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第六十話 告白 ー鋼の精神ー

 巨大な氷柱となった魔導弾を、クロトは人差し指で溶かした。

 氷柱は瞬時に蒸発し、短い音を立てて霧散する。


 その直後。

 胸の奥が、ひび割れたように軋んだ。


「――っ、か……は」


 空気を吸おうとして、吸えない。

 喉の奥に、熱いものがせり上がる。


 鈍い音とともに、血が零れ落ちた。

 掌に広がる、濃い赤。


 ぽた、ぽた、と魔法陣の上に滴る。

 鉄の匂いが鼻を刺す。


 呼吸のたびに、胸の奥で水が揺れるような音がする。


 ひゅ。

 ひゅ。


 肺に血が入り込んでいる。


 視界の端が暗くなる。

 膝が折れかける。


 それでも、倒れない。

 ここで倒れたら、無駄死にだ。


 クロトは口元を乱暴に拭った。

 手の甲が赤く染まる。


「……殿下」


 声が掠れる。

 喋るだけで、血の泡が喉を震わせる。


「私、まだ……返事をしてませんでしたよね」


 息がうまく入らない。

 喉が焼ける。

 それでも言葉を絞り出す。


「一回しか、言えません、からね」


 また喉の奥から血が溢れ、鈍い音ともに床に赤い花が咲く。


 グリズリッドの漆黒の瞳が、揺れたのをはっきりと見えた。

 黒い魔力が、わずかに乱れる。

 頭を押さえるグリズリッドの指先が震えた。


「もういい……やめろ」


 足が、わずかに前へ出る。

 だが、そのまま止まった。

 触れれば壊れてしまうと、本能が告げていた。

 

 低い声は、今までよりも苦しげに聞こえる。

 ナシェルの顔色が変わった。


「リズ! 聞かないで!」


 クロトは笑う。

 血に濡れた唇で。


「私も、好きですよ」


 真っ直ぐに、言う。


 息を吸う。

 ひゅ、と濁った音。


「あなたと出会って、たくさん、知りました」


 クロトの足元に、音もなく巨大な魔法陣が展開される。

 その速さ、今までの比ではない。


 朝起きたら貴方の姿を探し、貴方の姿を見つけたら心が躍り、貴方の機嫌が悪そうなら不安になった。


 貴方が笑えば全てが吹き飛んで、夜眠る前に貴方を思う。

 貴方に拒絶されれば世界に色がなくなった。

 貴方が去って、生きてくれさえいれば、それだけで良いと願った。


 長い金髪が重力に逆らってふわりと浮かぶ。

 

「あなたと、出会えて、幸せでした」


 グリズリッドはクロトを見つめて動かない。

 クロトはその隙に風魔導を用いて地面を蹴る。

 

 グリズリッドの懐に入ると、彼を一度強く抱きしめる。

 これが最後だと知っているみたいに。

 しかし、その全力があまりにか細く、グリズリッドは目を見開き、息を呑んで身体を硬くさせた。

 抱きしめられているはずなのに、奪われていくようだった。


 グリズリッドの体温は、熱かった。

 闇に侵されても、ちゃんと生きている温度。


 クロトは目を閉じる。

 この鼓動を、覚えていたい。

 ――これが、最後。

 

 

 そして、グリズリッドの胸を人差し指と中指で突く。

 ぐっとグリズリッドは苦しそうに喉を鳴らして呻いた。

 

 クロトは彼の心臓に全聖力を注いで、魔力を用いてクロトがつけた全ての怪我を治していく。

 まるで何事もなかったように。


 そして聖力がクロトへ逆流する。

 心臓を通してクロトの奥底が静かに削れ、内側から空洞になっていく。


 ああ、これでいい。

 これできっと大丈夫。



 これで。

 戻ってこられましたか?


 面倒で、傲慢で、不器用で……誰よりも優しい、グリズリッド様。


 ふ、と微かに微笑む。

 彼の肩に自分の額が当たる寸前で。

 ぷつりと、クロトの意識が途切れる。





 目を開けると、クロトは白濁した光に包まれていた。

 あたりは一面白。

 ぼんやりと、しかし確信を持ってクロトは思う。

 

 私、死んだのね。


 ――クロト。


 まだ誰かが何か言ってる。

 

 ――一人で死ぬのは悔しいだろう。


 悔しい?


 ――愛する男を残して、君だけ死ぬのか?


 そうね、とても残念です。

 

 ――女としての幸福も知らず、一生を終えるのか?


 そうですね……。まあ、それも残念です。

 

 ――私の手を取れ、クロト。心臓を捧げよ、共に永遠に生きよう。


 姿の見えない闇は手を差し出す。


 少しも迷わず、クロトは笑う。

 笑って、その冷たい手を払った。


 必要ありません。

 それが人間だから、仕方ないですね。

 死んだらそこで終わりなんです。


 私は、護衛の責務を全うしました。

 これで、よかったのです。


 最後に浮かんだのは、深い青の瞳だった。

 それだけで、十分だった。

 本当は、もう少しだけ側にいたかったけれど。


 ……仕方ない、ですね。

 

 そして彼女はゆっくりと目を閉じ、静かに白に溶けた。

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