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第八話 故郷 ー聖女の街ー

 街道の先に、石造りの城壁が見えてきた。


 あれがランベリー。


 低い丘の斜面に沿って家々が連なり、朝の光を受けた瓦屋根が鈍く光っている。

 港町ほど開けてはいないが、人の往来は多く、生活の匂いが濃い街だ。


 騎士団が訪れては目立つし、警戒される。

 団員は近くで待機し、数名が街で調査を行うことになった。


「着いたな」


 背後から、響きの良い声が聞こえる。

 びくりと肩がわずかに震えてしまった。


 相変わらず後ろから抱きすくめられるような格好で馬に二人乗りだが、軍馬は目立つと騎士団長レイドの指示で普通の大きさの馬に乗っている。

 クロトは村娘のような格好をし、グリズリッドも町人に見えるように白いシャツに黒いパンツ姿。


(なんでこんなに目立つのかしら)

 

 シンプルな服装は、背が高く体格の良いグリズリッドを際立たせ、顔面の美しさが大優勝している。


 街に入る際、グリズリッドを目立たせないためという考えらしいが、もう無理なのだ。美しすぎる。頭巾でも被せれば良かったのに。


 ふわりとシダーウッドの香りが、風に乗って届く。

 胸の奥が、ちくりとした。


 ――思い出すな。


 そう自分に命じるが、無駄だった。


 ナシェ、と呼んだ柔らかい声。

 安心し切った顔。

 彼女を求めた腕の力。


 全部、昨夜のまま残っている。


 ナシェルとは本当にただの友人止まりなんですか?

 そんな野暮なことを聞くわけにもいかない。


 ――あのね、好きな人がいるの。


 ナシェルがそう言っていたのは、グリズリッドのことだったのかも知れない。


 ……そういうこと、だったのかもしれない。


「おい」


 不意に呼ばれ、背筋が跳ねた。


「ひゃい!」


 盛大に声が裏返った。


「固いな」


 グリズリッドが、わずかに笑った気配がした。


「……緊張しておりまして」

「緊張? 心臓に毛が生えている類の人間かと思っていた」

 

 その声は、いつも通り淡々として皮肉混じりだ。


 馬が城門をくぐる。

 石畳に蹄の音が響き、街の空気が一気に近づいた。


 湿った石と、木材と、朝の煙。

 懐かしい匂いが混じっている。


「綺麗なお嬢さん、聖女の涙はいかが?」


 売り子に話しかけられて、クロトは目を瞬く。


「聖女の涙?」

「わあ、お嬢さん。お人形みたいに綺麗ね」


 言われ慣れないことを言われ、クロトは俯く。


「……聖女の涙ってなんですか?」

「ああ、これよ! ランベリーの一番有名なお土産なの」


 涙型にカットした透明の石をペンダントにしたものだった。


「ランベリーはね。前の聖女様の故郷なのよ」


 知らなかった。

 背後のグリズリッドの様子は伺い知れない。

 ご存知だったのかしら。


「ね、後ろのお兄さんはお嬢さんの彼氏?」


 売り子にこっそりと耳打ちされ、クロトは目を見開く。


「い、いえいえ! 親戚です!」

「はあー。確かに二人とも美形だものね〜」


 うんうんと売り子は頷く。


「……親戚は無理があるだろ」


 グリズリッドが背後でぼそりと呟くのを、クロトは聞こえないふりをした。


「ランベリーは初めて?」


 売り子は人懐っこく、何気ない調子で続けた。


「ええ、初めてなんです。とても綺麗で良い街ですね」


 快活そうなグリズリッドの声。

 

(ああ、社交モードに切り替わったのね)

 

 そういうところは本当に器用だと思う。


「だったらね、聖女様が育った孤児院があるの。今はもう使われてなくて、一応観光スポットなのよ。なんにもないんだけどね」

「……孤児院?」


 グリズリッドの問いに、売り子は食い気味に頷いた。


「そうそう。街外れの古い石造りの建物。ほら、巡礼の人もよく行くの」

「聖女様が育った……」


 ナシェルは孤児院の出自だったのか。

 

「ええ。ご両親を早くに亡くされてね。帰ってこられると必ず寄ってらしたわ」


 相槌を打ちながら、クロトは前を向いたまま、背後の気配を意識していた。


「今はもう、記念碑みたいな扱いだけどねえ。ほら、像も建ってるし」


 言われて見上げたそこには、祈りの形に指を組んで優しい顔で目を閉じる乙女の石像があった。

 でも、白い石像は彼女の愛らしい容貌を表現しきれていないように思えてならなかった。


 ナシェルが聞いたら、どんな顔をするだろう。


「時間があったら、行ってみるといいわよ。案内板もあるし、迷わないから」

「ありがとうございます」


 クロトはそう言って、軽く頭を下げた。

 売り子は満足そうに笑い、別の客に声をかけに行った。


 馬が、ゆっくりと歩き出す。

 しばらく、何も言わなかった。


 石畳を進みながら、クロトは視線を前に固定したまま口を開く。


「……ええと。ランベリーは前の聖女様の生まれ故郷で、お育ちになった孤児院が観光地に……」

「聞こえていたが」


 低く、短い言葉に遮られて黙る。


「……行かれますか?」

「当然だ」


 それだけだった。

 でも、その声は少しだけ硬かった。

 クロトはそれ以上、何も言わない。


 ナシェルが過ごした場所。

 生きた時間。

 何か教えてくれるだろうか。


 馬の背で、グリズリッドの指先が手綱を強く握り直したのがわかった。

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