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第五十九話 動揺ー死闘の果てにー

 漆黒の瞳が、わずかに揺れた。

 ほんの一瞬。


「……愚かだな」


 すぐに冷たく塗り潰される。


「自ら枯渇を宣言するとは」


 黒の魔剣が、ゆっくりと引き抜かれる。

 肩から血が噴き出し、クロトは顔を顰めて肩を押さえる。


 回復魔導は、使わない。


 視界が白く霞む。

 痛みで吐き気を覚えた。


 グリズリッドの左手が容赦なくクロトを拘束するために迫る。

 それを風魔導を使って避け、更に距離を取る。


 


「……なんなの」


 段々、本気で苛立ってきた。


「婚約なんて、無効ですから」


 一歩、踏み出す。


「自分で言ったんですからね。嫌なら破棄すれば良いって」

 

 足元に魔法陣が展開する。


 これまでよりも、複雑な式。

 だが、それだけではない。


 空気が震える。


「ずっと思ってたんですけど、いつもいつも言葉が足りないんですよ……!」


 貴方の嫌いなところをかき集めて、本当に心から大嫌いになれたらどんなに楽だろうか。


「言葉が足りないから、なんで怒ってたのか全然わからないし」


 魔力を、圧縮。


 圧縮。

 圧縮。


 限界まで。


 その瞬間――

 額の聖痕が、灼けるように熱を帯びた。


 胸の奥で脈打つもうひとつの光が、魔力の式に割り込む。


 弾くのではない。

 打ち消すのでもない。


 絡まり、噛み合い、ひとつの回路へと収束する。


「本当に、面倒!」


 白光が歪む。

 ナシェルの顔色が変わった。


「リズ、下がって!」


 遅い。


「――聖域、収束」


 一気に放つ。


 直線ではない。

 面でもない。


 空間そのものが、内側へ折り畳まれる。


 グリズリッドは剣を構え、それを斬ろうとする。


 だが。


 黒の魔剣が触れた瞬間、軋んだ。

 斬る対象が、存在しない。


 魔導でもない。

 聖力でもない。


 位相ごと削る、融合式。


 神殿が揺れる。


 爆ぜる光の中で、見る。

 グリズリッドが、初めて膝をついた。


 呼吸が乱れている。

 額から血が流れ、左腕、脇腹、太腿から血が噴いている。魔剣を支えにし、ようやく姿勢を保っている。


 しかし――

 クロトの額からも、熱いものが流れ落ちた。


 聖痕がひび割れた感覚。

 視界がぐらりと揺れかける。


「……残り、一回」


 喉が焼けるようだった。

 魔力と聖力の均衡が、崩れかけている。

 もう一度やれば、どちらかが壊れる。


 でも。


 まだ足りない。

 まだ、足りない。

 

 もう手遅れなのだろうか。

 グリズリッドはナシェルの手を取り、闇と契約しているのか。


 そうすれば、心臓がないはずだ。

 クロトはまたひとつ息を吐く。


 風魔導を用いて、また飛ぶ。

 グリズリッドは動かない。


 クロトは空中で無数の魔導弾を浴びせる。

 グリズリッドはそれを黒の魔剣で切ったり、剣の腹で受け流したりする。

 でも動かない。


「無駄だ」


 グリズリッドはそう言って、クロトに向かって飛ぶと、足を掴んで引きずり落とす。

 再び床に叩きつけられたクロトに、グリズリッドは覆い被さった。

 両手で首を絞めるその顔は、苦しそうに歪む。


 クロトは、右手を伸ばして心臓を確認する。

 胸元にわずかに中指があたる。


 とく……とく……


 規則的な鼓動。


 クロトは小さく息を吐いてから、グリズリッドの尻の辺りを思い切り蹴り上げた。

 魔導で筋肉を強化しているその一撃は、軽々とグリズリッドの身体を吹っ飛ばす。

 

 クロトは確信する。

 グリズリッドは、完全に堕ちたわけじゃない。

 そして明らかに動揺している。

 グリズリッドの意識は完全に死んでいるわけではない。


 黒魔導によって堕ちかけているが、まだ踏みとどまっているといったところか。


 そうであれば、急がないと取り込まれてしまう。

 グリズリッドが心臓を闇に捧げてしまう前に、叩き起こさないといけない。

 そうしないと、グリズリッドは輪廻転生の輪から外れ、もう二度と人間に戻れなくなってしまう。

 

 この人は死なせない。

 

 グリズリッドが離れたところでゆっくり立ち上がり、口元の血を袖口で拭う。


「すこし、話しをしませんか」


 クロトの提案に、グリズリッドは肩で息をしながら嘲笑う。


「お前と俺が、今更なんの話しをする」


 呼吸がうまくできない。

 肺から変な音がする。


「では、最後に話しを聞いてくれませんか」


 話せるうちに、話してしまいたいから。


「前に、何故そこまで魔導士でいたかったのかと、聞かれたことが、ありましたよね」


 グリズリッドは表情を変えない。

 でも彼は動かない。


「魔導で、生き抜くことは、私の意地だったと、答えました」


 喉の奥から、濡れた音が漏れた。


「たぶん、助けを求める余裕も、ありませんでした。あなたも、同じなんじゃ……ないですか?」


 口の端から温かいものが溢れる。


「私の人生は、思えば、意地だらけでした」

 

 クロトはそれを手で押さえる。

 手のひらに赤い血が広がる。

 胸の奥が焼けるように痛んだ。


「泣くのも下手で、助けてとも、言えなくて」


 息をするだけで、激痛が走る。


「……やめろ」


 グリズリッドは顔を顰めて頭を手で押さえた。


「それ以上、喋るな」

「リズ! 聞いちゃだめ!」


 悲鳴のような声で叫んだナシェルの氷魔導がクロトに向かって弧を描いて一直線に飛んでくる。


 巨大な氷柱となった魔導弾を、クロトは人差し指で溶かした。

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