第三十二話 散見 ー通り過ぎた聖女ー
王都の門が見えたとき、ようやく遠征が終わったのだと実感した。
出立の際、確かにそこにいたはずの彼女がいない。
黒魔導士をおびき寄せるための囮として連れてきた。
それ以上でもそれ以下でもなかったはずの存在。
それなのに。
彼女がいなくなった途端、胸の奥に穴が空いたような感覚に襲われた。
喪失感。
無力感。
怒り。
焦り。
整理する間もなく、感情が次々と押し寄せてくる。
彼女は、自分の意志でグリズリッドから離れた。
早い決断だった。
教皇に連れていかれるその小さな背を、彼はただ黙って見届けることしかできなかった。
珍しく、次にどうすれば良いのかが浮かばない。
どうしたいのかも、よくわからない。
――これで私は、殿下の護衛対象からも監視対象からも外れますね。
クロトの言葉が脳裏に蘇る。
いつから監視に気がついていたのだろうか。
ぼんやりとグリズリッドは考える。
城門が開かれた瞬間、歓声が雪崩のように押し寄せた。
騎士団の帰還。
勝利の凱旋。
白い旗と王国旗が翻り、民の声が重なり合う。
グリズリッドは馬上で背筋を正し、表情を整えた。
全然笑うつもりはないのに、顔だけ仮面をつけたようだ。
誰かに繕うための処世術が今は恨めしい。
拍手。
喝采。
名前を呼ぶ声。
そのすべてが、ひどく遠い。
城門をくぐり、王都の大通りへ入る。
石畳の両脇には人垣ができ、花びらが舞い、子どもたちが手を振っている。
騎士団は誇らしげに進み、規律は寸分も乱れていない。
それが、今の彼にはやけに白々しく映った。
「――殿下、殿下! 降臨祭ですって」
後ろから騎士団長レイドが軽い口調で話しかけてきた。
彼の人差し指の先には、大通りの一番目立つ広場の看板を指していた。
降臨祭――新しい聖女を祝う祝賀祭だ。
「魔導士殿は、神殿にいらっしゃるんでしょうねえ」
レイドは独り言のように呟いた。
「教会の監視下にあるでしょうし、自由にふらふらと出歩けないんでしょうねえ」
グリズリッドは不機嫌に眉根を寄せる。
「……何が言いたい」
「いえいえ〜。ただ、殿下は魔導士殿が気に入ってたご様子でしたので」
顔を見なくても、レイドのへらへらした笑顔が目に浮かび、更に腹が立った。
「この状況で指を咥えて黙って見ていらっしゃるのは、殿下らしくないなあと思った次第です」
別に指を咥えて黙って見ているわけではない。
俺らしくってなんだ。
くそ。
グリズリッドは聞こえないように小さく舌打ちし、レイドとの会話をやめた。
幼い頃から命を狙われ続けたグリズリッドは、王宮を離れて暮らしていたことがある。
そのとき世話になったのが、ガーナード伯爵家。
レイドの生家だ。
一つ年上の彼は初めて出来た友人でもあり、1番信頼できる部下でもある。
彼の性格などを把握し、立場を理解した上での発言は、頭には来るが重要な意見だと、グリズリッドは思う。
馬を降り、形式的な挨拶を終えて王宮へ戻る途中。
回廊へ続く中庭を横切った、そのときだった。
白い一団が、視界の端を横切った。
電流が走ったようにそちらへ目をやる。
神官に囲まれた、中心にひときわ細い影。
光を集めたような薄い金の髪に、空を思わせる青い瞳。
見慣れない白いローブを纏った姿は聖女さながらで、一見すると可憐で淑やかだ。
しかし、隙のない足取りが彼女がただの女性ではないことを物語っていた。
距離は、かなりあった。
声をかけるには遠すぎる。
小さくなっていく姿が完全に見えなくなるまで、目が離せなかった。
「良いんですか? 追わなくて」
レイドの言葉に、グリズリッドは黙って首を横に振る。
そして、今にも戦いに行くような顔をして歩き去って行った彼女を思い起こして、彼は笑う。
クロトは、役割と場所が変わってもクロトのまま。
「殿下?」
「いや、行こう」
会えなくなって一週間。
夢にまで見て焦がれた人は、やはり強く美しい人だった。
「取り戻す」
グリズリッドは決意のように口に出した。
「おお……。ついに好意を隠すのやめられたんですね。まあ、だだ漏れでしたしね」
レイドの言葉を右から左へ受け流し、グリズリッドはふと足を止める。
「そういえば、なんで監視対象だと気づいたんだろうな」
「あ、ねえ? いつ気づかれてたんでしょうねえ。さすがと言うか……怖いですねえ」
「怖い?」
グリズリッドは首を傾げる。
生意気な猫にしか見えないが。
「怖いですよ。あんな怖い女の人なかなかいらっしゃらない。味方でなかったらゾッとします」
レイドは震えるように小刻みに首を横に振る。
解せない顔のグリズリッドに、レイドはおずおずと口を開く。
「殿下、たぶん被虐性淫乱症ってやつじゃないで……」
ごん、と頭の上に鉄拳が落ちた。
「いっっ……だ……」
「殺すぞ」
涙目で呻くレイドを尻目に、グリズリッドは顎に手をやる。
「監視……か」
そして、不敵に笑った。
「監視から、警護にすり替えればいい」




