かがおかしい。
昨日と同じ顔。
同じ赤い頭巾。
同じ声。
なのに、目の前にいる少女から妙な違和感を感じる。
「……なに?」
「いや」
レオンは少女の顔をじっと見た。
そして気づいた。
目だ。
「……どうして、そんなに目が大きいんだ?」
赤ずきんの笑顔が止まった。
「……目?」
「ああ」
少女はゆっくり首を傾げた。
「よく見るためだよ」
「……そうか」
レオンは目を逸らさなかった。
昨日より明らかに大きい。
瞳孔も異様に開いている。
そして、ほとんど瞬きをしない。
「じゃあ、どうしてそんなに耳が大きい?」
赤ずきんの笑顔が少しだけ引きつった。
「よく聞くため」
「何を?」
少女は少し顔を傾けた。
「いろんな音を」
そして、口元をゆっくり持ち上げる。
「あなたの心臓の音も」
レオンの背中を冷たいものが走った。
ドクン。
自分の心臓の音が、急に大きく聞こえた。
少女は耳を澄ますように目を細める。
「どくん、どくんって……よく聞こえるよ」
レオンは無意識に一歩下がった。
そのときだった。
ベッドの中から、かすかな音がした。
布団が、ほんの少し動く。
レオンはそちらを見る。
「おばあちゃん、起きてるのか?」
「……見ないで」
赤ずきんの声が低くなった。
レオンは少女へ視線を戻す。
「何?」
「おばあちゃんは眠ってるの」
「……そうか」
だが、レオンは警戒を解かなかった。
少女の口元が少し開く。
歯が見えた。
大きい。
鋭い。
昨日の赤ずきんには、あんな歯はなかった。
「……最後に一つだけ聞く」
「なに?」
「どうして、そんなに歯が大きい?」
少女は答えなかった。
カチン。
歯が鳴った。
レオンの手が弓へ伸びる。
カチン。
もう一度。
赤ずきんが一歩近づいた。
「……よく見るために」
さらに一歩。
「……よく聞くために」
少女の口がゆっくりと裂けていく。
「よく食べるために」
声が重なった。
赤ずきんの声と、別の何かの声。
レオンは反射的に弓を構えた。
赤い頭巾が床へ落ちる。
少女の顔が歪んだ。
皮膚の下を黒い紋様が走り、髪が黒く染まっていく。
「……気づくのが遅いわ」
そこに立っていたのは、黒い服をまとった魔女だった。
「赤ずきんはどこだ!」
魔女は笑った。
「そんなにあの子を探しているの?」
「ああ!」
「だったら、探してみればいいわ」
「お前が何かしたんだろ!」
レオンが矢を放つ。
矢は魔女の肩をかすめた。
黒い血が流れる。
「……痛いじゃない」
「答えろ!」
魔女が手を振った。
床から黒い影が伸び、レオンの足に絡みつく。
「っ!」
レオンは短剣を抜き、影を切り裂いた。
その瞬間、狼が魔女へ飛びかかった。
「――ガァッ!」
「邪魔ね」
魔女が手を振る。
狼の身体が吹き飛び、壁へ叩きつけられた。
「狼!」
レオンが叫ぶ。
魔女は笑った。
「あなたも食べてあげようか?」
「……黙れ!」
レオンは矢を番える。
魔女が手を上げる。
同時に放つ。
矢が魔女の肩を貫いた。
「……っ!」
魔女がよろめく。
だが、すぐに矢を引き抜いた。
「あなた、しつこいわね」
「赤ずきんはどこだ!」
魔女は答えなかった。
代わりに、家の奥へ視線を向ける。
その先には、ベッドがある。
レオンもそちらを見る。
「……何を見てる?」
魔女が笑う。
「知りたい?」
「何を――」
「赤ずきんがどこにいるのか」
レオンの表情が変わる。
「知ってるのか!」
「ええ」
「どこだ!」
魔女はゆっくりと顔を上げた。
「森の奥よ」
「森の奥……?」
「私の大切な子が、きっと喜ぶわ」
その言葉を聞いた瞬間、狼が激しく唸った。
魔女は狼を見る。
「そう。あなたは知っているのね」
狼の毛が逆立つ。
「何を知ってる!」
レオンが叫ぶ。
魔女は笑いながら後ろへ下がった。
「あなたが探している赤ずきんは、もうここにはいない」
「……何?」
「会いたければ、森の奥へ来なさい」
黒い霧が魔女の足元から広がる。
「待て!」
レオンが走る。
だが、霧の中から魔女の声だけが響いた。
「早くしないと――」
魔女の笑い声。
「私の子が、お腹を空かせてしまうわ」
「……っ!」
レオンの足が止まる。
「お前……赤ずきんを何処へやった!」
返事はない。
魔女の姿は、黒い霧とともに消えていた。
家の中が静まり返る。
レオンは拳を握りしめた。
「……森の奥」
狼が立ち上がる。
「行くぞ」
狼がレオンを見る。
「赤ずきんを探す」
レオンは家を飛び出した。
狼も後を追う。
二人は森の奥へ向かって走り出した。
だが、レオンはまだ知らなかった。
森のさらに奥。
魔女が「私の子」と呼ぶものが何なのか。
そして、その化け物の腹の中に、赤ずきんがいることを。




