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第九十五話 旅行③ ーはじめて出会う下着ー

 先に上がって身支度を整えたクロトは、真剣な顔をして悩んでいた。

 悩んでいるのは、荷物に入れた覚えのない布についてだ。


(これは――何)


 誰かがクロトの荷物にそっと忍ばせたであろうそれ。

 リボンとレースで出来た、すっけすけのあまりに面積の少ない布の集合体。


 全体的に白いそれを、クロトは光に透かすように目の高さより上に上げてまじまじと眺めてみた。


「……おい」

「うわ」


 背後から声をかけられ、全身鏡と睨めっこしていたクロトは布を落としそうになる。


「何をしている」


 クロトはそっと振り返る。

 バスローブを纏ったグリズリッドを見て、クロトは目を泳がせた。

 はだけた胸元、濡れた肌と琥珀色の髪が妙に艶っぽい。


(色気が服着て歩いてるみたいな人ですね……)


 クロトは邪心を払うかのように手元に集中することにした。

 

「……殿下。これ、なんだかご存知ですか?」


 指先で布を摘まみ、形を確かめる。


「荷物になぜか入ってまして……」


 わずかに首を傾げる。

 グリズリッドは無表情で目を瞬く。


「大方……侍女長あたりに持たされたか」


 クロトは小首を傾げる。


「侍女長?」


 グリズリッドは鼻で笑う。


「まあ、あいつらの最大の仕事だからな」


 ゆっくりと口角が上がる。


「仕事?」


 グリズリッドはクロトの背後に立ち、耳元で囁く。


「王太子妃に世継ぎが出来ること」


 クロトは目を見開く。

 その瞬間にするりと手から布が取られた。


「どこで売ってるんだ、こんなもの」


 呟きながら、グリズリッドはクロトの目の前でレースとリボンの集合体の絡まりを解いていく。


 触れてはいないのに、体温だけが近い。


「じっとしていろ」


 低く落ちる声に、肩がびくりと揺れた。


 細い紐に指をかけ、絡まりを解いていく。

 その動きに合わせて、時折、手の甲が顎や首にかすめる。


 たったそれだけなのに、かあっと頬が熱を帯びる。


「……殿下、近いです」

「話しかけるな、やりづらい」


 逃げ場を失ったまま、クロトは鏡の中の自分と目が合う。


 背後に立つ男の姿が、やけにくっきりと映っていた。

 

「……こうだろうな」


 絡まりを解いたそれを、グリズリッドは軽く持ち上げる。

 空中に浮かぶそれを、クロトはまじまじと見つめた。

 下着、のように見える。


「……これ、隠す気あるんですか?」


 胸元を覆う布は心許ないほど少なく、細い紐と帯が形を支えているだけに見える。

 そのまま腹部へと繋がり、締め付けるような作りになっていた。


「愚問だ。見ればわかるだろ、皆無だ」

「なんでこんなところに穴が空いているんですか?」


 水着のように下腹部を隠す部分と全て一体化しているものの――肝心の部分は何故か穴が。


「それは……」


 グリズリッドは一度言い淀む。

 だがすぐに、にやりと不敵な笑みを浮かべた。


「試してみれば、わかるんじゃないか?」


 ぼんっと、クロトの顔が爆発したみたいに急激に真っ赤に染まった。


 そして――

 背後から、そっとクロトの体に当てた。


「っ……!」


 思わず肩が跳ねる。

 胸元に、柔らかな布の感触。

 服越しのはずなのに、妙に意識してしまう。


「位置はここだな」


 淡々とした声。

 まるで本当にただの確認のように、わずかに位置をずらす。


 その動きに合わせて、背中に触れそうな距離が保たれる。


 逃げようとすれば、すぐに触れてしまう距離だった。


「……殿下、あの……」

「動くな。分からないんだろう」


 正論で塞がれる。

 鏡の中で、自分の顔が信じられないくらい赤いのが見えた。


 その後ろに立つ男は、いつも通りの顔をしているのに。


「……ここ、少し上か」


 指先が、ほんの一瞬だけ布越しに触れる。

 確かめるような、ほんのわずかな接触。


「顔が赤い」


 楽しむような声が耳元に落ちた。

 それだけで、呼吸が止まりそうになる。


「……っ、殿下、もう……!」


 言葉にならない声が漏れる。

 逃げることもできず、ただその場に固まるしかない。


「……分かったか」


 背後で、低く満足げな声が落ちた。


 クロトは振り向けない。

 振り向かなくても、全部見えてしまうから。


 鏡の中で、自分の顔が耳まで真っ赤に染まっているのだけが、鮮明に映っていた。

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