第三十七話 画策 ー馬車の中での攻防ー
馬車の中は静かだ。
外の喧騒は厚い扉に遮られ、軋む車輪の音だけが規則正しく響いている。
馬車が揺れるたびに身体の質感を否応なく意識してしまう。
耳元でグリズリッドは囁く。
「何を考えているか当ててやろうか」
腹の奥に響く声音に、クロトの心臓がぎくりと跳ねる。
「なぜ俺が魔導を抑えたのか、聞きたくて仕方ないだろ」
図星のような、残念なような、安心するような。
「まあ、そう……ですね……」
緩慢な反応をしたクロトに、グリズリッドはゆっくりと目を細める。
「違ったか?」
クロトは言い返せずに唇を結んだ。
「……どうやって抑えたんですか」
抱きしめられたままガチガチに固まったクロトは、小さな声で問う。
「正直に言うと、よくわからない」
グリズリッドの右手はクロトの腰に、もう一方の左手で白金の髪を撫で、次に首筋を撫でた。
「俺の母は、アッサラート一族の首長の娘だ」
クロトは静かに息を呑んだ。
アッサラート。
またこの名を聞くとは。
「アッサラートの古代魔導を、俺も継承している。あの剣を見ただろう」
クロト記憶を辿ってグリズリッドの蒼い剣を思い起こし、頷く。
「あれはアッサラートの首長が持つ魔剣だ。魔導を切り、無効化できる」
「……ちょっと待ってください。では、抑えられるかわからずに氷の上に?」
クロトは眉を潜める。
「魔道を無効化できるなら、なんとかなると思った」
「そんなに場当たり的な方だとは思いませんでした」
なんとかならない場合どうするつもりだったのか。
考えただけで気分が重くなる。
「しかし、あれで群衆へ王子と聖女二人の印象を植え付け、聖力と魔力を持つ聖女を正当化できた」
にこりとグリズリッドは微笑む。
「計算高いのか無鉄砲なのか……」
文句を言いながら顔を上げると、グリズリッドと目が合った。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってもらっていいですか」
至近距離のグリズリッドは心臓に悪い。クロトの心臓は爆ぜるんじゃないかと思うほど暴れまわる。
顔から火が出るほど発熱しているのを感じた。
すっかり動揺したクロトは、グリズリッドの胸板に当てた手に全力を込め、自らの身体を引き剥がす。
すっかり雰囲気に呑まれてしまった。
クロトはきちんと座り直すとグリズリッドを見ないように前を向く。
別に嫌なわけじゃない。
むしろ嬉しい。死ぬほど恥ずかしいけれど。
では、何が気になっているんだろう。
そうだ、順番だ。
「で、殿下……」
「好きだ」
言葉が覆い被さる。
「ぶふ……」
暴力的な告白に、クロトの口から変な音が漏れる。
それを引っ込めようと、クロトは手で口を隠し、苦し紛れの咳をした。
グリズリッドが、再び距離を詰めようと座り直す。
気配を察知したクロトの肩が微かに震えた。
「なんかこう……何かおかしいです」
「なにが」
座席の端っこまで逃げながら、じとりとクロトがグリズリッドを睨む。
「なにをそんなに急いでいるんですか?」
グリズリッドは一瞬目を細め、観念したように息を吐く。
「陛下がお呼びなのは本当なんですか?」
先ほどの質問には答えをもらっていない。
「どうせ嘘なんでしょう?」
答えを聞く前に、クロトは結論付けた。
「人聞きが悪いな」
グリズリッドは軽く肩をすくめる。
そしていたずらっぽく笑う。
「半分嘘で、半分本当だ」
はぐらかされたらような答えに、クロトはグリズリッドを睨んだ。
「公式には、陛下に謁見するのはこちらだ」
陛下に呼ばれたのではなく、会いに行く側だということか。
「俺が話をする」
この人は、いつも言葉が足りない。
「……企んでますね?」
クロトがそう言うと、グリズリッドはゆっくり口角を上げて笑った。
「すべては王国の安定のために」
クロトは心底胡散臭いものを見る目つきでグリズリッドを見つめる。
「ところで」
グリズリッドはクロトに顔を近づける。
クロトの頬が爆発したかのように瞬時に薔薇色に染め上がった。
「返事は?」
鼻先が触れそうな距離。
突然がたん、と大きく馬車が揺れた。
クロトの身体が前に倒れ込む。
ほんの一瞬。
唇に、柔らかな感触が触れた。
クロトの思考が完全に停止する。
「…………」
「…………」
しばらく茫然と虚空を見つめてから、口を開く。
「これは……数に入らないやつですよ」
ぼそりと小さく言って、クロトはがくりと首を垂れた。
「事故ですからね」
グリズリッドは笑いを噛み殺す。
「そうか」
一悶着の間に馬車は止まっていた。
王宮前まで着いたようだ。
急にがちゃりと扉が開く。
「うひゃあ!」
素っ頓狂な声を上げたクロトは飛び上がり、グリズリッドから離れると、鳶色の瞳と視線を結んだ。
「あー……すみません、お邪魔でしたよねえ」
後頭部を掻きながらレイドがへら、と軽く笑う。
「そうかなぁとはね、わかってたんですけど……陛下がお待ちですのでどうか殺さないでください」
グリズリッドに向けて言われたそれ。
本人はその言葉を完全に無視して馬車から軽い動作で降りる。
そして振り返ると、クロトに手を差し出した。
「行こう」
短いその言葉がやけに懐かしく、クロトは出された手を見つめた。




