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第三十九話 衝突 ー私の気持ちー

 謁見の間を出た瞬間だった。

 グリズリッドの胸元を、クロトは容赦なく掴んだ。


「ちょっと、こちらへ」

「おい、今は――」

「いいから来てください」


 クロトは有無を言わさずグリズリッドを引きずる勢いで回廊の柱の影に連れ込む。

 グリズリッドを追い詰めたクロトは一気に間合いを詰め、背後の柱に、ばん、と掌を打ちつけて彼の逃げ場を塞いだ。


 乾いた音が回廊に響く。


「何を勝手なことを言ってるんですか!!」


 あまりの勢いにグリズリッドが固まる。

 クロトは一歩踏み込んで更に間合いを詰めた。


「何が王国の安定です? 私の気持ちは?」


 胸が熱い。

 怒りと、動揺と、悔しさがごちゃ混ぜだ。


「物事には順番というものがあるって、本当にご存知ないんですか!?」


 グリズリッドは珍しく、叱られる少年のような顔をして黙って聞いている。

 そして口を開く。


「嫌なら頃合いを見て婚約破棄すればいい」


 グリズリッドが、少しだけ視線を逸らした。

 クロトは目を見開く。


「……最低」


 クロトは一段低い声で非難した。


「殿下にとっては戦略の一部で、お戯れの延長ってことですか」


 グリズリッドは、クロトを真っ直ぐ見た。

 深い青の瞳。


「何だと?」


 至近距離で怒りを向けられ、クロトは思わず怯む。

 今すぐ手を離し、距離を取りたくなる気持ちを押し殺して睨み返す。

 なぜこちらが怒られなくてはならないのかと腹立たしく、悔しい。


「何が目的なんですか?」


 純粋な恋愛だと思っていた自分が恥ずかしかった。

 初めての思いに浮かれた自分が情けなかった。


 魔力も聖力も手に入るからですか?


 脳裏に浮かんだ言葉が口から出る前に、クロトは息を呑んで止まった。

 鈍く心臓が痛む。

 それを口にして、グリズリッドに即座に肯定されたら耐えられないかも知れない。


「……失礼します」


 答えを聞く勇気が持てず、クロトはその場を離れることにした。

 足早に距離を取り、クロトは踵を返す。

 白金の長い髪が風を受けてふわりと広がる。


「待て」


 グリズリッドに腕を掴まれ、引き寄せられた。

 目に浮かんだ涙が、珠を結んで宙を舞う。

 ぽとり、と小さな音を立てて何かが床に落ちた。


「……これは」


 グリズリッドが拾ったのは、群青の香袋。

 

 ――詰んだ。

 クロトは目を閉じて天を仰ぐ。


 グリズリッドは静かに香袋を拾うと、全てを察した顔をし、その後頬を緩めた。


「これが返事か?」


 クロトは、かっと目を開けると素早く右手を振り上げる。

 グリズリッドは、それを避けようと思えば避けられた。手を掴んで制することもできた。だが動かなかった。


 ぱしん、と乾いた音が響く。


 グリズリッドの顔が横へ弾かれ、体がわずかによろめく。

 一歩、後ろへ下がった。


「魔導で強化したな……」


 グリズリッドは顔を顰める。

 華奢な女の力ではなかった。

 叩かれた左頬はじんじんと熱を帯び、感覚がない。

 

 石の床に涙が落ちる音だけが響く。

 クロトは顔を伏せたまま、動かなかった。


 グリズリッドは何も言えずに立ち尽くす。

 叩かれた頬の熱よりも、胸の奥の方が妙に痛んだ。


「……悪かった」

「なにがです?」

「……え」

「何に謝ってるんですか」

「……全部」

「全然わかってないじゃないですか」


 クロトは泣き濡れた青い瞳でグリズリッドを睨んだ。


「……なんにもわかってない」


 頬を伝う涙を直視できず、グリズリッドはわずかに視線を逸らす。


「お前は駒じゃない」


 低く、真剣な声。


「俺が選んだ相手だ」


 そう言って、クロトの頬に伝う涙を拭った。

 

 グリズリッドの言葉はいつだって足りない。

 でも、今の言葉は嘘ではないのは伝わる。


「俺は戯れで婚約などしない。本気だ」


 クロトは顔を伏せたまま、唇を噛んだ。


 グリズリッドは一歩近づく。

 その影が、クロトの上に落ちる。

 クロトはグリズリッドを見上げた。


「……珍しく感情的になりすぎて、疲れました」


 一瞬だけ躊躇ってから、動力が切れたおもちゃのように、クロトはグリズリッドの肩にこてんと額を乗せた。


「こういうのは、大体平行線になるので……これ以上はやめます」


 目を閉じて、クロトはぽつりぽつりと呟く。

 

「あと」


 クロトはグリズリッドの手から香袋をひょいと取り上げた。


「……返してください」


 むくれたまま、クロトは香袋を握りしめる。

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