第七十二話 襲撃 ー新たな火種ー
夜の王都は静まり返っていた。
祝宴の灯りがまだ遠くに瞬いている。
だが王宮の裏門から出た馬車の中に、祝福の余韻はなかった。
「いや〜すみませんねえ。無粋なことをしまして」
馬車で三人になった瞬間に、レイドはいつもの砕けた口調に戻った。
「私達だけで行って、殿下たちには明朝報告するか?って迷ったんですけどね」
レイドはクロトとグリズリッドを交互に見比べる。
「後の報告だとそれはそれで怒られそうだし」
特に王太子妃殿下、とレイドは甘く垂れた鳶色の瞳でクロトを見た。
「まあ、でも着衣が乱れる前で良かったですねえ」
「殺すぞ」
深い青の瞳に睨まれたレイドは肩をすくめる。
「で、襲撃されたのは?」
小さくため息を吐いたレイドが口を開いた。
「王都西区。魔導具店《銀枝》の店主です」
クロトは目を見開き、息を呑む。
「店主は、フェイ君の育ての親の方です」
グリズリッドは目だけ動かしてクロトを見やる。
「二年前……一度店に行ったことがあります」
クロトは記憶を辿る。
「薬を作っていました。フェイ君の、双子の弟君の心臓の薬を……」
聞き終えて、グリズリッドは満足そうに微笑んだ。
「魔導士の報告は事実のみ。個人的な憶測や仮定は持ち込まない。途中で情報共有することは習慣にない……ではなかったか?」
クロトは口を尖らす。
「だって、全部言わなかったら怒るじゃないですか」
「まあな」
「貴方を不安にさせると無視されたり、色々と不合理なので」
「はいはいはーい」
レイドはクロトとグリズリッドの間で手を振る。
「独特な感じでいちゃつかれてるところ、大変恐縮ですが……着きました」
西区は静まり返っていた。
祝祭から取り残されたように暗い。
魔導具店《銀枝》の扉は半壊していて、封鎖の布が揺れている。
中へ入ると鉄と薬草と焦げた魔石が鼻を付いた。
棚は倒れ、硝子は砕け、床には乾きかけた血痕。
血溜まりが一箇所、濃く残っている。
クロトは一歩、血溜まりへ近づいた。
赤黒く乾き始めたその縁に、かすかな光が絡みついている。
「……殿下」
クロトは隣にいるグリズリッドの腕にそっと触れる。
「わずかに聖力が残っています」
グリズリッドは何も言わず、視線だけを落とした。
だがその瞳の奥で、何かが冷えた。
そのとき。
「おひさしぶりです。王太子殿下、レイド卿」
静かな少年の声が、背後から落ちた。
声の方へ振り向くと空間がぐにゃりと歪む。
移動魔導の残光が散り、黒衣の少年が瞬時に姿を現した。
長い睫毛の奥に研ぎ澄まされた菫色。
銀髪が淡く光を反射する。
「おお、フェイ殿〜! おひさしぶりです」
黒魔導士討伐後、グリズリッドとレイドはフェイに会う機会がなかった。
「最年少最高位魔導士となったことは聞いていた」
「恐れ入ります」
「あのあとすぐでしたもんね。さすが天才」
で?
と言わんばかりのレイドが作った間。
「……彼は、無事です」
二回瞬きしてから、フェイは告げた。
「ですが重体です。現在、白魔導士が治療しています」
淡々とした声に簡潔な報告。
その言葉を聞いて、クロトの胸の奥がわずかに緩む。
「双子の弟君は?」
クロトが問うと、フェイの視線が鋭くなった。
「それが……通信魔導具の音信が、途絶えました」
そして少し俯き、フェイは唇を噛む。
魔導士となったフェイは水晶神殿には入れない。
フェイは静かに乾いた血溜まりの傍に膝をついた。
ためらうように、指先が一瞬空中を彷徨う。
一息吐いて、指先をかざすと淡く金色の光が辺りを照らす。
空気が、微かに震えた。
「……アッサラート一族の血は特異です」
フェイの指先に、血痕が淡く反応する。
「聖力は通常、血からここまで残留しません」
金色の光が、乾いた赤をなぞった。
「ですがアッサラートの血は違う。聖力を引き寄せ、痕跡として残る」
すこし低くなった少年の声が、暗い店内に響く。
「術者を辿れそうです」
その菫色は、冷静だった。
「ただし、気取られます」
クロトは思案する。
「金品は? 何か盗られていませんか」
フェイは首を横に振る。
「こんな古びた魔導具屋に、大金はありませんよ」
自嘲気味にフェイは言った。
「強盗ってわけじゃないってことですねえ」
レイドの言葉に、フェイは力強く頷いた。
「どうです?」
クロトはグリズリッドを見上げた。
グリズリッドが目だけ動かしてクロトを見下ろす。
「追うしかない」
クロトは頷く。
「最高位魔導士、フェイ」
改めて向き直る。
「聖力の痕跡を辿り、術者を特定してください」
フェイは静かに魔導士の礼を送る。
「対象を確認したら、一度戻り報告を。命の危険を感じた場合は撤退を優先してください」
「騎士団長」
グリズリッドが呼ぶ。
レイドが一歩前へ出る。
「お前も同行しろ」
「はーい、仰せのままに」
フェイの細い指先から金色の光が細い糸のように伸びる。
夜の奥へ。
――王宮とは、別の方向へ。
クロトはその軌跡を見つめながら、静かに息を吸った。
何かが、始まってしまった。
祝福の鐘の余韻は、もうどこにもない。




