表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/89

第六十九話 演説 ー王太子妃ー

 王宮の控室で、クロトは鏡の前に立っていた。


 身に纏うのは彼の瞳の色を思わせる深い群青のドレス。

 肩は隠れているが、背は少し開いている。

 腰は細く絞られ、裾は静かに広がる。


 女官長が満足げに頷く。


「完璧でございます、クロト様」


 突然、無遠慮に扉が開け放たれた。

 誰が入ってきたかはすぐにわかった。


「……これは何だ」


 低い声に女官たちが凍る。

 グリズリッドが大股でゆっくり近付いてくる。

 そして彼女たちを睨んだ。


「背中が開きすぎだ」


 女官長は臆さずにっこりと微笑む。


「こちら、現在最も流行の形を――」

「閉じろ」


 斬るような口調。

 クロトは嫌な顔をする。


「殿下、昨日確認しましたよね?」

「昨日は光量が違った」


 クロトはため息を吐く。


「この布地は薄い」

「春ですから」

「だめだ」


 女官長が静かに息を吐く。


「殿下、議会の諸侯は保守的でございます」

「だからだ」


 空気が変わる。


「肌を見せる必要はない」


 クロトが目を細める。


「じゃあ裸で出ます」


 グリズリッドはぎょっと目を剥く。


「……それはやめてくれ」


 お前ならやりかねない。

 グリズリッドはそう呟く。


「……そんなに変ですか?」


 クロトはくるっと回ってみせる。


「……似合ってる」


 低い声。


「だから気に入らない」


 いよいよ訳がわからない。


「ドレスなんてどうでも良いでしょう?」

「ドレスが問題なんじゃない。露出度が問題なんだ」

「お父さんみたいなこと言わないでくださいよ」


 クロトは何度目だかわからないため息をつく。


「では上着を羽織ります。それで満足ですか?」

「……それなら」


 不承不承、グリズリッドは頷く。


「貴方が用意した舞台なんですから、ちゃんと聞いててくださいね?」

「当然だ」


 グリズリッドはそう言って笑い、クロトの頬に軽く口付けた。


 


 王宮大広間は、すでに静まり返っていた。


 ゆっくりと集まった人たちを見回す。

 王族、貴族、教会、魔導士、騎士団……


「まずは」


 やけに落ち着いた声だった。


「この戦で命を落とした者たちに、祈りを」


 息を呑む音が響く。


「この度はお集まりいただき感謝申し上げます」


 クロトは静かに話し始める。


「単刀直入に申し上げますが、私は聖力を失いました」


 ざわめきが起きる。


「王太子殿下を救った代償です。殿下に聖力が移動したため、私には聖痕もありません」


 雑音をよそに、クロトは続ける。


「よって、私は聖女ではなくなりました。しかし、それは大した問題ではありません。私は魔力があれば充分です」


 堂々と言い放つ。

 

「中級魔導士程度の魔力には落ちましたが、中級魔導士になったわけではありません」


 視線を聴衆にまっすぐ向ける。


「16の時から最高位魔導士として積み上げた知識と経験は失われません。八竜のうち五体を討伐し、今回黒魔導士と対峙した、その現場を私は知っています」


 静寂が会場を包む。


「魔導士として――力の量ではなく、判断で指揮を執ります。王国魔導士である私の力は全て王国のものです。私は、王太子殿下の隣を選びます」


 広間は凍りついたように動かない。


 そのとき。

 鎧がわずかに鳴った。


 後方に控えていた騎士の一人が、

 ゆっくりと手を打つ。


 硬い音。

 戦場で聞いた、あの音。


 もう一人。

 また一人。


 傷の残る腕が。

 包帯を巻いた手が。

 剣だこだらけの掌が。


 やがて、魔導士たちへと広がっていく。

 漣のようなそれは、徐々に大きな波になる。


 貴族席へ。

 教会席へ。


 広間全体を包み込む。


「もし私に不足があるとお考えなら」


 クロトは一拍置いて息を吸う。


「戦場でお見せします」


 一同が息を呑む。

 誰も異を唱えない。


 広間を包む空気が、変わる。

 クロトは、一度微笑む。


 そして――

 一歩下がり、


 彼の隣へ戻る。


 グリズリッドは黙ってクロトに手を差し出し、彼女はその手を取ると彼を見上げた。


 グリズリッドが微笑む。

 手を握る彼の指がわずかに強くなった。



 二人は並んだまま歩き出した。


 背後で、拍手が広がる。

 揺るがない音。

 祝福の波。

 振り返らない。



 

 王宮大広間を出て、扉が閉まる。

 拍手の残響が遠ざかっていく。


 クロトは息を吐く。


「……終わりましたね」


 グリズリッドは何も言わない。


 ただ一歩近づく。


「震えている」

「寒いだけです」

「嘘だ」

「……膝、がくがくです」


 クロトは彼の腕に体重を預けた。


「よくやった」

「はい」


 深い青の瞳がまっすぐクロトを見る。


「堂々と隣に立てますね」


 ふ、とグリズリッドの顔が緩んだ。

 そして彼はクロトを抱き上げる。


「ちょっ……」


 クロトはグリズリッドの首に腕を回す。


「……重くないですか?」

「軽い」

「羽のように?」

「黙れ」


 寝室の扉が閉まり、灯りが揺れる。

 彼はクロトを下ろさない。


 いつも見上げている目線は、同じ高さにある。


「今日のお前は、綺麗だった」

「朝は文句ばかりでしたのに?」

「見せたくなかった」


 吐息が絡む。


「誰にも」


 どちらともなく静かに唇を重ねる。


 そして深く。

 離れない。


 クロトは彼の名を囁く。


「……グリズリッド様」


 その瞬間、彼の呼吸が変わる。

 唇を離して額を合わせる。


「煽るな」


 灯りが消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ