第九十六話 旅行④ ーはじめて知る情報ー
白い石造りのテラスには、潮風が吹き抜けていた。
南国特有の鮮やかな花々が窓辺に揺れ、遠くでは波が静かに砕ける音がする。
昼下がりの食堂には、ゆったりとした弦楽器の音色が流れていた。
「殿下」
先に奥の席にさっさと座ったグリズリッドを、むっとしたクロトが腰に手を当てて睨んだ。
「奥の席は、女性が座るんですよ」
レイドの完璧なエスコートのデートを思い描いていたクロトは、唇を尖らせた。
「そのくらい知ってる」
グリズリッドは涼しい顔で、立ったままプンスカ怒っているクロトを見上げる。
「そっちから海が見える」
クロトは不満げな顔のまま席へ向かう。
けれど窓の外を見た瞬間、その明るい青い瞳がわかりやすく輝いた。
グリズリッドはそれを見て、口元だけで笑う。
「単純だな」
「なにか言いました?」
店員が料理を運んでくる。
焼きたての白パン。
香草をまぶした魚のソテー。
南国特有の柑橘を使った鮮やかなサラダ。
湯気の立つスープからは、魚介の香りがふわりと立ち上る。
クロトは、早速パンを千切って口に放り込んだ。
「……おいひい」
幸せそうに呟いたクロトを見て、グリズリッドは小さく目を細める。
「……前々から思ってたんだが」
クロトはナイフとフォークの動きを止めると、視線を上げる。
「食べたものはどこに入ってるんだ?」
怪訝そうに眉を顰めたグリズリッドに、クロトは目を細める。
「……胃です」
何をつまらない質問を、と言いたげな青い瞳。
「……ずっと思ってたんだが、すごい量食べるよな」
クロトはわずかに目を見開いてから視線を落とす。
「……お嫌で」
「別に嫌なわけじゃない」
言われる前にグリズリッドがクロトの言葉を遮った。
「殿下こそ……」
クロトがちらりとグリズリッドの料理の皿を見やる。
「それ、美味しいんですか?」
グリズリッドは、普段鳥と赤身肉しか食べない。
ソースはかけない。こんなに美味しいのに。
「塩分と脂肪は摂りすぎないようにしている」
「……へえ。なぜですか?」
「なんでもいいだろ」
「甘いものもお好きだって聞いたんですけど」
「……レイドか」
クロトは頷く。
「召し上がっているところは見たことないのですが」
「食べないようにしてるからな」
「なぜ?」
「なんでもいいだろ」
「なぜ隠すんですか」
「別に隠してない」
クロトは目を細めて顔を顰める。
「ははーん、さては……あれですか。ご褒美に取っておくタイプですか?」
「は?」
グリズリッドは眉を顰めた。
「あれですか? 好きなものをたべないということを代償に何かを得ようとしている類の人ですね?」
「どんな類の変態だ」
グリズリッドはすこし横を向く。
「身体のためにやってるだけで」
小さく呟く。
「身体……?」
そんなこと考えたこともなかった、とばかりに愕然としたクロトが目を瞬く。
すらりとした長身に鎧のような均整の取れた筋肉を思い起こす。
「脂肪がつくと動きづらい」
「あ、あぁー……そういうことですね」
不自然に裏返った声に、グリズリッドは目を細める。
「また妙なことを考えていただろ」
ぎくりとクロトは肩を震わせた。
「このあと何がしたい」
「もしかして……」
グリズリッドは頷く。
「何も考えてない」
「……なるほど」
クロトはしばらく海を見つめて、ぱっとグリズリッドに向き直った。
「じゃあ、好きなものを言い合うのはどうですか」
「……唐突になんだ」
「好きなもの、あまり知らないなと思って」
面倒くさそうな顔をしながら、グリズリッドは先に口を開く。
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「パンです」
「……そうだったのか」
「主食は大事です。殿下は?」
「肉」
「なんか私たち……本能で生き残ろうとしてますね」
クロトは気を取り直す。
「じゃあ、好きな季節は?」
「冬」
「意外です」
「虫が少ない」
「……」
「お前は」
「春ですかね」
「花か?」
「パンです」
「春じゃなくてもあるだろ」
なんかこう、思った感じの会話にならない。
「殿下は、何色がお好きなんですか」
「考えたことがない」
勧められたものを身につけているのだろうことは、容易に想像ができた。
クロトがそうだから。
「でもこの旅行は黒が多いですよね」
「汚れが目立たない」
「理由が夢も希望もない」
「お前は?」
問われて、クロトは首を捻って唸る。
「……青、かもしれません」
「かもしれない?」
「殿下の目の色なので」
グリズリッドは口にしたコーヒーを吹き出す。
「ああ、もう何をして……良かったですね。黒いお召し物で」
「ほらな」
グリズリッドの服を拭いてやりながら、クロトは呟く。
「……好きな色って安心する色なんでしょうね」
「安心?」
「ええ。見ていて落ち着くとか」
「それなら……金」
「殿下のお召し物は、銀が多いですけどね」
「金の外套を着る勇気はないな」
ふふ、とクロトは笑う。
「なに」
「いえ、陳腐なんですけど……このまま時間が止まったら良いのになと」
「ほんとに陳腐だな」
グリズリッドも笑う。
「俺もそう思う……が」
「……やっぱり? 嫌な予感、しますよね」
足早に近づく硬質な靴音に気づいた二人は顔を見合わせた。
「お食事中恐れ入ります、王太子殿下、王太子妃殿下に申し上げます」
「ほら来た」と、同時に顔を顰める。
「話せ」
「レイド卿が……資料が見つからないと昨日から泣いています」
グリズリッドは物騒に目を細める。
「なんだと……?」
「……それから」
おずおずと伝令の兵士は口を開く。
「フェイ殿も、同じことを仰られて……」
「あ、鍵かけて来ちゃいました……」
クロトは懐から机の引き出しの鍵を出す。
無の表情でそれを見つめたグリズリッドが、小さくため息を吐いた。
「戻るか」




