第八十一話 書庫 ー夫婦の会話ー
王宮の地下には巨大な書庫がある。
王国建国以前の記録から、最新の公文書までが収められた場所だ。
昼間執務室で会ったきり、グリズリッドの姿は見えない。恐らくここかと推測し、クロトは書庫に彼の姿を探す。
天井は高く、幾重にも連なる書架が迷路のように並ぶ。
足音さえも吸い込まれてしまいそうな静けさが、常にこの場を支配していた。
机の上には無造作に置かれた書物がうず高く積まれている。
椅子は引かれたままなのに、グリズリッドの姿は見えない。
「……いない」
机の上に積まれた書物に目をやる。
積まれた本を一冊一冊眺めていく。
『王国と聖女』、『聖女制度』、『聖力と魔力』……
『聖女図鑑』、『禁断の聖女』、『聖女秘部』……?
最後から3冊に違和感を覚えていると、急に左側が暗くなった。
「よくここだとわかったな」
急に低い声が聞こえ、びくりと肩を震わせてクロトは声の方を向いた。
古い記録を数冊抱えたグリズリッドは、クロトを見下ろす。
「体調は?」
クロトの横を通り過ぎながらグリズリッドは尋ねる。
一瞬、なぜ体調のことを聞かれたのかわからず、答えが半拍遅れた。
「あ、ええ、もう大丈夫です」
グリズリッドはすこし目を細め、本を机の上に置いてから振り返る。
「もう?」
そして大股でクロトに近寄る。
「悪かったのか」
クロトは慌てて首を横に振った。
「悪いというほどでは……!」
あまり深く追求しないでほしい。
クロトは深い青の瞳から逃れるように横を向いた。
「血は?」
クロトはすこし唇を尖らせる。
「……出ていません」
殿下は彼女の肩をそっと掴む。
「熱は?」
クロトは目を細める。
「……ありません」
そして、グリズリッドを見上げる。
「随分お詳しいんですね?」
今度はグリズリッドが目を逸らす。
「ただの一般常識だ」
クロトは更に目を細める。
「へえ? 博識ですこと」
ちらりとグリズリッドがクロトに視線を戻す。
「……指南書を読んだだけだ」
彼が言うと、本当なのか嘘なのかわからない。
ただの知識なのか、それとも経験なのか――どちらでも良くなって、クロトは吹き出した。
「そうですか」
グリズリッドがクロトの腰にするりと手を回す。
「何か用か?」
クロトは自然に彼の胸に手を置き、身体を預けた。
「フェイから報告を受けました。魔導具店《銀枝》の店主が目を覚ましたそうです」
ぴたりと互いの身体が密着する。
「それは……一度話を聞いた方がいいな」
会話と裏腹に、身体は互いを求める。
「と、仰ると思って。フェイを同行させます、明日になさいますか?」
「行かないのか?」
グリズリッドはクロトの顎に手を添える。
「私は、あの研究所に行ってみたくて」
指がクロトの顎をそっと持ち上げた。
「大丈夫か?」
「ええ、サラも連れて行きますので」
互いの吐息が絡む。
そのとき、午前中出会ったラベンダーアッシュの髪の青年の声が蘇り、クロトは息を呑む。
グリズリッドの唇にそっと人差し指を添える。
「魔導、展開」
呟いた瞬間、足元に淡い光の魔法陣が広がる。
細い光の線が床の隙間を走り、書架の影へと滲んでいく。
ぱちん、と指を鳴らした。
一瞬、空気が震える。
次の瞬間――
天井近くの梁から、ひらり、と何かが落ちた。
白く薄い紙。
だが落ちきる前に、それはぎこちなく形を変えた。
人の輪郭をなぞるように、折り目が浮かび上がる。
「紙で出来た――人?」
ぺらり、と乾いた音を立てながら、薄い影が床に貼りついた。
呟いたグリズリッドの腕が即座にクロトを背に庇う。
「なんだあれは」
「盗聴用の魔導具かと」
クロトは一歩前に出る。
人型の紙は逃げようとするが、足元の魔法陣が光を強め、縫い止める。
クロトは指を軽く振った。
紙の内側に淡紫の紋様が浮かび上がる。
花の、かすかな香りがした。
庭園で嗅いだものと同じ香りだった気がして、クロトは目を細める。
ぱちん。
もう一度指を鳴らすと、紙は灰のように崩れ、床に散った。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
クロトはグリズリッドの背中に尋ねる。
「第一王子……ユリクシス大公とは仲がよろしいですか」
グリズリッドはゆっくり振り返る。
すこし驚いた顔でクロトを見つめた。
「兄上?」
クロトはグリズリッドを見つめ返す。
「今朝初めてお会いしたのですが、不可解なことを聞かれました。弟が手荒に扱ったようだけれど、体調はどうかと――まるで、見ていたかのようだったので」
「あれ以上丁寧にはできないだろ」
「引っかかるのそこじゃないでしょう」
クロトは思わずグリズリッドの手の甲を叩いた。
「兄上とは、ほとんど話したことがない。子どもの頃数回会った程度で、あとは公式の場で会うくらいだ。第一王子派の連中に命は狙われたが、本人とは特に関わりはない」
グリズリッドはクロトを覗き込んで笑う。
「怒ってるな」
「怒ってます。お兄様、なかなかの気持ち悪さでした」
グリズリッドが吹き出す。
「ちなみに……兄上の管轄は、教会だ」
彼の言葉にクロトは目を細めた。




