第九十九話 葬列 ー百合の香ー
王都中の鐘が、低く、長く鳴り続けていた。
重厚な石造りの街並みに反響するその音は、死者への祈りというよりは、何かの始まりを告げる合図のように聞こえる。
ひとつの時代が強制的に閉じられ、盤上の次の駒が動き出すという、無機質な号令のようだ。
大聖堂の広大な石床は、今日ばかりはひどく冷たい。
黒い喪章をつけた貴族たちが整然と並び、聖堂内には沈痛な面持ちが隙間なく並べられている。
誰もが「悲劇」にふさわしい表情を貼り付けているが、その内側に潜むのは、権力の空白に対する下卑た好奇心か、あるいは次は己の番ではないかという薄ら寒い恐怖のように見える。
正面に安置された棺は、むせ返るような白百合の山に囲まれていた。
教皇サーディス。
毒による崩御――。
その衝撃的な事実は闇に葬られ、対外的には急逝という無難な言葉に差し替えられた。
急ぐように、無理やり口を閉ざされた死。クロトは一歩引いた位置から、その不自然なほどに完璧な葬列を眺めた
。
教会の中枢が空いた。
それが何を意味するか、この場にいる者で理解できない者はいない。
重厚なパイプオルガンの伴奏に合わせ、聖歌隊の祈りが大聖堂の半球状の天井に満ちていく。
低く、重く、寄せては返す波のように。
その音の波の向こう側に、ひときわ静謐な存在があった。
元第一王子――ユリクシス。
隙のない黒の礼装に、銀の刺繍が鈍く光る。
完璧な哀悼の姿勢。
その隣に、ひとり。
黒いベールを深く被った人物が目を引いた。
黒いベールを深く被った、小柄な人影。細い肩、そして周囲の喧騒を一切拒絶するかのような、不気味なほどの静けさ。
鐘の音が、もう一度重く落ちた。
聖堂の扉から吹き込んだ風が、沈殿していた花の香りをかき乱し、その黒いベールを一瞬だけ翻す。
見えたのは、透けるような白い頬と、繊細な顎の線。
フェイに、似ている。
――まさか。
クロトは視線を逸らさずに、呼吸を整えた。
そして、護衛として背後に控えるフェイを、目だけでわずかに見やる。
視界に入ったフェイの顔は、血の気が完全に引いていた。彼はクロトと目が合うと、唇を戦慄かせながら、絞り出すような声で言った。
「……イヴです」
大聖堂に満ちる白百合の香りが、死の腐臭を覆い隠すように、いっそう濃く漂う。
歌声が天高く吸い込まれていく中、クロトの鼓動だけが、静寂を破る早鐘のように打ち鳴らされていた。
やがて、献花の列がゆるやかに動き出す。
王族、枢機卿、貴族、そして軍部。
厳格な序列に従い、音もなく、静かに。
クロトとグリズリッドもその列に加わり、背後にフェイを従えて歩を進める。石床に落ちる乾いた足音だけが、耳障りなほどにはっきりと響いた。
棺の前に立ち、手渡された白百合を一輪、供える。
横たわるサーディスの死に顔は、拍子抜けするほど穏やかだった。自ら毒をあおった者が、これほど安らかな表情を浮かべられるものだろうか。
クロトは胸の内で形だけの祈りを唱え、その「虚偽」から逃れるように一歩退いた。
そのときだった。
反対側から進んできた別の列が、すぐ隣を掠める。
先頭を歩くユリクシス。
漆黒の礼装が、周囲の白百合の純白をいっそう際立たせ、彼の存在を神聖化させている。
距離が、数歩にまで縮まる。
視線は交わさない。互いに前を見据えたまま、肩が触れんばかりの距離ですれ違う。
だが、その瞬間に空気が一変した。
凪いでいるのに、底知れない冷たさ。まるで真冬の深い湖の底を覗き込んだような、寒気が肌を走る。
「クロト」
低く、甘く、それでいて一切の情を排した整った声。
足取りを乱すことなく、彼はクロトの耳元に囁きを落とした。
「思い出してくれたみたいだね。研究所での日々を」
わずかに目を見開く。
しかし前を向いたまま、クロトは彼の横を通り過ぎる。
だが、その直後。
ユリクシスが導くようにわずかに身体を引いた。その後ろに従っていた黒いベールの人物が、吸い寄せられるようにこちらを向く。
ベールの奥から、消え入りそうな、けれど鋭い声が漏れる。
「……兄さん」
フェイの足が止まる。
護衛であるという立場を、王宮の規律を、辛うじて繋ぎ止めるように、彼は拳を白くなるまで握りしめた。
ユリクシスがこちらを振り返り、微笑んだ。
死者の棺の前で。
誰よりも聖なる敬虔な顔をして。
「会えて、よかったね」
その囁きは、再び高まった聖歌のうねりに溶けて消えた。
クロトは、決して振り返らなかった。
今振り返れば、保たれている脆弱な均衡がすべて瓦解してしまう。
百合の香りが、逃げ場のないほどにいっそう濃く、クロトの身体にまとわりついた。




