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第五十一話 解毒 ー最後の力ー

 場面が切り替わる。


 王宮の奥の部屋。

 覚えている。

 ある時、グリズリッドは急に王宮に戻された。

 騎士団内での働きが評価されたのだと聞いた。


 討伐任務では先陣を切り、魔獣の群れを押し返した。

 王都近郊に出没した盗賊団を壊滅させ、貴族の子弟を無傷で救出したこともある。

 辺境伯領との合同演習では、模擬戦ながら三倍の兵を率いる隊を崩した。


 剣を振るうことに、迷いはなかった。


 斬るべきものを斬る。

 守るべきものを守る。


 それだけを考えていればよかった。


 王宮を追われた第二王子という立場は、騎士団では関係ない。

 そこにあったのは実力だけだった。


 気づけば名は広まり、若い騎士たちはグリズリッド中心に動くようになっていた。


 功績は積み重なり、王宮内でグリズリッドを無視できなくなってきた。


 だがその頃のグリズリッドは、そんなことに興味はなかった。

 剣を握っていれば、余計なことを考えずに済んだ。



 わずかな油断。

 グリズリッドは常に銀の食器を使う。

 毒に含まれる不純物の硫黄と反応し、銀は黒く変色するからだ。

 騎士団の野営地で、まさか毒を盛られるとは思っていなかったのだ。

 騎士団内の人間だとは思えなかった。

 王宮に戻って間も無くのことだったから、王宮の人間が騎士団に紛れていたのだと思う。


 毒への耐性がついていたのか、運良く即死はしなかったものの、異変はすぐに現れた。


 最初は、喉の奥に残るわずかな苦味だった。

 次に、胸の奥が焼けるように熱くなる。


 酒でも飲んだかのように、視界がわずかに滲む。


 ――おかしい。


 そう思ったときには、もう遅かった。

 心臓が、びくん、と嫌な跳ね方をする。


 血が脈打つたび、内側から爪で引き裂かれるような痛みが走った。


 息を吸おうとするが、吸えない。


 肺がうまく広がらない。

 代わりに、胸の奥に冷たい何かが流れ込んでくる。


「……っ」


 声が出ない。

 立ち上がろうとした膝が、床に落ちた。


 誰かが何かを叫んでいる。

 だが、音が水の中を通したように歪む。


 毒だ、と理解した。


 胃の奥が痙攣し、視界が白く弾ける。

 指先から力が抜けていく。


 こんな形で終わるのか、と。

 妙に冷静な思考が浮かんだ。


 魔獣に喉を裂かれるでもなく、

 戦場で討たれるでもなく、

 見えない毒で、静かに。


 情けない。

 そう思った。


 だが次の瞬間、痛みはさらに深くなる。

 心臓を直接握り潰されるような圧迫。

 血が、逆流する。

 喉に鉄の味が広がる。

 吐血したのだと、ぼんやり理解した。

 床に赤が広がっていく。

 


 寒い。

 体が急速に冷えていく。

 鼓動が、不規則に乱れる。


 びく、……びくん。


 間が空く。

 また、跳ねる。


 これは長くない、と直感した。


 視界の端が暗く染まっていく。

 騎士たちが駆け寄る影が朧げに見えた。


「医官を呼べ!」

「白魔導士はまだか!」


 怒号が飛ぶ。

 誰かがグリズリッドの体を抱き起こした。


 胸が焼ける。

 吐血が止まらない。


 ほどなくして医官が駆け込んできた。

 脈を取り、瞳孔を確かめ、顔色が変わる。


「……強毒です」


 低い声。

 続いて白魔導士が数人、祈祷を始める。

 淡い光が俺を包む。


 だが――


 光が、弾かれる。

 まるで血そのものが拒絶しているかのように。


「浄化が、追いつきません!」

「毒が循環に乗っている……!」


 焦りの滲む声が飛び交う。

 誰かが歯噛みする。


「解毒薬は!?」

「間に合いません!」


 意識が遠のく中、言葉だけが断片的に届く。


「……申し上げにくいのですが」


 医官の声が、やけに静かだった。


「この毒は王族暗殺用に調整されたものと思われます。即効性ではなく、循環を破壊する類です」


 彼は一拍置いてから確信めいた声で呟く。


「もって……今夜かと」


 空気が鎮まり、凍る。

 誰も何も言わない。

 白魔導士の一人が、祈りの手を止めた。


 その仕草だけで、十分だった。


 ――匙を投げた。


 ああ、そうか。

 俺は、ここまでか。


 意識が沈む。

 沈みながら、なぜか思い出したのは――


 王都の隅ではためく白いローブ。

 桜の花びらを溶かしたような銀色の髪に、薄い銀色の瞳。


 王宮に入った頃、一番驚いたのは彼女との再会だった。

 彼女は、就任したばかりの聖女としてグリズリッドの前に現れた。

 聖女選出の儀を終え、降臨祭を終えたばかりの彼女は、王都で会ったときよりも消耗しているように見えた。


 彼女はグリズリッドを見て、何も言わずに微笑んだ。

 その笑顔はどこか寂しそうで、脳裏にこびりついて離れなかった。


 


 そのとき。


 部屋の空気が、ふっと変わった。

 祈祷とは違う、澄んだ圧。

 淡い光が差し込む。


 誰かが振り向く。


「……誰だ」


 衛兵が制止の声を上げる。


 だが足音は止まらない。


 軽い。


 迷いがない。

 白いローブの端が見える。


 聖女ナシェルは、倒れ伏すグリズリッドの傍らに膝をついた。

 砂糖菓子のような甘い香りがする。


「下がって」


 柔らかい声だった。

 けれど、有無を言わせぬ響きがあった。


「この人は、まだ死なない」


 医官が息を呑む。


「無理です、聖女様……血が、もう――」


 ナシェルは首を振る。

 グリズリッドを見下ろし、かすかに笑う。


「リズ」


 その声で、意識の底が震えた。


「間に合ってよかった」


 彼女は両手を、グリズリッドの胸に重ねた。

 光が、今度は弾かれずに彼の胸元に落ちる。

 熱ではない。

 澄んだ、透明な何か。

 苦しみに歪んだ意識の中で、グリズリッドはその銀の瞳を見た。


 ナシェルはグリズリッドを見て、花束のように笑った。

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