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第五十二話 陥落 ー亡き聖女のためのー

 意識が浮かび上がる。

 重い瞼を持ち上げると、天井があった。


 見慣れた、王宮の装飾。

 朝の光が、静かに差し込んでいる。


 胸に手を当てる。

 鼓動と呼吸が整っている。

 痛みも、あの焼けるような苦しみもない。


 生きている。


 ゆっくりと体を起こそうとした瞬間、医官が駆け寄ってきた。


「殿下、お気づきに……!」


 その声には、昨夜とは違う色があった。


「……聖女ナシェルは」


 掠れた声で、それだけを問う。


「聖女様は、解毒を終えられた後、すぐにお戻りになりました」


 教会に黙って来てくれたのかもしれない。


「そうか」

「お疲れが強いご様子でしたが……」


 医官はそれ以上言わなかった。

 グリズリッドは、ゆっくりと息を吐く。


 部屋の中には、彼女の気配は一切ない。

 わずかに砂糖菓子のような香りが残っているような気がした。

 彼女に、助けられた。


「……後で、礼を言いに行かなくては」


 誰に聞かせるわけでもなく呟いた。




 数日後。


 廊下の向こうが、騒がしくなる。

 慌ただしい足音。

 押し殺した声。


 やがて、ひとつの言葉が耳に届く。


「聖女様が……」


 息が止まる。


「何だ」


 自分でも驚くほど低い声だった。

 伝令の騎士は、顔を青くしていた。


「聖女ナシェル様が、襲撃を受け……」


 一瞬の沈黙。

 それがすべてを物語る。


「亡くなられました」


 世界が、音を失う。

 自分の鼓動が妙に大きく聞こえた。


 今正常に動いているこの心臓は、彼女が守ったものだ。


 礼を言いに行くはずだった。

 指先が、わずかに震える。




「ねえ、リズ。」


 グリズリッドの頭の中に直接語りかけてくるナシェルの声。

 グリズリッドはそれに答える。


「なんだ」


 目を開けると、そこにはナシェルがいた。

 白いローブを身に纏い、すこし小首を傾げてグリズリッドを見上げている。


「わたしはあのとき、もう死にかけてたの。魔力が弱いわたしにはね、聖女のしごとが難しくて」


 彼女は心臓のあたりにそっと手をやる。


「痛くて、苦しくて。ああ、もうそろそろ死ぬのかなって思ってた。だから、リズのことを助けられて本当に嬉しかった」


 少し潤んだ銀色の瞳。ナシェルは悲しげに微笑んだ。


「だから――」

「だから、お前が死んだことは気にするな、とでも言う気か」


 グリズリッドはナシェルの言葉を遮る。


「俺は、誰かに心臓を抉られて死んだと思っていた。黒魔導士の討伐を命じられたとき、そいつがお前を殺したのだと思った」


 本人を目の前にすれば、口は止まらない。

 言いたいことはたくさんある。

 

「だから自ら志願して黒魔導士討伐に出た。まさか――黒魔導士自身がお前だと思わなかった」


 責めるような口調で、グリズリッドはナシェルに捲し立てる。

 ナシェルは黙って俺を見上げている。


「……迷ってたの。待ってたのに、リズは、来てくれなかったじゃない」


 思わずグリズリッドは息を呑む。

 噛み合っているようで、噛み合っていない会話だ。


「約束、守ってくれなかった」


 だんだん頭が働かなくなってきた。


「だから、今度は来てくれるよね?」


 ナシェルは小さな手のひらをグリズリッドに差し出した。


「わたしはあなたを、リズとしてしか知らない。わたしが会ったのは王子様のリズじゃなかったじゃない?」


 グリズリッドは一度目を閉じる。

 頭に靄がかかったように晴れない。

 思考が、練れなかった。


 ちかりと明るい青の瞳が蘇る。

 責めるわけでも、怒るわけでもなく、ただ叱咤し、グリズリッドを観察するような冷静な瞳。

 彼女は、いつでも完璧な魔導士で、彼女の正しさは――


 今の彼にはすこし苦しくて。



 

 いつも役に立つ人間あり続けなければ、意味がなかった。

 優秀だと認められれば、周囲の目が変わっていく。

 グリズリッドは常に完璧であり続ける必要があったし、それが命を繋げることに直結していることに早くから気付いていた。

 

 でも役に立たなければ、期待を失えば、居場所を失う。同時に命を失う。

 それがたまらなく怖い。

 死ぬことよりも、価値がないと突きつけられることが死ぬほど怖い。



 グリズリッドにはわかる。

 クロトは特別だ。

 彼女は手放してはいけない。

 

 たぶん、彼女も同じだからだ。

 優秀であり続けることで、自分の価値を証明し続けてきた人。

 そんな人から垣間見える素の表情がたまらなく愛おしくて。

 グリズリッドはまだ彼女に何も伝えてない。

 


「ねえ、リズ。わたしと一緒に行こ」


 なのに。

 グリズリッドは目を開け、ナシェルの小さな手を取った。


 ごめん。

 俺にはお前の隣に立つ資格がない。

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