第九十八話 断罪 ーあなたは神に近しいー
聖堂の空気は、静まり返っていた。
祈りの気配はすでに消え、残っているのは張り詰めた沈黙だけだ。
祭壇の前。
グリズリッドと教皇サーディスは、数歩の距離を挟んで対峙している。
先に口を開いたのは、サーディスだった。
「……何のことでしょうか」
柔らかな声。
だが、先ほどまでの余裕はわずかに薄れているように見えた。
「人が消えた、などと。教会が関与しているとお疑いなのですか?」
薄く微笑む。
「それは、あまりにも飛躍した――」
「では、確認しよう」
言葉を遮ったのは、グリズリッドだった。
静かだったが、反論を許さないはっきりとした声音で。
「お前の言う飛躍とやらが、どこから始まるのか」
わずかに顎を上げる。
「一つずつ潰してやる」
放たれた言葉と共に、空気が重く沈む。
グリズリッドは、指先で一枚の書簡を摘まみ上げた。
「これは、教会内部で回されていた命令書だ」
無造作に放る。
床に落ちた紙が、乾いた音を立てて落ちた。
「内容は簡潔だ、対象の排除。場所、時間、対象の特徴まで一致している」
サーディスは視線を落としもせず、肩をすくめた。
「……捏造でしょう。教会を貶めるには、ずいぶんと稚拙な――」
「そうだな」
あっさりと頷く。
「これ単体では弱い」
一瞬、サーディスの目が細くなる。
「次」
グリズリッドは、視線を横に流した。
群青の視線を受け、銀髪の少年は一歩前へ出る。
「フェイ……」
忌々しそうにサーディスの顔が歪んだ。
その視線に臆することなく、フェイは魔導具店《銀枝》の血まみれの魔導具を懐から出し、右手をかざす。
次の瞬間、空気が震えた。
淡い光が床に広がる。
目に見えない何かが、掬い上げられるように集束していく。
「……残留聖力を検出」
静かな報告。
菫色の瞳が開く。
「ここに残っている聖力は、二つのものです」
わずかな間。
「ひとつは被害者、もうひとつは――」
サーディスへ、まっすぐ視線を向ける。
「教皇猊下のものと一致します」
沈黙が落ちる。
だが、サーディスの微笑みは崩れない。
「……聖力とは、神より賜るもの」
ゆるやかに言葉を紡ぐ。
「私個人に帰属するなどという考えは――」
「言い訳は後で聞く」
教皇サーディスの言葉は、容赦なく遮られる。
「次」
「はーい」
軽い声とは裏腹に、その鳶色の瞳は笑っていない。
「現場の封鎖は異常に早かったです。通報から到着まで、まったく隙がない」
肩を竦める。
「普通の司祭の判断じゃ無理ですねえ」
「フェイ」
グリズリッドが顎で指示する。
促されたフェイは、再び口を開く。
「術式の構成も同様です。教会中枢レベルの知識がなければ組めません」
菫色の瞳が、静かにサーディスを射抜く。
「現場の人間の独断では不可能です」
教皇サーディスの逃げ道は塞がれた。
グリズリッドは畳み掛ける。
「お前が殺そうとした老人は、聖力収束計画の助言者だそうだな」
一歩、踏み出すと石床に足音が響く。
「動機、手段、証拠――すべて揃っている」
もう、逃げ場はない。
数歩の距離を一気に詰めて、グリズリッドはサーディスの前で足を止めた。
そして静かに見下ろす。
「……反論は?」
斬るような群青の瞳から目を逸らすこともできず、サーディスは黙って奥歯を噛み締める。
長い沈黙の後、サーディスは観念したようにゆっくりと息を吐いた。
その表情から、すべての装飾が消えていた。
「……私は人を救おうとしただけです」
グリズリッドは、目を細める。
「大勢の人間を殺したくせによく言う」
「必要な犠牲でした」
「なんのためだ」
「神をつくるためです」
サーディスはクロトを見て言う。
「アッサラートは神に近い一族……ずっと届かなかった。何百年も、何千年も」
クロトは嫌悪で目を細める。
「クロト様……あなたは違った。あなたは奇跡だった。私は……歓喜しました」
教皇サーディスは熱っぽく語る。
「あなたの中のアッサラートの血は、聖力を呼び、そして聖力が完成した。……それを王太子殿下に受け継がれた」
そして、一度でも目を伏せる。
「あなたもまた……完成体を作るための犠牲者だということです」
再び顔を上げたサーディスの顔は恍惚としていた。
「多くの犠牲を払って、完成したのが殿下……あなたなのです」
グリズリッドの右手の甲が白く輝く。
白銀の剣を握ったグリズリッドは、真っ直ぐに聖剣の切先をサーディスの眉間に向ける。
固まったサーディスは、しかし臆することなく口を開いた。
「王太子殿下……あなたは神になれる存在なのです」
グリズリッドは一度目を逸らしてからため息を吐いた。
「興味ない。最後に一つ聞く。誰に言われてやった」
サーディスは、にいと口の端を高く上げた。
グリズリッドは息を呑む。
「おい……! 待て!」
グリズリッドは異変を察知し、剣を投げ捨ててサーディスの胸ぐらを掴み上げた。
喉から湿った音を立てて、サーディスの口から大量の鮮血が放たれる。
「ガ、は……、あは、……陛下、万歳……」
奥歯に仕込まれていたであろう猛毒が、教皇の身体を内側から一瞬で破壊していく。サーディスは最後までその歪な笑みを崩さないまま、白目を剥いてガクガクと四肢を痙攣させた。
やがて、完全に事切れた重い死体が、石畳の上へ崩れ落ちる。
教皇の骸を前に、グリズリッドは血に染まった己の両手を見つめ、ただ静かに奥歯を噛み締めるのだった。




