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第四十七話 不協 ー食い違う意見ー

 霧が濃い。


 聖地エッダへ近づくにつれ、空気中の魔素濃度が明らかに上昇している。

 肌に触れる感覚が重い。


 クロトとフェイは馬から降り、気配を探る。

 一歩踏み出すと、靴底がゆっくりと沈む。

 水を含んだ土が、遅れて重く吸いついた。


「……三時方向、魔力反応です」


 フェイの声にクロトは頷く。


「黒魔導の術式ですね」


 揺らぎは不安定。

 意図的に隠蔽された痕跡。

 ナシェルのものに近い。


「距離は約二百。移動速度は遅い。囮の可能性あり」


 振り返らずに告げる。


「フェイ、どんな攻撃が来るのかわかるか?」


 グリズリッドは問う。


「いえ、まだそこまではわかりません」


 フェイは首を横に振る。


「私が行きます」

「却下だ」


 食い気味に言われ、クロトは眉根を寄せる。


「私が単独で接触すれば、被害は最小限で済むと思いますが?」

「却下だ。待機しろ」


 声が低い。

 だが荒れてはいない。

 しかし、クロトは食い下がらない。


「なぜですか?」

「攻撃の詳細が不明だ。一人で突っ込むな」

「ですから陽動を――」

「俺は命の話をしている」


 静かな沈黙が落ちる。


 言葉を遮られる。

 クロトは一瞬、思考を止める。


「ここは戦場ですよ?」


 グリズリッドは、こちらを見ない。


「無駄死にすることはない。お前を失えば士気が落ちる」


 理解はできる。

 でも、攻撃方法がわからないのであれば、もたもたしていては危ない可能性だってある。

 視界は悪い。

 

 

「……単独で行きます」

「待て」


 馬の上から声が降ってくる。


「せめて護衛をつけろ」

「不要です」

「命令だ」

「不要です!」


 思わず声が強くなる。


「最高位魔導士は単独行動が基本です。ご自分の部下の命を優先してください」


 空気が冷えて、張り詰める。


「……お前は部下じゃない」


 低い声でグリズリッドは呟く。


「だから言っている」


 わずかに感情が滲む。


「失いたくないと言っているんだ」


 一瞬、胸の奥が揺れた。


「それは、私情です」

「違う」


 吐き捨てるように、グリズリッドは言う。


「お前は自分を軽く扱いすぎる」

「私は守られる側の人間じゃありません」

 

 水を打ったような静けさが支配した。

 クロトは息を吐く。


「今の殿下は任務と私情の区別が曖昧です。優先すべきはナシェルの排除。負ければ多くの命が失われます」


 クロトはグリズリッドから目を背けない。


「全体を見て判断する立場の方が、私一人のために作戦を歪めるべきではありません」


 静寂。

 霧が流れる。


「お前の言うことはいつも正しい」


 疲れたような声が落ちる。


「でもその正しさは理想に過ぎない――そして、著しく周囲の人間への配慮に欠ける」

 

 空気が張り詰める。

 グリズリッドの肩がわずかに下がった。



 怒鳴られない。

 剣も抜かれない。


 ただ、静かに。


「……もういい」


 諦めたように短くそう言って、グリズリッドは目を閉じた。

 昨晩と同じ言葉。


「好きにしろ」


 吐き捨てるような声音。

 目は、最後まで合わなかった。


 グリズリッドの言う「もういい」は、拒絶だ。

 分かり合えない、これ以上の会話は必要ない。

 彼はそう言っているのだ。

 

 自分が頑固すぎる自覚はある。

 でも、譲れない。


 この状況は、絶対に自分が行くのが良い。

 王国騎士団の命だって、守るべき命だから。


「魔導、展開」


 クロトはすぐに風魔導を用いて魔力反応の中枢へ突っ込んだ。



 ――手に入れられないなら、わたし、リズを殺しちゃうかも知れない。


 夢の中で聞いたナシェルの声が濃霧の中で響く。

 対象は精神干渉型。


 黒魔導は、魔力を持って、闇と契約して使える。

 契約は――自らの心臓を差し出すこと。


 闇は、人間の仄暗い感情に寄り添う。

 嫉妬、憎悪、執着などの感情を強く持った魔導士が闇に堕ち、黒魔導士と化す。


 一度そうなっては、もう輪廻転生の輪から外れ、二度と人間には戻れない。

 闇が寄り添った感情に縛られて、人間だった頃の記憶も性格も別の生き物となってしまう。


 ナシェルはもう、たぶんクロトの知るナシェルではない。

 対峙した時に狼狽えないよう、クロトは何度もこれを言い聞かせている。


 

 霧の中でナシェルの声が響く。


 ――リズはあなたを選ばない。


 胸が、わずかにざわつく。

 術式が一瞬だけ遅れる。


 失いたくない、と言った声が蘇った。


 思考が揺らぐ。

 ナシェルがくすくすと笑う。


「クロトでも動揺するんだね! 恋はクロトを弱くするのかな?」


 クロトは目を閉じる。


「聖域、展開」


 額の聖痕が光り輝き、白い光が霧を裂く。


「私の知るナシェルは、そんなこと言わない」


 精神干渉を焼き切る。

 中枢へ一点貫通。


 魔導の残滓が消え、静寂が戻った。



 


 クロトは結界を解き、歩いて戻る。

 衣服に損傷はない。

 呼吸も乱れていない。


 騎士たちがざわめく。


「……排除しました」

「結果論だ」


 ため息混じりでグリズリッドは言う。


「好きにしろと言っただろう」


 深い青の瞳が冷たくクロトを見下ろした。

 この遠征で、初めて目が合った。

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